#10 美女に子種をせがまれて
「え? ごめん、今なんつった?」
「だーかーらー、あなたの精子を私にください、って……」
「いや、そう言われても……俺、紙なんか作ってねぇし」
「それは製紙です。違います」
「あ、じゃあ、糸の方? そっちもあいにく……」
「それは製糸ッ。私が言ってるのは、おたまじゃくしの精子ですよ」
「はぁ~~~ッ!? ち、ちょっと何言ってんのッ。あんた、もしかしてクルクルパー子?」
「いえ、違います。私は至って正常です」
きっぱり言うと、またリンゴを一切れつまんで口へと運ぶアーシャ。
んん~、まぁ 確かに。
風変わりで謎めいてもいるが、狂っているとまでは言い切れない。
なら、なぜだ。
なぜ、彼女は1度会っただけの男に精子を要求する?
武留は考えた。
わずか数十秒という短時間で、額に汗して脳にシワ寄せ、必死に考え抜いた。
そして、一つの結論を導きだしたのである。
『そうか、これはきっとインド流の告白なんだッ』
日本にも似たような言い回しがあるじゃないか。
かつてのプロポーズの定番“一緒の墓に入ろう”がまさしくそれだ。
『何だよ、このインド娘。俺に一目惚れしちゃったのかよ……ぬふふ』
そこで武留は単刀直入に、
「もしかして、告ってる?」
すると すかさず、
「いいえ、告ってません。うぬぼれないでください」
「なぬ……」
一気に拍子抜けすると共に赤面もする武留だったが、
「じゃあ、何なんだよッ」
「だから、さっきから言ってるじゃないですか。あなたの精子をいただきたいと……」
「何で俺の精子をいただきたいんだ、あんたはッ」
「そりゃ、子供を産むために必要だからですよ」
「いやいやいや、そういうことじゃなくて……あんたさ、俺に惚れてる訳じゃないんだろ?」
「はい」
「普通、惚れてる男の子供を産みたいと思うよな?」
「はい」
「じゃ、何で惚れてもいない俺の子供を産みたいんだ?」
「あぁ、それは……お告げにそうあったからです」
「お告げ?」
「はい。実は私、先月に20歳の誕生日を迎えたんですけど……その夜 祖母のダーパナが、サムシング・グレートからお告げを受けたんです」
「サ、サムシング……何だって?」
「サムシング・グレート(something great)。“偉大なる何か”って意味です。まぁ、俗に言う“神”みたいな存在ですかね」
「はぁ。……で? そのお告げとやらに俺が出てきたのか?」
「はい。お告げにはこうありました。“花の焔を鎮めし月が 花に新芽をもたらすだろう”と……」
アーシャによれば「花」は「アーシャ」自身のことで、「焔」は「怒り」を、「新芽」は「赤子」を、そして「月」は「武留」を意味するのだという。
つまり、彼女はサムシング・グレートからのお告げを次のように解釈したのだ。
“アーシャの怒りを鎮めた雑賀武留が アーシャに赤子を産ませるだろう”と。
「ちょい待て。『月』が何で俺なんだ?」
「だって、その首のアザ……」
あぁ。
それであの時、しげしげと首のアザを見てたのか。
「けど、その解釈でホントに合ってるのか? もし、違ってたら取返しがつかないぞ」
「大丈夫です。ダーパナとも熟考を重ねた上での答えですから間違いありません」
アーシャは胸を張って言った。
「そうか。でも、もしホントにそうなら、告って→付き合って→結婚して→妊娠→出産というプロセスを踏むのが普通だろ?」
「そんな回りくどいことしてられませんよ。それに第一、あなたは私のタイプじゃない。だから、あなたと合体するなんてあり得ません。生理的に無理なんです」
「そ、そうか……」
武留は目の下の肉をピクピクと引きつらせた。
いやはや、告白もしていない――というか、まだ好きにもなっていない――女性からこうもキツく振られてしまうとは……。
だが凹んでいるのも格好がつかないので、無理やり気を取り直して、
「それより、親はどうなんだ。このこと知ってるのか?」
「父 アクシャイは承知しています。許諾も得ています。母 ラボニは15年前から行方不明なので知りません」
何とも無感情にアーシャは答えた。
「そ、そうか……」
これですべての疑問が綺麗さっぱり払拭された訳ではなかったが、まぁ だいたいの事情はつかめた。
あとは返事をするだけである。
武留はコホンと空咳をしてから、
「アーシャさん、悪いがあんたの願いは聞いてやれない。諦めて帰ってくれ」
すると、アーシャの細く長い眉が一瞬、眉間に深いシワを刻んだ。
「待ってください。私もタダで貰おうなんて思っていません。今、この場で精子を提供してもらえれば謝礼をお支払いします。現金100万円でどうでしょう?」
そう言うと、アーシャはエスニック柄のバッグから100万円の札束をちらつかせた。
「あッ……」
思わず声を漏らす武留。
そのリアクションに、しめたとばかりアーシャが追い打ちをかける。
「私の見ている前で、紙コップか何かに発射してくれればいいんです。それだけで100万の現金が手に入るんですよ。決して悪い話じゃないでしょ?」
「……」
「あなたのような低所得者にとっては大金なんじゃないですか? 100万円は」
確かに大金だ。
100万あったらどれだけ助かることか。
これまでの損失をカバーできる上に、欲しくても高くて買えなかった銘柄なんかにも手を伸ばせる。
だが武留は、
「どんなに金を積まれようと、返事は変わらないよ」
これにはアーシャも驚きと焦燥の色を隠しきれず、
「なぜですかッ!? なぜ、そんな意地悪するんですかッ」
「いや、別に意地悪してる訳じゃないよ。倫理の問題だ」
「りんり? 何ですか、それ」
「まぁ、道徳とかモラルって意味だよ。今、あんたのやってることはそれに反してるって言いたいんだ、俺は」
「えぇ~、どこがですかぁ?」
「全部だよッ」
「うそぉ」
「そもそも、いきなり人んち訪ねてって『精子ください』はないだろ。それで『はい、どうぞ』ってなると思ったのかよ」
「はぁ、丁寧にお願いすれば聞き入れてもらえるかと……」
「で、断られたら100万で売ってくれって……臓器売買と変わんねぇじゃんかよ」
「でも、アメリカでは普通に売買されてますよ」
「ここは日本なのッ。っていうか、あんた 仮に俺の子供産んだとしてだな……その子に父親のこと訊かれたら何て答えるつもりなんだよ」
「そうですねぇ……株で借金作って自殺した、とかどうでしょう? あはは」
「笑えねぇ」
「分かりました。では 夜逃げしたことにしますよ、うふふ」
「ふんッ。どっちにしろ俺とは会わせないつもりだな。まぁ 俺は我慢できたとしても、その子はどうだろう。片親で育つやるせなさは、あんたが一番よく分かってるはずだが?」
「……」
花がしぼむように、しゅんとなるアーシャ。
「なぁ、あんた。悪いことは言わないから、こんなバカな真似やめるんだ。お告げとかサムシングなんたらとか、そんなの真に受けてちゃダメだ。ちゃんと誰かを好きになって、その人と生涯を添い遂げたいと心底思った時に子を産めばいいんだよ。な、分かるだろ?」
真顔でアーシャを見据え、忠告する武留。
そんな彼を目の端で瞥見して、リンゴの残り一切れを口内に収めたアーシャは、
「よく分かりました」
「おぉ、そうか。分かってくれたか」
「はい。あなたが石頭のクソ野郎だということが」
「えっ?」
目を点にして固まる武留を尻目に、ハンドバッグからスマートフォンを取り出し 電話をかけるアーシャ。
「どうも、お疲れ様です。あのぉ、今からプランBに取りかかってもらいたいのですが……はい、じゃ、待ってます」