#06 コンババインへようこそ
「爺さん、あんた何者だ? どっから来た?」
「えっ……いや、わしは、その……旅の者じゃ。ずっと南方から来た。で、迷ってしもうてな」
わしは適当なことを言った。
相手はまだ子供じゃし「死んで冥界の裂け目から落ちてきた」なんて言うても怖がるだけじゃろうから。
「この森は『さまよいの森』といってな、地元の人間でさえ迷っちまうほど危険な樹海なんだ」
「ほぉ、そうじゃったんか……。けど、君は? 迷わないのかい?」
「俺は大丈夫。だって先祖代々この森で暮らしてるんだもん」
「猟師の一家なんだね?」
少年の背から見え隠れするライフル銃を一瞥して訊くと、
「あぁ、そうさ。それも一流のな」
彼は得意げに言って、人差し指で鼻の下を擦った。
「ときに、少年。この菓子の家は一体何なんじゃ?」
「これは、森へ迷い込んだ人間、特に子供をおびき寄せるために造った家だよ」
「誰じゃ、そんなけしからんことをするのは」
「もりんばさ」
「もりんば?」
「ほら、やまんばって言うだろ? ここは森だから、もりんば」
あぁ、森姥か。
山姥の森版じゃな。
「で、そのもりんばはどこにおる? わしゃ、まだ見とらんぞ」
「もう、いないよ。3年前に退治したから、俺の父ちゃんが」
「え? なら、何で菓子の家は健在なんじゃ? まるで新築みたいじゃぞ」
「うん、それなんだよ。実は俺たちにもよく分からないんだ。もりんばを退治した後、皆でこの家をぶち壊したんだけど、次の日になったらまた元通りになってるんだよ」
「あっ、そういえば……わしもこの数日ずいぶんと菓子を食い散らかしたもんじゃが、全然減っとらんなぁ」
「父ちゃんが言うには、まだ妖気が残っていてそう簡単には消えてくれないんだってさ」
「そうか。いやはや、何とも恐ろしい話じゃのう……。しかし少年、よくぞわしを見つけてくれた。おかげで命拾いしたよ」
「まぁ、月に1度は見回りに来てるからな。けど爺さん、安心するのはまだ早いぜ」
「え、何でじゃ?」
すると、少年は急に厳しい顔つきになって、
「あんた、きっと糖尿病だよ。それも重度の」
「バ、バカなッ、何を言うか。わしの家系は糖尿とは無縁じゃ」
「ウソだと思うんなら、外に出て 立ちションしてみな」
「あぁ、ええとも。んじゃ、ちょっと肩を貸してくれ……」
わしは少年の肩を借りて表へ出た。
そしてポコチンを取り出すと、地面に小便の小池を作ってみせた。
そしたら少年の奴、それを鋭く指差して、
「ほら、見てみな」
「あッ!?」
見る見るうちに、無数のアリが小便に群がってきよった。
「そ、そんな……」
ショックのあまり、ヘナヘナとくずおれてしまう。
そんなわしを見下ろしながら、少年は言った。
「ここから一番近い町に俺が連れてってやる。そこで医者に診てもらうんだな」
こうしてわしは、少年の愛馬に乗せてもらい さまよいの森を脱出したんじゃ。
◇
辿り着いた先は『コンババタウン』。
人口2千人にも満たない小さな宿場町じゃ。
少年は『コンババイン』という宿屋の前でわしを馬から降ろすと、
「ここも安全とは言い切れないから長居は無用だぜ。回復したら、すぐ出ていくんだ」
「おい、それはどういう意味じゃ? 何か問題でもあるっちゅうんか?」
「さあな。ここの店主にでも訊いてみれば? じゃあ、俺はもう行くぜ。達者でな……」
意味深な言葉を残しつつ、少年は去ってしもうた。
わしは彼に言われた通り、宿屋の主人を頼ることにした。
「コンババ……イン? けったいな屋号じゃのう」
石畳の通りにポツンと建つその上物は、宿屋にしては ちと小さすぎるように思えた。
ただ、レンガと木枠の壁が何とも小洒落ておる。
窓辺には色とりどりの花たちが溢れんばかりに咲いとった。
わしは、おぼつかない足取りで入り口の扉をくぐった。
酔いどれジジイとでも思われたのか、すれ違う客らしき男に舌打ちされた。
「ありゃりゃ……」
フロントに行き着く手前で、バタリと倒れ込んでしもうた。
そんなわしに、
「大丈夫ですか?」
従業員らしき婦人が、そっと手を差し伸べてくれた。
ちょいと地味な感じだが、なかなかの別嬪じゃった。
「こりゃ、どうも。ご親切に」
「今日はお泊りですか?」
「んー、そうじゃな……そうなると思うよ。あの、すまんが店主を呼んできてくれんかのう」
「私がそうです。店主のリサと申します。コンババインへようこそ」
きっちり45度の角度でお辞儀するリサさん。
「おや、あんたが……」
わしは改めて彼女を見直した。
歳は30過ぎくらいじゃろうか?
清潔で淑やかな黒髪のワンレングスが印象的じゃ。
目尻は少し下がっておって、優しい感じ。
それでいて、何とも言えぬ安らかな色気があった。
シックなパンツスーツは細身によく映えておって、まるで彼女のためにあるような服に思えた。
「実は、さまよいの森で死にかけとるところを助けてもらってな、狩人の少年に」
「あぁ、サワデね。彼のことなら よく知ってます」
サワデというんか、あの少年。
何だか、トイレの芳香剤みたいな響きじゃのう。
「で、そのサワデくんに宿屋の店主を頼れと言われてな……じゃが、まさかこんな美人が店主じゃったとは、驚き・桃の木・やる気・元気・いわきじゃよ、まったく」
「いえいえ、そんな、私なんか全然……」
と、謙遜しつつ 頬を赤らめるリサさんじゃったが、
「では、さっそくお部屋にご案内しますね。どうぞ――」
わしはリサさんの助力を得て客室へ入り、ベッドに横たわった。
彼女はすぐさま医者に連絡を入れると、着替えや食事を用意してくれた。
医者は間もなくやって来た。
わしと同じつるっぱげでな、目つきが悪く、ヤギ髭をたくわえたジジイじゃ。
そいつは愛想の一つも言わず、いきなり わしの指に針を刺しやがった。
そして、その指の血を1枚の葉っぱの上に垂らしよった。
「これはアマトウという木に生える葉でな、糖に触れると変色を起こすんだ。ほーら、さっそく変わってきたぞ……」
扇形をしたその葉っぱは、緑色から黄、橙、赤、紫と変化してゆき、最後は真っ黒になって干からびてしもうた。
「何だぁ、これはッ!? こんなの初めて見た」
医者は頓狂な声を上げて呆れ返った。
「その口ぶりからすると、あまり芳しくないようじゃな」
「芳しくないどころか、史上最悪だよッ。赤色でもかなり危険レベルだというのに……っていうか、あんた よく意識を保ってられるな。普通だったら昏睡だぞ」
つまり、わしの血は激甘ということか。
大の甘党であるこの葉っぱでさえ耐えきれんほどの……。
で結局、わしは重度の糖尿病と宣告されてしもうたんじゃ。
それから以後は、この宿屋に厄介になって治療に専念した。
治療といっても、チャンリンシャン注射を打つくらいじゃがな。
チャンリンシャンっちゅうのはイボゴリラのイボに含まれる成分の一種でな、血中糖度を一定に保つ作用があるんじゃと。
あとはまぁ、バランスの取れた食生活と適度な有酸素運動を心がけておればよい。