#37 神の手を持つ女
「いやぁ、こんなとこまでわざわざお越しいただきまして、恐れ入ります」
「いえいえ。ターゲットの住むアパートも同じ大藁輪市ですから、問題ナッシングですよ」
「あ、申し遅れました。私、佐藤多江といいます。以後、お見知りおきを」
「アーシャです。こちらこそ、よろしくお願いします」
礼儀正しい いい子ね。
だけど……
何で、こんなハタチそこそこの小娘相手に敬語で話さなきゃなんないのよ。
だいたいこの子は なーんも凄くないし、ぜーんぜん偉くもないからね。
ただ、カリスマ宗教家の子供ってだけ。
よくテレビなんかで、ノーベル賞とった学者の嫁が授賞式に同伴してチヤホヤされる画を見るけど……
偉くて凄いのは学者当人であって、嫁じゃあないからねッ。
嫁は、助手でもなければ研究に携わってもない、ただの凡人。
なのに、受賞者と同じⅤIP待遇を受けるのは間違ってるわ。
ま、これは、ファーストレディーにも言えることだけど……。
確かにそうだ。
アーシャは近い将来、何の苦労もすることなく受け継ぐだろう。
父親が築いた富と地位と権力を、そっくりそのまま まるで居抜き物件のように。
満たされる者はどこまでも満たされ、満たされぬ者はどこまでも満たされない。
それが世の常というものか……。
「ンフー♪ フフーン♪」
店主が弾むような足取りで注文した品を運んできた。
いつにも増して破顔、いそいそとした振る舞いである。
そりゃ、彼だって人間の男……いや、動物のオスだ。
こんな魅力的なメスを前にすれば、嬉しくもなるし高揚もするだろう。
「で、さっそくなんですけど……」
と、本題を切り出すアーシャ。
アイスミルクティーに挿したストローをチュッと吸ってから、
「今回の依頼について、もうマサさんからは?」
「えぇ、もちろん聞いてますよ。ざっくりとですけど……」
そう答える多江。
チョコシロップがたっぷりかかった てんこ盛りのトルコアイスをスプーンで掬って伸ばしながら、
「要は、そのメガネの坊やをイカせてあげればいいんでしょ? そんなのお茶の子さいさいだわ」
だが、アーシャは浮かぬ顔である。
懐疑の念をいだいているからだろう。
それを鋭く察した多江は、
「あらやだ。もしかして疑ってらっしゃいますぅ? こんな太っちょオバサンに本当にできんのかって」
「い、いえ、決してそんなことは……」
「お言葉ですがね、こう見えても私 “ゴッドハンドの多江”の異名を持つ、手コキニストなんですよ」
すまし顔で言う多江。
大きく開けた口にアイスを運ぶ。
「は、はぁ……そうなんですか?」
「ええ、そうなんです。で、私くらいの超熟マスターになりますとね、もはやパンツの上から……いや、ズボンの上からでも発射させることができるんですよ」
「ほ、本当ですかぁ?」
と、思わず目を丸くしたアーシャだったが、すぐにまた胡乱な眼差しに戻す。
アーシャとて今時の乙女であり、成熟したメスである。
処女膜を無傷で保っているという訳では決してない。
つまり、一通りのことは体験済みなのだ。
だから、この中年女の言葉をそっくりそのまま鵜呑みにはしなかった。
イチモツに直に触れもせず射精させるなど、できるはずがない。
まぁ、こういう人物にありがちの大言壮語なのだろう、と。
「あ、ちょっと失礼しますね……」
そう言うと、多江は席を立ち トイレへ向かった。
その背中を眺めながら、鼻でため息をつくアーシャ。
「大丈夫かしら……」
チンピラ マサの、たっての頼みだからチャンスを与えてやったのだが……
こうして実際に会って話してみると、不安と後悔の念がどんどん膨らんでくる。
やはり、現役の風俗嬢に依頼した方がよかったんじゃないだろうか?
それとも、ヤスが推奨するトコロテン射精にすべきだったか。
けどまぁ、仮に多江が失敗したところで特に失う物もない。
ならば、ダメ元でやってみればよいではないか。
そんなことを とつおいつ考えていると、
「やぁ、僕の運命の女人」
一人の中年男が声をかけてきた。
年の頃は40代半ばといったところか。
栗色の髪をなびかせた 甘いマスクの伊達男である。
ポロシャツにミリタリージャケット、
くるぶしが見えるほど短丈のコットンパンツ、
素足にデニムのドライビングシューズ、
といった いでたちだった。
「え、私のことですか?」
アーシャがそう答えると、男は、
「君以外に誰がいるって言うんだい、子猫ちゃん」
ニカッと笑んで、不自然なくらい真っ白い歯を覗かせた。
「こ、子猫ちゃん?」
「いや、違うな。君は……果実だ。そう、まるで旬の果実のようだ。鮮やかで芳醇で瑞々しい」
「それって褒めてます? 貶してます?」
「褒めてるに決まってるじゃないか、ミス・セクシー・チョコレート」
「はぁ、それはどうも」
うつむいて クスッと笑うアーシャ。
「ところで、君。さっきまでいたボンレスハムとはどういう関係?」
「ボンレスハム? ……あ、佐藤さんですか? えーと、そうですねぇ。仕事上の関係というか……まぁ、そんな感じですかね」
「親しいのかい?」
「いえ。今日、初めて会ったばかりです」
「そうかいそうかい、そうだよねぇ。だって、君とはあまりに釣り合わないもの」
「え、そう思います?」
「思う思う。君がガラスのハイヒールなら、そのソールにくっついたガムだよ、あいつは。似つかわしくないし、一緒にいるべきではないよ」
ゴマ塩の頬髭を撫でながら、語気を強める男。
「でも そう言われましても、これから一緒にある所へ向かわないといけないんで……」
すると 男はアーシャに迫り、彼女の手をギュッと握りしめた。
「僕らはね、今日ここで出逢うために生まれてきたんだ。結ばれるために生まれてきたんだよ。これは運命なんだ。抗うことなんてできやしない……」
そして、アーシャの手を自身の胸に持ってくると、
「ほら、分かるかい? この胸の高鳴りが。永遠にこだまする愛の音が……」
「え、ええ。まぁ……」
ポッと頬を赤らめるアーシャ。
意外にも、満更でもない様子だ。
このオヤジ 言ってることは意味不明なのだが、いかんせん顔が どストライクだった。
それに、異性からこうも情熱的に迫られたことなどなかったので、悪い気はしなかったのである。
「さぁ、今すぐここを出よう。僕の部屋でメイク・ラヴするんだ」
「え、でも……」
「でも も ヘチマもない。ドントシンク! フィール(考えるな! 感じるんだ)」
「んん~、どうしよう……」
「さぁ、早くッ。急がないと、あの肉だるまが戻ってくるぞ……」
「誰が、肉だるまだってぇ?」
「……ッ!?」
男がビクッとして振り返ると、憤怒の形相で仁王立ちする佐藤多江の姿があった。
「おい、オッサン。日曜の昼間っから親子ほど年の離れた娘ナンパして……とち狂ってんじゃねぇぞ、ゴラァ!!」
大声で啖呵を切る多江。
その迫力に、思わず後ずさる男。
「い、いや、違うんだ。君は誤解している。これはナンパなんかじゃなくって、異文化交流の一環であって……」
「なーにが異文化交流だッ。交尾してぇだけだろ! 抜きてぇだけだろが、てめぇは。あー、そうかい、分かった。じゃあ、私が抜いてやるよ……」
居丈高に言うと、多江は男に詰め寄った。
そして、そのモンキーバナナのような肉付きの良い手を男の股間へ持っていった。
「ほぉーら、シャカシャカシャカシャカーッ」
多江は男の股間を擦り始めた。
その手さばきは、あまりに速すぎて肉眼では捉えられないほどだった。
「ひぇひぇひぇひぇひぇ~~~~ッ!!」
ものの30秒かそこらで男は絶頂を迎え、くずおれてしまった。
時を置かずして、白いコットンパンツに大きな染みが広がる。
それは床にまで滴り落ちて、見る間に大きな液溜まりを形成した。
「ふんッ、早漏野郎が。おととい来やがれってんだ……」
捨て台詞を吐くと さっさと席に戻り、またアイスを頬張る多江。
このわずかな時間の出来事を お口あんぐりで見入っていたアーシャだが、
ハッと我に返るや 男の元へ駆け寄って、こう問いただした。
「イッたんですか? イッちゃったんですか? ねぇ、答えてくださいッ。どうなんです!?」
すると、男は何とも情けない声で、
「う、うん、イッちゃった。おしっこまで出ちゃった。僕、こんなの初めて……」
それを聞いたアーシャはすぐさま席へ戻り、
「さっきの話、ウソじゃなかったんですねッ。凄い凄い、凄いわッ、あなた!」
と、多江の肩をしきりに叩いて褒め称えた。