#14 優待漁りちゃん
雨。
昼過ぎ辺りからずっと薄墨を伸ばしたように暗色だった空から、ついに雨が降りだした。
非常ベルがうるさくて雨音は聞こえないが、ザーザーというほどではなく、しとしと といった感じだ。
緊張と緩和がそうさせたのか、しばし気抜けしたように突っ立っていた雑賀千寿留だが、
「……あ、そうだ」
武留のことをすっかり忘れていたことに気づき、急いで201号室へと駆け戻る。
「どうもぉ~、お邪魔しましたぁ……」
大きなボストンバッグを抱えた褐色の女と、玄関口で入れ違いになった。
どこからどう見ても怪しげな謎のアジア人。
だが、それよりも今は兄の無事を確かめる方が先決。
千寿留はダイニングルームへ踏み込むと、
「兄者ぁ! しっかりしろぉ、目を覚ませッ」
口のテープを剥がし、頬をぺチぺチ叩いてやることで ようやく武留は意識を取り戻した。
「……あれ? 俺、何で……」
惚けた顔で小首を傾げる武留。
千寿留は問いただすように、
「一体、どうなってんだ? 奴らに何されたんだ?」
「奴ら?」
「あのチンピラ兄弟。それとインド人みたいな女もいたな」
あぁ、そうか……そうだった。
すべてを思い出した武留は、
「実はな……」
だが、すぐに思いとどまって、
「いや、何でもない。ノープロブレムだ」
「おいおい、どこがノープロブレムだよッ。パンツ丸出しで縛られてるじゃないか。それに何だよ、コレ……」
と、床に落ちているこんにゃくやデッキブラシを指差す千寿留。
「いや、それは、つまりだな……なんちゅうか、本中華……」
返答に窮する武留。
そんな彼を胡乱な目で見ながら、千寿留はスマートフォンを取り出した。
「とりあえず、ポリ呼ぶぞ」
「ダ、ダメだッ」
「何でッ」
何でッて……
警察なんか呼んだら、今日 俺が受けた恥辱の数々を根掘り葉掘り聴取されるじゃないか。
そんなの、まっぴらご免だ。
今 目の前にいる妹にさえ話せないのに、赤の他人に話せるかッての。
「あまり大事にはしたくないんだ。それにだな、特にこれといった被害もないし……」
確かに金品を盗まれた訳でもなければ、怪我をさせられた訳でもなかった。
ただ、エロい目に遭わされただけである。
「そうか。んーまぁ、兄者がそう言うんなら、あたしは別に構わんが」
と、総丈30センチのミニスカートのポッケにスマホをしまう千寿留。
それを見て、武留は内心ホッとする。
「待ってろ、今 ほどいてやるから……」
そう言うと、千寿留は背低の簡素な食器棚の引き出しからキッチンバサミを取り出した。
上半身とハイバックチェアとをグルグル巻きにしているビニールテープに刃を入れ、ジョキジョキ切断。武留を拘束から解いてやった。
「サンキュー、ちず」
武留は手足を大きく伸ばして自由の解放感にしばし浸った。
そして四つん這いで辺りを見回し、床に転がっているメガネを見つけ、拾い、かける。
やおら立ち上がると、両の足首に枷の如く絡まっているスウェットパンツを引き上げた。
それから、ドアが開きっ放しの玄関を指差して、
「この音何だよ、さっきからうるせぇなぁ。非常ベルかぁ?」
すると千寿留が、ふわくしゃのミディアムヘアーを掻き上げながら得意げに、
「うむ。あたしが鳴らした。消火器もぶちまけてやったぞ」
「えぇッ!? ってことは……お前が? 奴らを?」
「うむ。ははっ、どうだ。見直したか」
「何たる無茶を……っていうかお前、怪我とかしてねぇだろうなぁ」
「大丈V。あんなヘタレども、あたしの敵ではないわ」
と腰に手を当て、大いに胸を張る千寿留。
そんなクールビューティーな我が妹を頼もしげに眺めながら、
「で、今日はどうした。何か用か?」
すると、千寿留は一瞬 返答に困るような表情を見せたけれど、
「いや、特に用ありという訳ではないんだけどな……まぁ、たまには兄者の顔も見ておかないと……」
「んなこと言って……どうせまた、優待でも漁りに来たんだろ」
「そ、そんな訳ないじゃん」
だが、そんな訳あった。
今日、千寿留がここへ足を運んだのは紛れもなく優待目当てだった。
株式投資をやっていると、おいしい事が二つある。
一つは配当。
その企業が得た利益の一部を株主に還元する制度で、まぁ、お小遣い的なものである。
例えば1株配が20円の場合、権利確定日の2営業日前の取引終了時点で100株保有していたなら、2000円貰えるという訳だ。
で、あとの一つが優待。
企業側が日頃お世話になっている株主に対してプレゼントを進呈することなのだが、たいていは自社宣伝が狙いのため、自社の製品やサービスを株主優待としている。
菓子メーカーならそれら商品の詰め合わせ、ホテル業なら無料宿泊券、といった具合だ。
保有株数が最小で、保有期間も最短ならば、300円のクオカードという「なめとんかッ」的優待もあり得るし……
逆に何千株もを何年も保有していたならば、分厚いカタログが送られてきて「さぁ、この中からあなたのお好きな商品を1万円分選んでください」なんて大盤振る舞いもあり得る。
これらは、資産を保有さえしていれば安定的かつ継続的に得られる利益=インカムゲインであるが、武留はあくまでキャピタルゲイン(株式の売買差益)狙い。
だから銘柄選びの際に、配当利回りや優待内容などは一切考慮していない。
まぁそれでも、年がら年中 株をやっていれば、ちょくちょく高配当銘柄や優良優待銘柄に当たるものである。
近年は上場企業側も、個人株主を獲得せんと内容充実に努めているからだ。
ちなみに、株主優待の権利確定日についてだが……
実を言うと、1年のうち3月が断トツに多い。
優待品は早ければ2ヶ月ほどで届くから、5月の下旬辺りからポツポツとやって来ることになる。
そして本日は5月23日だから、ちょうどその時期にあたる。
千寿留が、武留のアパートに顔を出す機会が増えるのもこの時期なのだ。
「ったく、心外だなぁ。優待目当てで来たなんて言われちゃ……」
と、さりげなく6畳和室へ踏み入った千寿留は、
「いや、ホント言うとな、あんたの母親に頼まれて様子見に来てんだぞ、こっちは……」
まず、書斎机の引き出しを開けて、
「ちゃんと飯食ってるか、とか……」
次に、4段チェストの引き出しも全部開けて、
「病気で寝込んでないか、とか……」
さらに、3段カラーボックスの扉もすべて開けて、
「変な宗教にハマッてないか、とか……」
そして、最後に押し入れの戸を開けたところで、
「わぁ! 何これッ。熊マンじゃん」
綺麗に畳まれた布団の脇に、ボール紙製の小洒落たパッケージを発見し、好奇の声を上げる千寿留。
それは『熊マンのおしゃべりクロック』だった。
たまたま保有していた中堅玩具メーカーの株主優待である。
熊マンについては、もはや説明不要だろう。
皆さんお馴染み、熊本県PR用のマスコットキャラクターだ。
笑顔でダブルピースする熊マン人形――その腹部分が時計の文字盤となっている。
「おはよう」「起きろ」など基本的な台詞の他に「おまんら許さんぜよ」「ムッシュムラムラ」といったユニークな言葉も10種ほど発するらしい。
実はこれ、オリジナルの非売品で数量も限られているから、かなりレア物と言えた。
ネトオクにでも出品すれば、2万円くらいの値は簡単につきそうである(まぁ、同様に出品する者が少なければの話だが)。
でも、武留は――万年金欠にもかかわらず――売っぱらうのを躊躇していた。
非売品や限定品、マル秘話に裏話……そういった類に目がない千寿留だから、きっと喉から手が出るほど欲しがるだろう。
それに優待とはいえ、貰った物品を売って生活費の足しにするというのも何だか情けない。
やはり株式投資たるもの、株を売り買いしたその差益でガツンと儲けるべき。
優待や配当なんてオマケ程度のもの、くらいに思いたいのだ。