表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
美女に子種をせがまれて  作者: ぬ~ぶ
8/46

#08 買えば下がり売れば上がる


『それはそうと、あなたはスポーツくじに興味ありませんか?』


「いいえ」※クリック


『なら、占いはどうですか?』


「いいえ」※クリック


『なら、旅行はどうですか?』


「いいえ」※クリック


『なら、コスメはどうですか?』


「いいえ」※クリック


『なら、結婚は? バイクは? ペットは?』


「いいえ いいえ いいえ」※クリック クリック クリック


『あなた、さっきから“いいえ”ばっかりじゃないですか』


「はい」※クリック


『あ、久しぶりの“はい”ですね』


「はい」※クリック


『じゃあ、うちでデビットカードを作りましょうよ』


「いいえ」※クリック


『いや、そこは“はい”でしょうがッ』


「いいえ」※クリック


『そこまでして退会したいのですか?』


「はい」※クリック


『止めても無駄なの?』


「はい」※クリック


『土下座してもダメ?』


「はい」※クリック


『マジか、お前』


「はい」※クリック


『あなたの頑固さには負けました。退会手続きは完了しました。以上です』


「ふぅ~ッ。やれやれだ……」


 定額制動画配信サービス ネットフリッカーズの退会手続きが今、ようやく完了した。


 時刻は12時9分。


 ノートパソコンを閉じて大きく伸びをすると、雑賀武留はおもむろに立ち上がった。


 台所へ向かい、スウェットシャツの袖をまくって入念に手洗い。


 やかんで湯を沸かし、カップヤキソバを作った。


 冷蔵庫から取り出した缶コーヒーの飲み口はエタノールでしっかり消毒。


「ひははひはふ(いただきます)」


 割り箸を口にくわえて合掌すると、武留は昼食に取りかかった。


 左手でヤキソバを掻き込みながらも、右手ではスマートフォンを操作し、市場ニュースを次々と表示させる。


 11時半の前場終了から12時半の後場開始までのランチタイムに、適時開示――上場企業が各々発表する自社に関するニュース――が出ることはままある。


 もし、自分が保有している銘柄に「自社株買い」「業務提携」「特許取得」などの好材料が出てくれたら、後場開始早々にストップ高なんてことも充分あり得る(まぁ、その反面「新株予約権発行」「工場火災発生」「データ改ざん」といった悪材料が出ればストップ安にもなり得るのだが)。


 だから、昼飯中といえど目を光らせておく必要があるのだ。


「んー、今日も何も出ねぇな」


 ごちそうさまと手を合わせ ウェットティッシュで唇を(ぬぐ)った武留は、手早く後片付けを済ませた。


 そして、ひじ掛けのついたハイバックチェアにその身を沈めた。


 面前のダークブラウンの書斎机には、ノートパソコンの他に三つの液晶ディスプレイがモニターアームによって設置されている。


 どれも安物には違いなかったが、(はた)から見れば いっぱしのデイトレーダーである。


 武留は尤もらしい顔つきで、メタルフレームのメガネの奥から各ディスプレイを巡視した。


 そこには日経平均や個別銘柄の株価チャート、ワンクリックで売買注文が出せる発注板、ドル円&クロス円の為替指標、世界各国のリアルタイム株価指数、国内外ニュースの速報サイトなんかがこまごまと映し出されていた。


 そんな中、また連中のコラムが目についた。


『日経平均が暴落しても心配無用。テーマ性のある値動きの軽い中小型株を狙え。例えば月次が好調のなんたらかんたら……』


『米中貿易摩擦は既に織り込み済み。足元、叩き売られた感のあるハイテクセクターに見直しの機運がどうたらこうたら……』


『今年の夏は猛暑になるとのことなので、飲料メーカーの加藤園やユウヒホールディングスに妙味がうんぬんかんぬん……』


「ったく、どいつもこいつも」


 ずいぶん伸びたボサボサヘアーを掻き上げて武留が眉根を寄せる。


 経済評論家だかエコノミストだか知らないが、この(たぐ)いは食わせ者ばかりである。


「あの業種がいい」「この銘柄を買え」などさんざん勧めておいて、予想が外れたら知らんぷり。

 何事もなかったかのように、また新たな見通しを書き連ねる。


 好き勝手に予想を発信した挙句「外れても怒らないでね。自己責任だよ」だなんて、競馬の予想屋と変わりゃしない。ホント気楽な商売である。


「よし、今日こそは頼むぜ……」


 後場の取引が始まった。


 武留は今年に入ってからスランプに陥っている。

 買えば下がり売れば上がるといった惨状だ。


 月4~5万ペースで損失を出していて、生活費の支出分も加えると、現時点で52万ほどの赤字となる。


 かつて90万を軍資金にスタートして、一時は300万にまで増やしたというのに……。


「クソ、何でだッ!? 俺の買った株だけ上がらねぇ」


 この日はアジア株も堅調で、為替も円安含みで推移、ダウ先物もプラス圏を保っていた。

 日経平均株価は前日比+292円で引け、東証33業種のうち30業種が上昇するほぼ全面高であった。


 にもかかわらず、武留はまたしても利益を出すことができなかった。


「株で食ってくなんて所詮 夢物語か……」


 武留はパソコンとディスプレイの電源を落として深いため息をついた。


 畳にゴロンと仰臥(ぎょうが)して、古ぼけた天井板のシミをぼんやり見つめる。


 アパートの家賃は共益費込みで5万3000円。


 それに水道・光熱費と食費、ネット接続料にスマホ代金も加えれば、やはり最低でも月10万はないとやっていけない。


 ビル警備のバイトは1年前に辞めてしまっていた。


 仕事は楽だが、どうも体調が優れないのだ。


 夜通し起きてる生活が続くと体内時計が狂うからだろう。


 まぁ、その頃は投資が絶好調だったし、専業でやっていける自信もあったからだが。


 で、無職となって投資にのめり込むうち、武留は出不精になってしまった。

 外出といえば、食料や日用品の調達時ぐらいとなったのである。


「このままいったら引きこもり確定だな……」


 自嘲の笑みを浮かべて武留はそっと目を閉じた。



 ふっと視界が戻って、眠っていたことに気づく。


 やおら上体を起こし、壁に掛けてある電波時計に目をやる。


 時刻は4時53分。


「小腹が空いたなぁ……」


 武留は台所に入ると、冷蔵庫から最後の1個となる『サンふじ』を取り出した。


 数あるリンゴの中でも、甘い・酸っぱい・硬い・安いの四拍子揃った武留お気に入りの品種である。


 元来 食にはそれほど興味ない彼なのだが、こと果物に関しては別。


 柿とバナナ以外なら何でもウェルカムで、

『もし金が許すなら、冷蔵庫内を常に果物で満杯にしておきたい』

 と、そう願うくらいに好物だった。


 特に甘味と酸味を兼ね備えた果汁たっぷり系が好み(だから柿とバナナはNGなのだ)で、そんな果物に舌鼓を打っていると嫌なことも忘れ、気が楽になるのだ。


 武留はリンゴを流水に当てながら、たわしでゴシゴシ擦った。

 そして、石鹸を泡立てリンゴを洗った。


 無論、残留農薬対策だ。


 ただ実際には、重曹や酢を使わなければ完璧には落とせないらしい。

 そのことは彼も承知している。


 だが、そこまでする必要はない。


 皮はちゃんとむいて食べるのだし、何より農薬除去という行為を成したことに意義がある。

 それで満足感が得られれば、少しくらい農薬が残っていようとOKなのだ。


「そういえば……」


 ペティナイフでリンゴの皮をむきながら、武留は苦笑を漏らした。


 以前 歳暮で松茸が実家に届いた際、彼がたわしと石鹸で洗おうとして、母親が羽交い絞めで、妹が足にしがみついて必死に阻止したことを思い出したのだ。


「あの時は非国民呼ばわりされたっけ……」


 今となっては愉しい思い出である。


「……お、当たりだな」


 真っ二つに切ったリンゴの断面には、蜜がしっかり入っていた。


 それをくし形切りして楊枝を刺すと、武留はまな板の前に立ったまま食べ始めた。


「ん~、最高♪」


 1個100円で買った大衆果実が、なぜにこんなにうまいのか。

 申し訳ないほどありがたい。


 株の損失などすっかり忘れ、鼻歌交じりでリンゴをパクつく武留青年であった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ