囚われ人
【Side:アナスタシア】
疑問に答えてくれる人はいなくなった。
思えば、疑問には誰かが答えを用意してくれた。イリスや侍女、家庭教師、お父様、お母様、お兄様…この謹慎が始まってから、まだ顔馴染みには誰にも会っていない。媚薬にあてられて意識朦朧とし、治癒後の魔力酔いで臥せっていた。回復した後に両親から厳しい顔で謹慎を言い渡され、この部屋から出してもらえない。
どうしてこうなってしまったのかしら…。それを尋ねることが出来る人はいない。ずっと部屋に一人、何かが起きるのを待っていた。食事はメイドが運んでくるけれど「お食事をお持ちしました」「失礼致します」くらいのことしか話してくれずすぐ退室してしまう。難しい本や教科書は書棚にあるけれど、勉強する気も起きず日がな窓の外を眺めてぼんやりしていた。初めはアマデウスに拒絶されたことを思い出して泣いたりしていたけれど、誰も慰めてくれないから涙も枯れ果ててしまった。
泣き続けるだけでも疲れるのだ。知らなかった。
「アナスタシア。…入るぞ」
扉の方を見遣るとユリウスお兄様が立っていた。
「決まった時間に眠れていないそうだな。多少は昼間に活動しないと体内時間が狂うだろう…この部屋からは出られないが、多少歩いたり体を解したりした方が良いぞ」
「ねっ、んん、…お兄様、わたくしの…侍女は?イリスは?どこに…今、どうなっているのですか?」
久しぶりに声を出したのでうまく舌が回らなかった。寝台に座ったままの私に固い表情を向けたお兄様は寝台の横の椅子に腰を下ろした。
「…その話をしに来たのだ。父上も母上も其方に厳しい態度を取るのが下手だから、私が引き受けた」
私の暴走を止めずむしろ増長させたという理由で、侍女は全員私の担当から外された。イリスも侍女候補から外され謹慎中。イリスの母親も侍女長を罷免に。違法な濃度の媚薬を調達して私やアマデウスを陥れようとしたとして、ヤークートが逮捕され修道院送りになったという。
「そんな……」
どうして。どうしてそんなことに……。
「…アナ。其方は責任を感じねばならぬ」
いつもならこんな顔をしたら誰かが慰めてくれた。お兄様から厳しい目を向けられるなんて初めてで、ただただ驚く。
「深く、反省しなければならぬ。何故だかわかっておるか」
「…わ…わたくし、わたくしは…未成年なのに媚薬を使ったのは、勿論悪かったですけれど、でも…―――イリスも皆も言ったんだもの、アマデウスは私のことが好きな筈だって…!ジュリエッタと私では私の方を好きになるに決まっているって…!それなのに…」
それなのに、アマデウスは―――…ひどく恐がった様子で、私から後退った。
媚薬を吸いながらも私と関係を持つことを全力で拒み、自分の足を鋏で刺した。
あの時は夢の中の奇妙な出来事を眺めているような感覚で、ぼんやりと 何でそんなことをするのかしら? とただ不思議に思っていた。
赤子のように愚かな状態になってしまっていたことに、改めて背中がゾッとする。…元に戻って本当に良かった。
「アマデウスが其方に、好きだと言ったか?好意を感じることをされたか?」
「…楽しそうに、優しくピアノを教えて下さったし…私を見つめる目が、とても優しくて…ピアノを弾いた時、一度彼が涙を溢したことがあって…きっと、ジュリエッタと婚約したことを後悔しているに違いないって…ジュリエッタの手前、わたくしを避けるしかないのだろうって…そう、公爵家から圧力を…」
「…それは全部、其方の側近の意見だろう」
「っヤークートも、…そうだろうって、…」
「~~~はぁ…」
ぐしゃっと髪を掻き乱し、酷く疲れた目元をしているお兄様を初めて見た。
「…よいか?アナスタシアよ。アマデウスは、自らジュリエッタに婚約を申し込んだ。ジュリエッタの黒髪の印象が良くなるように友人や商会と結託して黒い衣装を流行らせ、婚約パーティーで闇の神を主題に演奏会も企画した。休暇には手紙をやり取りし、己が売り出した物は真っ先にジュリエッタに贈る。揃いの耳飾りを拵え、己の髪の色の絹地を贈り、質の良い化粧品を商会に揃えさせ、週に三回は帰りに馬車までエスコートして、馬車の中で二人の時間を作っている。 …わかるだろう?」
……わかってしまう。
彼がジュリエッタに示した愛の百分の一だって…もらったことがなかったこと。
知らなかった、そんなこと。…私は、何も。
「其方はアマデウスの行動をちゃんと調べて、聞いて、見るべきだった。本心ではこうだろうという不確かなものではなく事実だけを見て判断すれば、アマデウスが真に結婚したいと思っている相手が誰であるかくらいわかっただろう。…側近が其方の目を曇らせていたこともあったのだろうが、普段から周囲と情報交換していれば気付けた筈だぞ」
自分の都合が良い情報だけを信じていた。知ることが出来たにも関わらず…知ろうとしなかった。
「そして…もし、恋人を今回のような目に合わせ、奪おうとした奴がいたとしたら…私なら、絶対に許さん。ジュリエッタも其方を許さんだろう。今後公の場の形式的な挨拶を除いてはアマデウスに接近することを禁ず。其方は、逆らうことの難しい下の身分の者を呼び出して望まぬ性行為を強いようとした。…王族の恥を晒さぬ為に、其方は裁かれぬ。本当ならば厳罰に処される筈だった、重い罪を犯したと自覚せよ」
そんなつもりではなかった―――そう言いたくなる唇を強く噛んで留めた。
私の罪を告げに来たお兄様。
険しい目で、しかし哀し気に告げられたその言葉は、私の胸の奥に痛烈に突き刺さっていた。
何も言えなくなって俯いた私の旋毛に、お兄様は憐みの声を掛ける。
「…まあ、私もコンスタンツェを娶ると決めるまでは、そこまで真面目に社交をしていた訳ではなかった。先程言ったアマデウスの行動も、把握していたのはネレウスだ。私もつい先日知ったのだ。…みっともなくヤークートの減刑を願って父上を煩わせてしまったし、私も其方に威張れはしない…。反省し、謹慎した後、其方にはまだその先がある。どのように振る舞って生きていくのか、じっくり考えておけ」
※※※
どのように生きていくのか。
手慰みに教科書を開いてはみるけれど頭に入って来ず、お兄様の言葉を反芻する。
私は、アマデウスと恋人になって結婚すれば幸せになれると思っていた。気の知れた人たちと、彼と、彼の奏でる音楽に囲まれた楽しい日々。その道に進むのが幸せだと思っていた。
しかしその理想は失われ、今の私の目の前には道が無い。どのように歩けばいいかもわからないで部屋にぽつんと立ち尽くしている。
『それを、っ…馬鹿よ!!!殿下も…貴方も!!!!』
媚薬にあてられてぐったりとしている時に、言われた。同情を滲ませた、涙声で。橙色の髪のあれは…確か、ヴェント侯爵令嬢だったか。人望のある人だと小耳に挟んだ気がする。あんな風に叱ってくれる人が近くにいたら、私は何か変わっていただろうか。
「アナスタシア様、ご無沙汰しております」
そんな中、珍しく違うメイドが来て髪や身形を素早く整えたかと思うと、ロレンスが面会に来た。
暫く食事を届けるメイド以外の人は見ていなかったので、彼が部屋に入ってきた時幻か何かかと思ってしまった。
彼と部屋で二人にする訳にはいかないので年配の侍女が二人、部屋の扉の横に控えた。
「…お久しぶりですね、ロレンス。てっきりわたくし、謹慎中は誰とも会ってはいけないと思っていたから…驚きました」
「ええ、基本的には、身内以外会ってはいけないことになっているのですが… この度、王家から打診があり…アナスタシア様と私の婚約が正式に決定されました」
「えっ…」
そんな話は聞いていない。
…馬鹿なことを仕出かした娘の縁談を何とかまとめようと急いだのかもしれないが、お父様もお母様も、決定を知らせるくらいしてくれてもいいのに。…私のことなんてもう、見限ってしまったのだろうか。
「あ、…誤解なきよう。私から伝えさせてほしいと陛下にお願いしたのです」
そう言った後ロレンスは思い詰めたような顔で黙ってしまった。ロレンスは私の婚約者候補になるのもあまり乗り気には見えなかったし、ここに来たということは私の罪も知ったのだろう。
「そう…でしたか。もし、貴方が納得いかないということでしたら、わたくしもお父様とお母様にこの婚約は白紙にと何とかお願いして…」
「い、いえ!そうではありません、私が…私が望んだのです」
「望んだ?」
「陛下は選ばせて下さいました。今回のことを知らせた上で、断ってもいいと。…私が、婚約を望みました」
「どうして…」
「あ、…貴方を、愛しているからです」
「………」
それは言い訳のような響きで私の耳に入ってきた。彼は真面目だから周囲からの期待に応えようとするあまり無理をしているのではないかと感じた。
「幼馴染だからといって、無理をしなくても…」
「違います!…今まで、恥ずかしいからと態度に出してきませんでした。アマデウスに嫉妬はするくせに、貴方には何も伝えないで…すべきことを怠った」
すべきことを怠った。それは私の罪とも共通する後悔。彼は窓の外に視線を投げて懐かしむような顔をする。
「二回目にお会いした時のことを、憶えていらっしゃいますか?」
「二回目…というと、ロレンスのお婆様の葬儀…だったかしら?」
「はい。長く患っていて、私もあまり交流出来ませんでしたが…悲しい最期でした。重苦しい空気の中、アナスタシア様は妃殿下と参列して下さって…」
『お母様、死んだら皆お墓の中に入らなければいけないの?わたくし土の中は怖いです…』
『体はお墓の中だけれど、魂はお空の上に行くのよ。星になって私たちを見守って下さるの』
『そうなのですか?では、この大きなお花も、見て下さっているのですね。それならよかったです。とってもきれいだもの』
「…そう言って貴方が無邪気に笑ったから、周囲も初めて、花が綺麗だと思い出したかのように顔を緩めました。墓に供えられた花が鮮やかに見えて…きっと祖母の魂は安らかでいてくれているだろうと、私は思えたのです」
お披露目のすぐ後だったことを憶えている。葬儀に参列したのは初めてだった。墓石の上に大きな輪になった花飾りが置かれていてとても綺麗だと思ったのだ。
「あの時の貴方の笑顔が、ずっと忘れられないままです。一目見た時から可憐なお姿に惹かれていましたが、あの時に、私は貴方を愛したのだと思います」
「ロレンス…」
そんなに昔から彼が私を想っていたなんて全く知らなかった。皆知っていたのだろうか。私は…私は本当に、周りを見ていなかったのだと思い知らされる。
「…私は、アマデウスのことを…軽薄な遊び人で、ジュリエッタ嬢のことは出世の踏み台にしか思っていない男だと思っていました」
「そんなこと、」
「ええ、そんなことはありませんでした。優秀なヤークート殿がそう言っていたからと鵜呑みにして、アマデウスを褒める声は上辺に騙されているんだと否定して、恋敵にはろくでもない男であってほしくて、自分の信じたい意見だけ信じていた。浅はかだったと認めます。そこに関しては、アナスタシア様、貴方の男を見る目は間違ってなかったと思います。彼は…誠実な男でした。…アナスタシア様。お慕いしています。どうか、私と一緒に、クレスタールで生きて下さい。死ぬまで貴方を大切にすると誓います」
向けられた真剣な視線に怯んでしまう。
浅はかだったのは私もだという羞恥、見る目が間違ってなかったと言われて少しだけ救われた気持ち。彼の気持ちを受け入れて流されるのは楽な方への逃げではないかという自責。
「…わたくし、わたくしが、周りが、思っていたよりずっと…愚かだったみたいなの。それでも、…いいのかしら…貴方に愛されて、結婚して、いつかは幸せになりたいと思う権利が、あるのかしら…?イリスや、アマデウスは、そんなの…許すかしら……」
イリスの出世の道は絶たれ、ヤークートは捕まり、沢山の人に迷惑をかけた。ジュリエッタには許されないし、事情を知っている貴族からはきっとこれから白い目で見られる。
「…どうでしょうね。今回のことで、貴方を恨んでいる者はいるでしょう。でも…イリス嬢は、貴方を好いていましたから。幸せになるなとは、言わないと思います。アマデウスもおそらく…権利が無いとは、言わないのではないでしょうか。彼が私に言ったんです、愛しているなら貴方にちゃんと伝えるべきだと。生まれ育った地を離れて付いて来てほしいなら、しっかり言葉にすべきだと…。私は、貴方が自然と笑顔になれるように、そうなるように…努力していきたいと思っています」
ロレンスが帰って、再びがらんとした部屋。
これから天候が荒れるのか、強く吹く風の音がする。風に大きく揺らされる木の枝を目に映しながら、誰の言葉も耳に入れることなく一人きり、考えなければならない。
ここから出たらもっと色んな立場の人の意見を聞いて、考えて、次こそは間違えないように。間違えたとしても、取り返しのつかないところまでは行ってしまわないように。




