#15 残念な母
「ん~、このショボい部屋に こんな可愛い時計は似合わないなぁ……。仕方ない、あたしが貰ってやるか」
いそいそとパッケージから熊マン時計を取り出し、ためつすがめつする千寿留。
それを半ば呆れ気味に眺めながら、
「お前、100万パーセント優待目当てじゃん」
と、ツッコむ武留。
まぁ、こんな調子で優待品を奪われてしまったのだが、何もこれが初めてという訳でもない。
こないだも、ファストフード店『ミャキュドニャリュド』の優待券(2000円分の食事券)を「こんなジャンクフード、体に毒だ」と巻き上げられたばかりだし……
その前は『ネズミーランド』の1日パスポート券を「リアリストな兄者が夢の国に行ってどうする」とふんだくられた。
でも、これでいいのだ。
これまで兄貴らしいことは特にしてやれなかったのだし、何より妹の前ではケチケチしたところは見せたくない。
というか、ええカッコしたい。
体はガリガリでも、心は太っ腹でいたいのであった。
「おい、ちず、腹減ったろ。ピザとってやろうか?」
壁掛け時計をちらと見て、武留が言う。
「おぉ、マジかッ!? あたしが来訪しても、茶の1杯も出さない兄者がぁ?」
「何言ってんだよ。こっちが茶を出す前に、お前が勝手に冷蔵庫開けて飲んじゃうんだろが」
「ははっ、そっか。けど、気前いいじゃん。何でぇ? 株儲かってんのか?」
「いや、そういう訳じゃないんだけどな……たまには一緒に晩飯でもどうか、と思って。それに、今日はお前にピンチのところ助けてもらったんだし……」
まったくだ。
もし今日、あのタイミングで千寿留が現れてくれなかったら、あのカルト連中に確実に子種を搾り取られていただろう。
「分かった。じゃ、ババアに連絡するね」
千寿留は素早い手つきでスマホを操り『今日は晩飯パス』という素っ気ないメールを母親に送信した。
すぐに『もぉ、せっかく作ったのにぃ~ この母不孝者!』と返信が来るが、無視。
時刻は7時を回ったところ。
武留は玄関ドアを閉め、脱ぎ散らかしてある千寿留の靴を綺麗に揃えた。
雨はもう止んでいた。
非常ベルの音も聞こえない。
誰かが停めてくれたのか、それとも時間経過による自動停止なのか、いずれにせよ 辺りはいつもの平穏を取り戻している。
武留は床に放置されているこんにゃくとデッキブラシとをゴミ袋へ放り込んだ。
そして、雑巾で手早く床を拭いた。
続けてエタノール消毒もしたかったが、それは妹が帰ってからにしようと思った。
また、潔癖症うんぬん言われたら面白くないからだ。
「メニューどこよ?」
「確か、本棚の一番下……端っこ辺り」
「……あった」
『ドキュソピザ』のメニューチラシを見つけ 手に取った千寿留は、
「なんだ、ドキュソか。あたしは『ピザラット』派なんだけどなー」
と、さっそく不服を唱える。
「ピザなんて、どこも同じだろ」
「そりゃ、馬鹿舌の兄者には同じだろうけどさ……」
武留は宅配ピザという業界に対して良いイメージを持っていなかった。
なんせ、原価500円のものを2500円で売る商売だ。
まぁ、配達の人件費が馬鹿にならないので、実際はそれほど儲からないらしい。
だが、我々消費者側からすれば阿漕とまでは言わずとも、ぼったくり感は否めない。
ただ、ピザ屋の方もその辺は重々承知しているようで、近頃は『2枚目半額』――1枚届けるのも2枚届けるのも手間は同じだから――なんてサービスをやっている。
『テイクアウト半額』に至っては「もはや、宅配ピザじゃねーじゃん!」とツッコミたくなってしまうところだが……。
「ドキュソが不満なら、やっぱ帰ってババアの飯食うか?」
「死んでもヤだッ」
きっぱり言うと、千寿留はチラシを広げ、商品を吟味し始めた。
この兄妹の母親 文子は、無類の料理好きだった。
テレビの料理番組は片っ端からチェックするし、ネットの料理サイトもしかり。
プリントアウトされたレシピは山のように貯まり、イラストまで添えて手書きしたレシピも大学ノート40冊を優に超す。
空いた時間のすべてを料理に注ぎ込んでいるといっても過言ではなかった。
なものだから、和・洋・中 何でも作れる。
手際もよく、見栄えも悪くなかった。
だが、いかんせん味の方に問題があった。
ズバリ、不味いのだ。
これは致命的と言えた。
毎日コツコツ勉強していながら、テストで赤点を取るようなもんである。
まぁ、普通なら同情してやるところだが、文子に限ってはその余地はない。
なぜなら、彼女に非があるからだ。
その非というのは、レシピ通りに作らないこと。
例えば、レシピにバルサミコ酢とあっても普通の酢で間に合わせるし、長ネギがなければ玉ネギで代用する始末(同じネギだし問題なかろうという思考回路だ)。
調味の方も問題ありで、レシピに醤油大さじ2とあっても「そんなの多すぎる。塩分摂りすぎだわ」と、勝手に小さじ1に変更してしまう。
ついでに言えば、具のサイズもいただけない。
カレーや肉じゃがなどの野菜が、ゴルフボールくらいのデカさなのである。
「大きい方が歯ごたえがあって美味しい」との理由からなのだが、ろくに中まで火が通ってないもんだから、噛めばゴリゴリして不快極まりない。
馬や猪なら喜ぶかもしれないが、こっちは人間なのだ。
ゴリゴリ食感など御免被りたい。
で、武留と千寿留が口を揃えて不満を垂れようものなら、お得意のヒステリーを発動し、
「気に入らんのなら、食うなぁ~ッ!!」
と、膳をひっくり返すのだ。
まったく、飛雄馬の父ちゃんも顔負けである。
「あたしは『ザリガニ明太子』がいい」
「じゃ、俺は『ヤケクソビーフ』にすっかな」
「なら、ハーフ&ハーフにしよう」
「ドリンクは?」
「そんなの『コケ・コーラ』に決まってんじゃん」
“ギットギトの油料理に Yes Koke Yes♪”
もうかれこれ10年以上前から使われているキャッチコピーだ。
商品のラベルにもしっかり記載してある。
「サイドメニューもあるぞ」
「いや、あたしはいい。どうせ食えないし」
千寿留は小動物並みの小食だった。
武留の方も痩せの大食いとはいかず、食が細かった。
なので、二人がかりでMサイズのピザ1枚あれば事足りた。
だが、それではさすがに貧乏くさいので『骨なしパープーチキン』と『ジーザスサラダ』と『ドリアンパイ』も注文することにした。
「残したっていいからさ、ちょぼっとずつ あれやこれやつまめばいいじゃん」
「そりゃそうだが……贅沢な食い方だな」
「ははっ、悪くないだろ?」
武留は千寿留に財布を渡すと、風呂に入った。
熱いシャワーを頭から浴びると、途端に亀頭がピリピリ痛んだ。
『くそっ、こんな場所が痛むのは あの時以来だぜ……』
確か、中学に上がったばかりの頃である。
その日も、いつものように風呂で体を洗っていた。
首から腕、胸、腹、背……そして、股間へ差し掛かった時のこと。
突如として、包皮がひっくり返って亀頭が丸出しになってしまった。
事態が飲み込めずキョトンとしてるところへ、これまで経験したこともない激痛が襲いかかってきた。
「ぎゃあ~~~ッ!!」
その断末魔にも似た悲鳴に、何事かと飛んで来たのは母の文子。
風呂の戸を開け「どうしたんッ!?」と入って来る。
「く、来るなぁ!」
母を押しのけ、怒鳴る武留。
だがすぐに、
「な、何とかしてくれぇ~ッ!」
と、泣き叫ぶ。
で、文子が「見せてみなさいッ」と覗き込むと、
「み、見るなぁ!」
母に背を向け、また怒鳴る。
「んもぉ~、どうすりゃいいのよッ」
すっかり気が動転した文子は119番通報してしまった訳だが……
チンコの皮がズルむけて救急車を呼ばれた、なんて前代未聞だ。
武留は大恥をかかされたのであった。