愛の為に何を為す
俺が倒れた後、ティーレ様から連絡を受けたティーグ様も学院に駆け付けて来て一悶着あったらしい。
ティーグ様が威圧し、シレンツィオとスカルラットの騎士団が合同で出張って捜査することをネレウス殿下に認めさせたという。「あんな恐ろしい旦那様、私は初めて見ましたよ…」とポーターが言った。ちょっと見たかった。
目が覚めた時には自室だった。
付いていてくれたアンヘンが治癒師を呼んで診察された後、ティーグ様とジークが心配そうに見舞いに来て、大人しく寝てるように俺に言い聞かせた。
マルガリータ姉上も一瞬だけ部屋に来て「案外平気そうね。つまらないこと」と言って去って行った。ドライだなと思ったが、後でジークが「兄上が運び込まれてから暫くは姉上、真っ青だったんですよ。私もですけど、心配で胸が詰まって夕飯が全く食べられなくて…」と教えてくれた。正しくツンデレになってきている。
幸い翌日とその次の日は週末で休日。貧血に効くとされる野菜がたっぷり入った食事を取って侍従とメイドに世話されて安静にする。楽器を弾くのを禁止されたのは残念だけど仕方ない。
目が覚めて軽く食べて落ち着いてから、すぐに手紙を書いた。
少々貧血気味ですがもう食欲もあります、ほどなく回復するので心配しないで下さい、とジュリ様、アルフレド様とカリーナ様に。
少し考えて、ジュリ様の手紙に『感謝の意を、ティーレ様と護衛の彼にお伝え下さい』と追伸を加えた。
ジュリ様からはすぐ『父からも止められ、伯爵邸の方々に気を遣わせてしまうのも申し訳ないのでお見舞いに行くのは我慢致します。回復をお祈りしています』と返事が来た。
俺はお見舞いに来てもらえたら嬉しいが、使用人たちは看病に加えて公爵令嬢を迎えるとなるとちょっと大変になるだろうから俺も我慢する。
丸一日経った時点で、既に割と元気だし。丈夫だわこの体。
シャムスも駆け付けてくれたが、「大丈夫そうですな。刺傷を治癒したにしてはご気分も悪くないようですし…」と何もせずに帰った。
どうやら俺は魔力耐性というのが高めだと思われるという。他人の魔力を浴びたら普通は体調を崩すものだが(治癒魔法で治癒の対象は治っても、眩暈とか吐き気とかの不調が出る、これは魔法では治せない)、平気な体質の者がたまにいるんだとか。
そういや、ネレウス殿下がその俺の体質を知ってたぽいことを言ってたな。何でだろう…。
事件は内密にされており、騎士団が合同調査中。
姉上とジークには、口止めされた上で学院内に不審者が出て俺が襲われたと伝わっている。
真相が解明するまでは口を噤んでいなければならない。
※※※
モリモリ食べてぐっすり寝たので休み明けにはほぼ元気になっていた。改めて健康って大切。
「デウス様…!!」
登院して教室に入るとジュリ様が早足で近付いて来た。
「ご心配をおかけしました」
片手を握って笑って見せると彼女は目をうるうるさせて俺を見上げる。二人だけだったら抱き締めたいところだけども残念ながら人の目がある。
「あら、朝から見つめ合っていらっしゃいますわ」
「お熱いこと~!」
ヒュー!とか言い出しそうなノリでフォルトナ嬢たちが野次ってくる。楽しそう。
事情を知らない人たちには休み明けくらいで大袈裟に感動的な再会をしてるバカップルみたいに見えるかもしれん。野次を聞いて俺もジュリ様もなんか和んで笑った。
放課後。
馬車チューした後ジュリ様がそっと抱き着いてきたので抱き締め返す。
「…痛かったですか?」
「まあ、正直…。戦闘訓練をしてる方からすれば大したことないかもしれないんですけど」
「自傷というのは…覚悟がいる行為ですわ。良くも悪くも、強い意思が必要な…」
ジュリ様は経験があるような口ぶりで少し心配になった。自傷を考えるほど辛い時期があったのだろうか。
「治癒魔法は早めに習得したいなと思いましたね。もうあんな状況に陥ることはないとは思いたいですけど」
「…ご自分を傷付けるなんて…二度として頂きたくはありませんけれど…でも、デウス様が責任を取って王女殿下と添うようなことにならずに済んで、本当に、良かったです…」
彼女の声が少し震えていた。抱き締める腕に力を込める。
暫しの沈黙の中、ここにこうしていられることを噛み締めるように二人でじっとしていた。
「…公爵家の影の、彼…男かどうかわからないですけど、彼が結界を破ってくれたおかげです。ジュリ様は彼をご存知で?」
「いえ…影のことは父しか。父から少し聞いたところ、もっと頑張ればデウス様が自傷せずに済んだかもと反省していたらしいですが、短時間で学院に侵入して王家の手の者が張った結界を破ったのは本当にお手柄だと。父から褒美を出すそうです」
そうだよね助かった、いいよ反省なんてしなくて!良いご褒美貰えてるといいな。
「いつか会える日も来るでしょうか。結婚した後なら会えますかね?」
「そう…ですね、婿入りなさればおそらく…」
結婚した後…を想像したのかジュリ様が照れたようにはにかむ。
その顔をまた見ることが出来て、痛い思いしてこのポジションを維持したあの日の自分が報われた。
アルフレド様もカリーナ様も親には報告済で、タンタシオ公爵とヴェント侯爵はひとまず静観するが必要とあれば協力する、とシレンツィオ公に連絡したらしい。王家の動向を重鎮たちが見張っている、誤魔化しはきかないだろう。
王女殿下やイリス嬢は体調不良ということで欠席が続いた。ユリウス殿下とネレウス殿下もちょくちょく欠席し、『王女殿下が大病でもなさったのではないか』と生徒の間で噂になった。
そんな中で数日後の放課後、ロレンス様が突撃してきた。
ひとまず来いと居丈高に呼び出され、ま~た嫌な予感しかしないわ…と思いつつリーベルトに付き添いを頼む。ジュリ様たちはもう帰っていて、近くにいたハイライン様が一緒に行くか?と言ってくれたが、ちょっと思うところがあって遠慮した。
「アマデウス貴様、何か知っているのだろう。話せ、全部」
空き教室には困った顔をしたモルガン様もいた。目が合うと申し訳なさそうにしていた。ロレンス様を止めたけど聞いてもらえなくて、でもいざという時のブレーキ役として来たのだろう。割と面倒見が良い人だ。
ロレンス様はなかなかひどい顔をしていた。充血した目の下にロージーみたいなクマが出来ていて、眉間の皺も深く刻まれているようである。
そして俺にそう聞くということは事件について何も教えてもらえてないらしい。まだ候補であって王女殿下の正式な婚約者じゃないもんな。
「何か、と言われましても…」
「王家と、シレンツィオとスカルラットの騎士団が動いていることは掴んでるんだ。貴様とアナスタシア様に何かあったと考えるのが当然だろう…彼女に何をした」
そうか、辺境伯家、騎士団には伝手が色々ありそうだからなぁ。
「…私は彼女に何もしていません。起きたことに関しては、口止めされています」
王女殿下が心配過ぎていてもたってもいられず来ちゃったんだろうけど、俺からは今これしか言えない。
「だから言っただろうロレンス。今は待つ時だ」
モルガン様が言い聞かせるが、チラッと一瞥をくれたのみでロレンス様は聞く耳持たない感じ。反抗期だなぁ…。
「~~~~っ…アナスタシア様は人前に出られないほど弱っておられるというのにっ…どうして貴様が平気で登院しているのだ!己に恥じるところが無いなら話せる筈だ、言え!!」
俺に恥じるところはないけど王女殿下の方にはあるから口止めされてるし言えないんだけども???
「だから落ち着けって…おわっ!」
俺に掴みかかろうとしたロレンス様をモルガン様が後ろから羽交い絞めにした…が、すぐに振り解かれ、モルガン様は後ろに弾かれた。非力という訳ではないだろう、多分ロレンス様が強い。
話を聞かなくて手加減を知らない偉い子供、めんどくせ~~~存在!!
警戒して俺の前に出たリーベルトの肩を引いて首を振って、後ろに下がってもらった。
敢えて避けずに、ロレンス様に胸倉を掴まれる。
「っ…事件については言えないんですが、言いたいことはあるので言わせてもらいますよ」
「そうか、言ってみろ!」
「ロレンス様、ちゃんと愛を告白しました?王女殿下に」
「…貴様ぁっ!!」
おちょくられたと思ったのか、下から睨みつけてくるロレンス様にぎりっと胸倉を絞められてやや苦しい。力強っ、ちょっと足が浮きそう。
「デウス!」
俺を呼んだ後ろのリーベルトに片手を上げて出なくていいよと示した。今にも殴られそうではあるが、まだ中断したくない。止められたくないから身分高めのハイライン様には来てもらわなかったのだ。
殴られたとしても言い切っておきたいことがあった。
「真面目に言ってます。してないんですね、そのお顔だと…」
「ふざけるな!」
「ふざけてません!!!舐めプしてんじゃねえって言ってんですよ!!!!!」
三人が戸惑ったのがわかった。いかん、舐め腐った手抜きプレイこと『舐めプ』はこっちで伝わらない。恋愛をゲームに例えるのは不真面目な表現かもしれないが、遊戯ではなく真剣勝負と書いてゲームと読むニュアンスで頼む。
「何で伝えないんです!?モルガン様が以前言ってましたが、女性を口説くことが軽薄だと思ってるからですか?愛を伝えることが何故軽薄なんです?」
「…聞こえの良い言い方をしても貴様らの愛の言葉なんぞただの性欲だろう!!」
「性欲が含まれてないとは言いませんが真心だってあります!!愛が偽りだから軽薄だと思うんでしょう?!つまり、ロレンス様は王女殿下を本気で愛していないから、可愛らしい外見だけが欲しいから愛の言葉は伝えないって訳ですか?!」
「ちっ…違う!」
「見た目だけに惹かれているんならそりゃあ言えないでしょうね!そんなの、確かにただの性欲だ」
別に俺は外見に惚れること自体がただの性欲とは思っていないが、彼を煽る目的でそう吐き捨てた。
「―――違う!!!…あの方の笑顔にはっ…言葉には、…力があるんだ…! どんなに重い空気でも、悲しいことがあっても、…彼女が笑うだけで、場が照らされて明るくなる…光なんだ… …あの方が笑顔でいられるなら私は…何だってする…!」
絞り出すようにロレンス様は言った。
その言葉が引き出せて俺は少しほっとした。
それが、ロレンス様が見てきた王女殿下。空気が読めないところもあれど、その無邪気さに救われてきた人もいるということ。彼がちゃんと彼女に惚れているという証。
「…俺が発売した楽譜に、『麦の唄』というものがありますが」
未だ伝わらぬ恋に俯いたロレンス様に、俺の言葉が届いたらしい。視線が交わる。
「結婚して故郷を離れ、夫と生きていくと決めた女性の郷愁の歌です。…王女殿下は、貴方と結婚したら辺境に行くことになりますね。生まれ育った王都を離れて。親、兄弟、友人、二度と会えない訳じゃなくてももう簡単に会うことは出来ず、住む場所は変わって…何もかもが大きく変わる。その地に受け入れてもらえるかもわからない。もしかしたら親しい人は、離れているうちに病気をしたり帰らぬ人になるかもしれない。それがどれだけ不安なことかわかってますか」
「そ、それくらいわかって…」
「いいやわかってない。愛した人のもとに行くのだって故郷を離れるのは辛いんです。愛していると言ってもくれない人の為に慣れない土地に嫁ぎたい人がいますか!?言わなくても行動でわかれなんてのは甘えです!!そんな甘えは長年連れ添った身内の極一部にしか通じません!!愛しているからずっと大切にするから一緒に来てほしいと伝えなきゃいけない!! それが!!! まだ貴方を愛していない王女殿下に対してまず貴方がすべきことです!!!!!」
ロレンス様の手は緩んで、俺の首は苦しくなくなった。
「……そして、笑顔でいてもらう為に何だってする、俺がそう思う女性はジュリエッタ様ただ御一人です」
真っ直ぐ目を見てそう言うと、驚いた顔をしていたロレンス様は更に目を丸くして放心したように立ち尽くした。モルガン様までぽかんとしていた。
俺が打算でジュリ様と婚約したという誤解は解けただろうか。イリス嬢が思い込んでいたように、ロレンス様も俺が王女殿下に気があると思い込んでた節があるからな。
――――――イリス嬢やロレンス様に、そう吹き込んでいた人がいたのかもしれない。
と、俺は何となくそう思った。
ネレウス殿下から呼び出され、事件の全容を聞かされたのはこの日から一週間後のことだった。




