#04 そりゃないぜ水谷さん
しかし振り返れば、この年は激動であった。
4月に失恋して、8月に大学中退、9月の赤シャツ事件を経て独り立ち、10月に20歳を迎え、11月に株デビュー ……。
“人生、成り行き”なんて言う人がいるけれど、武留のこの1年を見ていると同感せざるを得ない。
ただ……
彼はもう忘れたかった。
思い出すのも辛かったし、後悔するのも癪だった。
頭をリセットして忘れたいのだ、この年を。
年を忘れる?
忘年……
そうだ、忘年会だ。
という訳で、武留はバイト先の同僚連中に忘年会の開催を呼びかけた。
奈良漬をかじっただけで赤くなるほど下戸なくせに、柄にもなく積極的に声をかけ、日時を決め店まで押さえたのだ。
だが、そこまでしたのに、当日てめぇが病欠したのだからお話にならない。
昼を過ぎた辺りから突如、猛烈な吐き気と腹痛に襲われ、便器から離れられなくなってしまったのだ。
日付が変わってようやくトイレから這い出たものの、今度はめまいと倦怠感にやられ、そのまま廊下で就眠(のちにネットで調べたところ、サルモネラ菌の仕業らしいことが分かった。前の晩に総菜屋で買ったオムライスの卵に潜伏していたと思われる)。
で、朝方目覚めて具合も幾分良くなった武留は、忘年会をすっぽかしたことに気がついた。
慌ててスマホをチェックしてみると、同僚の爺さん連中からの着信が何件も入っていた。
武留はとりあえず水谷勇に電話してみた。
だが『電波の届かない場所にいるか電源が入っていないため、かかりません』のアナウンス。
ならばと今度は松永さん――ちょび髭がトレードマークの釣りバカ爺さんだ――にかけてみた。
「あぁ、雑賀くん。連絡取れないから心配してたんだよ」
「いや、昨日は本当にすいませんでした。急に食あたりになっちゃいまして……」
「あぁ、そうだったの。それは大変だったねぇ。けど、こっちも大変だったんだよ。実は水谷さんが――」
バイト先のオフィス街から少し外れた所に『やりじまい』という居酒屋があって、その店の前で6時45分に待ち合わせだった。
既に面子は揃っていたが、武留だけが現れない。
7時までに予約席に着かなければキャンセル扱いとなってしまうので、水谷が代表して、先に始めさせてもらう旨のメールを武留に送り、一同店内へ。
2階の座敷席にて忘年会はスタートした。
まずはビールで乾杯して、運ばれてくる料理をつまみながら皆で1年を振り返った。
だが年寄りばかりが集まると、どうしても病気の話や家族への愚痴、墓の心配といった辛気臭い話題となってしまう。
そうなることを見越していたかは不明だが、水谷が賑やかしに一役買った。
この日のために密かに練習を積み重ねてきたというある芸を披露したのだ。
それはなんと“人間ポンプ”であった。
持参したカバンから水筒を取り出すと、中身を空いたジョッキに注ぎ入れる。
金魚すくいでお馴染みの小赤が数匹と、黒出目金が1匹だった。
水谷は小赤を1匹手に取ると、口の中へ放り込んだ。
そして飲み込んでみせるのだが、その際に喉元を押さえて苦悶の表情を浮かべたのだ。
「おい、大丈夫かッ!?」
「救急車を呼べ!」
だが一転、ニッコリ笑って両手を広げる水谷。
「なぁんだ」と、胸を撫で下ろす同僚たち。
大口を開けて舌を出し、口内に金魚が残ってないことを皆に示した水谷は、下っ腹を軽く叩いて体をくねらせ一気に金魚を吐き出した。
「おぉ~ッ、凄い凄い」
「見事じゃ! 水谷さん」
拍手喝采を浴びて気をよくした水谷は、
「今度は出目金に挑戦しますッ」
と、高らかに宣言。
小赤より二回りは大きい黒出目金を手に取ると、口内へ運び嚥下する。
そして、また喉を押さえ痛苦に顔を歪めるのだ。
対する同僚たちは、金魚でなく固唾を呑む。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……ちょっと、長くねぇか?」
サル顔の小林さんがボソッと呟いたのとほぼ同時に、水谷が白目をむいてぶっ倒れた。
「背中じゃ、背中を叩けッ」
「おい、店員。掃除機持って来い!」
「それよりまず救急に電話じゃろが!!」
同僚らの察知が遅れたのは無論、1回目の際のハラドキ演出が原因。
“狼少年のウソ”じゃないが、完全に裏目に出た形だ。
そして、応急処置の経験もない動きの鈍い爺さん連中が右往左往している間に、水谷勇は三途の川を渡りきってしまった。
救急隊が駆けつけた頃には水谷の顔は土気色となっており、それはまさにヨーダそのものであったという。
この不幸な事故――というか珍事――はテレビや新聞で報道され、ネットでも話題となった。
その年の『タージン賞』(愚行により死亡した者に贈られる賞)にまでノミネートされる始末だった。
しかし、堪らないのは水谷の遺族である。
恥ずかしいやら情けないやらで近所を歩くのさえはばかられた。
葬儀もこっそり自宅葬。
孫は学校で苛められるし、イタズラ電話はかかってくるし、生きた金魚を送り付けられることもあった。
完全なる人間不信。
だから、武留ら同僚が墓参りを望んでも受け入れはしなかった。
けど、やはり一番辛かったのは水谷本人であろう。
1度も年金を貰うことなく非業の最期を遂げたうえ、物笑いの種にされたのだから……。
雑賀武留は「死」を意識した。
生まれて初めて、リアルにそれを意識したのである。
身近な者が死んだのだから当然だ。
死は必ずや訪れる。
生きとし生けるものすべてに。
平等という点においては申し分ないが、いつどのような形でやって来るか分からないのが厄介で恐ろしい。
生まれて3年と経たぬところへ来たかと思えば、90年も経ったところにまだ来なかったりする。
そんな気まぐれな状況下で、人はなぜ平然としていられるのだろうか?
なぜ、死ぬと分かっていて頑張れるのだろうか?
武留は思う。
必死に勉強したところで あくせく働いたところで 明日事故死するかもしれないし、来年病死するかもしれないじゃないか。
なのに、なぜ希望を持てるんだ?
夢をいだけるんだ?
オギャーと生まれたその瞬間から、死へのカウントダウンは始まっているんだぜ。
そんな定めの中、なぜ皆 笑っていられるんだよ。
明日、自分が死ぬ訳がない。
10年後も20年後もピンピンしてるさ。
本気でそう信じてるのか?
だったら相当おめでたい。
俺には無理だ。
俺は怖くてしょうがない。
寿命のロウソクの火がいつ消えるかビクビクしながら生きてゆくタイプだ、俺は……。
なるほど、いかにもペシミストの武留らしい死生観である。
だがまぁ、逆に言えばだ。
限りある命だからこそ、いつ終わるやもしれぬ命だからこそ、頑張れるのではないか?
1秒たりとも無駄にせず、精一杯生きようと思えるのではなかろうか?
とはいえ……
今夜無事に寝床に就ける保障などないこの世界で、皆どうやって気持ちに折り合いをつけて日々を過ごしているのだろうか?
今、この文章を目で追っているあなたにも問うてみたいところである。