#39 カエモットで買え もっと
ピーカン。
雲一つなく、澄みきった青空。
だが、清々しい五月晴れとは言い難い。
夏日以上 真夏日未満といった空模様であった。
「たまには歩くか……」
挿しかけた自転車のカギをジーンズのポケットに戻すと、雑賀武留は徒歩でアパートを後にした。
ここ1週間はすっきりしない天気が続いていた。
それだけに、この快晴がとても貴重に思える。
自転車で行って帰れば、陽を浴びる時間は都合7~8分だ。
それではもったいない気がした。
引きこもり気味で運動不足でもあったし、たまにはしっかり歩いてたっぷり日光浴すべきだ、と思ったのである。
「やっぱ、半袖でよかったなぁ」
日差しに目を細めながらカットソーの袖をまくり上げる武留。
早くも脇に汗染みができている。
時刻はちょうど2時を過ぎたところ。
1日のうちで最も気温が高くなる時間帯である。
武留はいつものように住宅街を通って目的地の店を目指した。
道路の左右に連なる家々を見るともなく見やる。
敷地内の駐車スペースで仲良く洗車する夫婦……
ビニールプールで水浴びに興じる幼児……
回覧板をうちわにして玄関先で話し込む主婦……
芝生の庭で愛犬とフリスビーを楽しむ飼い主……
どれも悪くない情景だ。
皆、活き活きと輝いて見える。
「それにしても暑い。せめて、もう少し風がありゃなぁ……」
額の汗を袖で拭い、武留は信号を渡った。
さらに歩みを進めていると、次第に道が開けてきた。
店舗がポツポツと目につくようになる。
といっても花屋に薬屋、床屋に自転車屋……と、人通りを増やすものでもなかった。
接骨院を越え クリーニング店も越えると、切妻屋根の大きな建物が見えてきた。
紅白チェックの外壁に、真っ黄色の どでかい看板……
そう、ディスカウント・スーパー『カエモット』である。
赤字覚悟の1円セールと、クジラの解体ショーはあまりにも有名。
2015年には調理前のフグを店頭に並べてしまい、購入客とその家族を含む計7人が中毒死するという不祥事を起こしたものの……
今や、完全に立ち直って元気に営業中だ。
武留は入店すると、買い物カゴを手にした。
腰に下げたヒップバッグから使い古しのレジ袋を取り出し、カゴに入れる。
珪藻土の白壁に、ランダムウッドの床。
電球色と昼光色を効果的に組み合わせたLED照明。
どぎつい外観とは打って変わってのシックさである。
冷房は、よく効いていた。
瞬時に汗が引き、肌寒さすら感じるほどだ。
客入りは、まだ六分といったところ。
ここから徐々に増えていって、夕方以降には芋の子を洗うようになる。
そうなる前に、さっさと会計を済ませ 退散すべきだ。
武留はまず青果コーナーへ向かった。
「おっ」
ピタリと立ち止まる。
一番目立つ場所に、一番目立つポップで、
『ゴールドキウイ 大玉3個 税込420円!! 』
と ある。
それは、緊急大放出と銘打っての大売り出しだった。
武留は湧き出る生唾をゴクリと飲み込んだ。
ゴールドキウイは、あのマンゴーにも匹敵する美味なる果実である。
これは是が非でも手に入れたいところ。
「1個 140円か……」
その場に立ち尽くし、思い惑う武留。
ダメだ、予算オーバーだ。
果物は1個あたり100円まで、と決めている。
たかが40円でもオーバーはオーバーだ。
そこを「40円くらい、いっか」と 許してしまうと「60円くらい、いっか」「80円くらい、いっか」と エスカレートしていくのは必至。
そもそも今、家計は火の車なんだ。
嗜好品なんか買ってる場合じゃねぇ。
もっと財布の紐を堅くしなきゃ。
こないだ 妹にピザを振る舞ったばかりだしな。
夏まで待とうぜ。
夏本番になりゃ、1個 100円で買えるようになるさ。
それまで我慢だ。
いや、でも……
旬まで待ったからって、そこまで安くなるかぁ?
去年は確かに安くなったけど、今年もそうなるとは限らない。
っていうか、緊急特売だぜ。
これ逃したら、もう次ないかもしんない。
だから今回だけ、1回限りということで……。
だが、結局 見送ることにした。
後ろ髪引かれる思いで場を離れる武留。
その他の果物に目を向ける。
小玉のリンゴが1個 58円で売っていた。
けど、武留の好きな『サンふじ』ではない。
しかも、くすんでいて萎んだ感じ。
とても手を出す気にはなれなかった。
次に、カップ麺の売り場に足を運ぶ。
だが、普段と変わらぬ値段だったので 素通りして冷凍食品コーナーへ。
さっそく、これみよがしに売上ナンバーワンを明記しているパッケージが視界に入る。
武留は露骨に嫌な顔をした。
それは、電子レンジで調理可能な冷凍チキンナゲット。
値段も手頃だし、味も悪くはなかった。
だが、添付のバーベキューソースに問題あり。
油でベトベトなもんだから、どう頑張ったって一向に開けられないのだ。
いくらマジックカットでも、これじゃあ意味がない。
なぜに、油まみれのナゲットの中に放り込む?
開け口の直下にレシピを記載している食品パッケージなんかも同様で……
メーカーが、いかに消費者の目線に立っていないかの顕れである。
『冷食なら、やっぱ 炒飯かスパゲティあたりだよな……』
武留は横歩きにショーケース内をチェックした。
だが、こちらも普段と変わらぬ値札。
また次回に期待することにした。
そして、最後に訪れたのが惣菜売り場だ。
中央にドンと置かれた陳列台。
そこに敷き詰められたステンレス製バットに、揚げ物がずらり。
串カツ、ヒレカツ、コロッケ、エビフライ、唐揚げ……。
どれもこんがりキツネ色で、いい匂いをさせている。
だが、この手の類に武留は一切手を出さない。
バイキングみたいにむき出しだから不衛生極まりないのだ。
ホコリに 細菌に ウイルスに ツバ。
髪の毛も舞い落ちるだろうし、外から小バエも飛んで来る。
『こんなもん買う奴の気が知れねぇ。これ食わなきゃ餓死するとしたら、俺は迷わず餓死を選ぶね』
そんなことを思っていると、彼の目の前でとんでもない光景が繰り広げられた。
眠たい顔した小汚い婆さんがトコトコトコッとやって来て、なんと、手の甲でコロッケに触れたのである。
で、買うのかと見ていたら、そのまま行ってしまったのだ。
『あ、あ、ありえへーんッ!! 』
武留は胸の内で絶叫した。
温かさの確認か何か知らないが、こんなこと許されるはずがない。
以前、桃を指で押すオバハンを目撃したことがあるが、それを遥かに上回る暴挙だ。
万死に値する。
『もういい。さっさと晩飯買って帰ろう……』
軽いめまいを感じつつ、すぐ隣の陳列台に目をやる武留。
和・洋・中の各種弁当が平積みされている。
だが、どれも似たり寄ったりで魅力は感じられない。
武留は一番無難なものを買うことにした。
唐揚げ弁当を選んだのだ。
税込み500円の品だが、2割引きシールが貼ってあるので400円となる。
唐揚げが5個と、薄っぺらい卵焼きが1枚。
ケチャップで和えただけの、具のないスパゲティがちょぼっと。
あとは、ピンク色の酸っぱい漬物が白米の脇に添えてあるだけだった。
栄養の欠片もありゃしない。
野菜ジュースでもつけようか。
だが『市販の野菜ジュースの大半は、製造過程で主要な栄養素が破壊されているので 健康に効果なし』との記事をネットで読んだことを思い出す。
やめとくか……。
買い物カゴに弁当1個を入れ、武留はレジへ急いだ。
「――以上、お会計400円になりまぁす」
黒縁メガネの可愛らしい女性店員が朗らかに言った。
「カードでお願いします」
と、クレジットカード(警備員時代に作っておいた)を差し出す武留。
店員は決済端末機のスリットにカードを通した。
そして、何とも明るい笑顔で、
「お支払い回数は?」
イラッとする武留。
んなもん1回払いに決まってんだろがッ、と 怒鳴りたいところをグッと堪えて、
「1回で……」
「1回払いですね。承知しましたぁ」
ここにも居やがったか、マニュアル人間。
まったく、臨機応変って言葉を知らんのか。
「では、カードの方 お返ししまぁす」
それとも、あれか?
400円の弁当も一括で買えないくらい貧乏に見えたのか?
「はい、こちらレシートになりまぁす」
だったら「24回払いで」って答えてやりゃよかったな。
そしたら、どんな顔しただろ……。