未来の記憶
「…ごきげんよう。えっと…?…」
「僕はネレウス・ウラドリーニ・ズィルバ。よろしく」
銀髪に緑の目をした美少年にすっと手を差し出された。握手は対等に仲良くしましょうという意思表示で、貴族は普通の挨拶ではあまりしない。商談が成立した時などにするくらい。
待て、今ウラドリーニと言ったか?
「ネレウス、そっちは…おお、アマデウスか」
後ろからユリウス殿下が歩いてきた。ってことはやっぱり。
「こちらはまさか…」
「私の弟のネレウスだ。学院内を見学しに来た」
―――――ズィルバ侯爵家に養子に入っている、第二王子殿下!!!
俺は慌てて差し出されたネレウス殿下の手を握った。
「っ!…?」
ザァッ… と、身体の内側に強風が吹いたような気がした。ネレウス殿下も何かを感じたのか、すぐに手を放す。
「どうした?」
「いや…“小雷”が、少し」
ユリウス殿下が不思議そうに尋ねるとネレウス殿下が答えた。こちらでは静電気のことを小雷と呼ぶ。
何だったんだ今の。静電気って感じじゃなかったけど…。
「…僕の魔力が流れ込んだかもしれない」
「え?」
「いや…流れて来た人の魔力を自分に馴染ませるのが異様に上手いのか…?」
「あの…?」
ネレウス様が顎に手を当てて考え込むようにじっと俺を見てくる。何か早口で独り言を呟いていたが聞き取れなかった。
「ああ、気にしなくていい、考え込むことが多いんだ弟は。行くぞネレウス、一年の教室を見に行こう」
「あ…はい、兄上」
王子二人が校舎に入っていくと通りすがった令嬢たちが色めき立つ。ネレウス殿下は第二妃の子だからかユリウス殿下とは違ってミステリアスな雰囲気の美少年だった。第二王子は出来が良いので第一王子を差し置いて王位に即けたい貴族もいるという噂だが、兄弟仲は割と良さそうだ。
継承者争いとか怖いし、無いと良いよな。
※※※
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【 俺のせいだった。
×××××××が死んだのは。
埋葬される×××××××の亡骸と、ジュリエッタ様のことを思い出していた。
騎士見習いの訓練中にジュリエッタ様の仮面が外れてしまい、それを目撃した騎士見習いが次々と倒れた。
近くにいたので何事かと駆けつけた所、バタバタと気絶したり腰を抜かしたりしている中で平気だったのは俺一人。確かに驚くほど醜い容貌だったが、恐くはなかった。震えた手で仮面を付け直そうとしている彼女に大丈夫、落ち着いてと声をかけ自分の体で彼女の顔を周りの視線から隠す。涙目で俺を見て、目が合うことに驚いている彼女を見たのが最初。
この国で一番醜い令嬢と囁かれるジュリエッタ様に、俺は近付いた。
それは母が初めて俺に出した命令だった。俺が彼女の顔が平気であることをどこかで耳にしたのか、母は甘やかに微笑んでジュリエッタ嬢に優しくしておあげなさい、そして気に入られればお前は玉の輿よ、とうっとりした。
母の言うことを聞くと与えられる予算が増えた。今まで兄のお下がりで何とか凌いでいた生活にゆとりが出来る。何より母にようやく目を向けてもらえたという喜びが心を曇らせていた。親切にしたら嬉しそうにするジュリエッタ様を見て、良い事をしているような気分にもなった。
―――しかしジュリエッタ様の目に熱が籠るのがわかると応えられない罪悪感が膨らんだ。
可哀想には思うがどうしても彼女を女性として愛することは出来そうにない。
俺は沢山の女性に声をかけ、交流し、運命の人を探した。
××××××と出会って、××××××とならきっと夢が叶えられると思った。
そして結局俺は母の指示に背いて、ジュリエッタ様の懇願を拒んだ。
一番に愛してくれなんて言わない、愛人は何人作っても文句は言わないからどうか妻にしてほしいと言うジュリエッタ様の申し出を断った。他に愛している人がいるのです、と言って。
俺は小さい頃からの夢を諦められなかったのだ。
愛した人に愛されて、居心地の良い温かい家庭を作ること。
両親どちらにも望まれなかった俺の、ささやかだけど難しい夢。
そして××××××が死んだ。
不自然な死に方だった。葬儀が終わってもいまいち信じられないで、ぼんやりと日々を過ごしていたらジュリエッタ様が気遣わし気に俺に声をかけてきた。
その時、気付いてしまった。ジュリエッタ様の仮面越しの瞳に浮かんだ恐れと、…狂気に。
気付いてしまった。××××××を殺したのはジュリエッタ様だと。
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俺はジュリエッタ様を憎んだ。二度と近付かないでくれと言い捨てて距離をとった。ジュリエッタ様は学院に来なくなり城に籠ってしまったという。
それから少しして、国中に疫病が広がった。
学院にもじわじわと広がり、俺も間もなく感染した。寮の一室でひたすら治癒師の診る順番が回ってくるのを待っているが、高位貴族から診ているだろうしおそらく間に合わない。
……今思えば、俺に彼女を責める資格があったのだろうか。
××××××を殺したことを許すことは出来ないけれど、そもそも俺が期待させたから、彼女はより深い絶望に落とされてしまった。ジュリエッタ様は陰気で卑屈なところはあったが、思いやりのある人だった。そんな彼女を、人を殺そうと思うほど追い詰めたのは俺ではなかったか。
薄れゆく意識の中で後悔だけが渦巻いている。
ああ、神様。
もし俺がジュリエッタ様を愛せていたら―――何か変わっていたのでしょうか? 】
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……気持ち悪いくらいリアルで長い夢を見た。
内容はところどころ曖昧だが大筋はしっかりと憶えている。ロッソ家の騎士見習いのアマデウスで、前世の記憶はなく、ジュリ様以外の女性を愛した…という人生。愛した女性の名前や姿はハッキリしなかった。何人もの女性が混ざり合ったような変な感じだった。
もしかして、俺が転生しなかったら、『アマデウス』はこうなっていた…?
俺が拒んだ時のジュリ様の悲痛な顔が忘れられない。『自分の言葉で悲しい顔をさせたら死にたくなる』というリーベルトの言葉を思い出す。嗚呼、わかる。
愛した女性をジュリ様に殺された…でもそこまで追い込んだのは自分なのだ、という怒りと罪悪感の入り混じった狂おしい感覚も鳩尾を重くする。
最悪の気分で朝食が食べられなかった。緑茶だけ出してもらって飲む。
メイドや侍従が心配そうに気分が悪いのかと尋ねてくるが体調は悪くないのだ。胃は空っぽなのだが食べられる気分ではない、という状態になったことはこの体では初めてかもしれない。
欠席するほどではないと思ったしジュリ様のいつもの笑顔が見たかったので登院した。
学院ではなるべくいつも通り振る舞っていたつもりだが、放課後校門まで歩いている途中「デウス様、何か心配事でも…?昨日、モデスト伯爵令嬢に強い言葉を使われたとお聞きしました」とジュリ様に心配されてしまった。
そういえばイリス嬢に恫喝されたんだったな。忘れてた。
「それはリーベルトから?」
「リーベルト様がプリムラに伝えて、わたくしに」
いつの間に。
「全く気付きませんでした」
「小さな紙片でこっそりやりとりしていましたから」
あ、ちっこい手紙を回すみたいなやつ?なるほど。学生っぽいやりとり。
「イリス嬢と王女殿下とのことは、ひとまず事なきを得ましたし私は大丈夫です。…少し今朝の夢見が悪くて」
「夢?ですか…」
「…国中に疫病が流行って死ぬ夢でした。妙に現実味があって」
焼き付いていたのはそこではないが、嘘ではない。夢の中で疫病が流行ったことも食欲を減退させた。疫病が流行る時代に聖女が現れる…という符合、ジュリ様の痣が聖女の証かもしれないという推論。遠くない未来に疫病が本当に流行るのかもしれないという不安。
「…大丈夫ですわ、疫病が流行ったとしてもデウス様はわたくしがどんなことをしても治します。デウス様の大事な方たちも死なせないように尽力します。だからどうか安心なさって」
馬車に入ると腰を下ろしたジュリ様が俺の手を軽く引いて座らせ、胸に抱き着いてきた。
いつも遠慮がちな彼女がこんなに大胆に接触してくるなんて珍しい。それだけ俺が気落ちしているように見えたのだろうか。
ジュリ様の背中に手を回して緩く抱き締め合う。体温に不安が溶かされていく。
ジュリ様を愛せなかった『アマデウス』の代わりに、俺はこの世界に呼ばれたんだろうか。
俺が入る前の『アマデウス』がいたとしたなら、どこに行ったのだろう。俺と一つになったのか、消えてしまったのか、はたまた他の世界に生まれ変わっているのか。
……きっとそれは俺の与り知れることではない。
でも『彼』の願い、夢は憶えている。
愛した人に愛されて、居心地の良い温かい家庭を築くこと。
それは俺に叶えられないことではない筈だ。
少し体を離して彼女の顔を見る。夢見くらいで、と呆れたり馬鹿にしたりしないで、俺の不安を取り除こうと微笑んでくれている。
どんなことをしても、と言うからには、彼女は俺を治す為にどんなこともするのだろうと思えた。
それこそーーーーー人を殺すことすらするかもしれない。
そこにあるのは決して健全な感情ではないと思うけど、俺はそれを嬉しく思う。それだけの愛を向けられていることに幸せを感じてしまっている。
たとえ明日、ジュリ様の顔がこの世で一番醜く見えるようになってしまったとしても、俺はこの人を好きでいられると思った。
「…ジュリ様。愛しています」
「!っ…わたくしも、」
気が逸って返事を聞く前に唇を押し付けると、目を瞑って応えてくれた。舌同士が触れた瞬間、ビクリと彼女の体が震えた。
もしや噛んでしまったかと驚いて唇を離すと、「あっ…すみません、何か…小雷?のような感じが」と戸惑っていた。
舌と舌で静電気って起こるのか……?
そういえば…ネレウス殿下も握手した時言ってたな。
「昨日ネレウス殿下と握手した時も小雷がきたって言われました。俺、帯電してるんですかね…?」
「不思議ですね… ネレウス殿下とお会いしたのですか?」
ネレウス殿下はほとんど社交の場に出てこないらしく、ジュリ様も会ったことが無いそうだ。レアキャラだったのか。
ついまた長居してしまったとハッとして、彼女の手の甲にキスしてから名残惜しいですがまた明日、と挨拶して馬車を降りた。
照れたように笑った彼女の顔を瞼の裏に再生する。悲しませていない、夢の中のあんな悲痛な顔をさせることはない。きっとこれからも。
…そう思えると急に腹が減った気がして、急いで自分の馬車へ向かった。




