人生のロスタイムで幸福を消化することは、私に与えられた当然の権利らしい。
目を開けると、そこは真っ白な空間だった。
窓も扉も、壁さえもなく、天井さえも感じられない、ただの真っ白な場所。
ここがどこなのかわからなかったけれど、何となく、そこにいる自分には納得していた。
私は、多分一度死んでしまったから、ここは恐らく、そういった人たちが訪れる場所なのだろう。
多分一度死んでしまった、というのは、自分が置かれていた状況を考えてみたり、ここが今まで私がいた世界とはあまりにも違った場所だから、トータルで考えてみると、自分はやっぱり死んでしまって、つまりここはあの世なのだろうな、と思った。
私は50歳と2か月で人生を終えてしまったわけだ。
早いっちゃ早い。いや、今の平均寿命を考えるとめちゃめちゃ早い方だろう。
でも、悔しいとか、もっと長生きしたかった、とは正直思っていない。それどころかちょっとほっとしていた。それだけ私の人生は、どうしようもない程ついていなかったから。
ついていないというか、運が悪いというか、私の人生はまず、この世に生まれてすぐに父親を亡くす、ということから始まり、幼少期は貧乏過ぎて母親は私を施設に預けていた。なので、6歳にして私は家族というものをなくしてしまったわけだ。まあそれはいいとしよう。施設での生活も、そこそこ楽しかったし、周りには自分と似たり寄ったりの境遇の子たちだけだったから、気持ち的には楽だったようにも思える。
中学を卒業してからは本格的に自分のついてなさを実感するような人生か始まった。
定時制の高校に通いながら昼間働く、という環境は結構きつかったけれど、自分で決めたことだし、一応高校ぐらいは出ておきたかったから、それについてはあまり苦に思っていないけれど、養ってくれる親がいたらな……と正直思うことも結構あった。
就職してそこそこ生活は安定してからは、割と人生捨てたもんじゃないかも、なんて思っていたけれど、結婚してまたまた人生が一転してしまった。ダンナは始めは優しかったものの、子供が一人でき、2人でき、としていくうちに、段々と家族に興味を示さなくなって、そのうち外に女は作るは、お給料も入れないはで、私は生活費を稼ぐのと子育てに追われ、挙句の果てにダンナからは浮気相手と一緒になるから別れてくれと言われたときには、人生が本当にばかばかしく思えてしまった。
離婚してからは本格的に一人で生活を支えて、子供たちを高校までいかせた。がむしゃらに働いたので体を壊し、それ以上はあまり働けなくなって、申し訳ないがそこからは自力で何とかしてくれという感じになったけれど、子供はまあ私よりは優秀だったので、奨学金をもらえたり、良いところに就職できたりして、私の人生の中では、唯一幸せを実感できるところでもある。
それからは病気との戦いが始まって、いわゆる不治の病にかかってしまい、数年は頑張ったのだけれど、結局は病院で息を引き取ったのだ。最後の最後に家族は私の臨終に間に合わず、たった一人で(まあ、病院関係者の人はそばにいたけれど)息を引き取ったわけだ。
とここまでのほんの数十行で、私のついていない人生は集約されてしまうわけだけれども、そんな簡単に語れてしまうのは自分的にはやはりちょっと空しくも感じる。割と辛い人生だったと今もその時も思っていたし、もちろん、もっと努力すればもっと幸せな人生を送れたかもしれないが、生きるための努力はいつだってしていたし、正直、生きていくのがいっぱいいっぱいで、普通の生活をする以上の幸福が、私の中では想像がつかなかった。
そこまでどん底か、と聞かれれば、それ程でもないかもしれない。世の中には私なんかよりももっと辛い人生を送っている人たちがいっぱいいるだろう。それはわかっているが、世の中に平均的な人生というものがあるなら、私の人生はそのスタンダードラインより結構下の方なんだろうな、と思う。問題は、本当にどん底かどうかじゃなく、そう思ってしまうことだろう、つまり私は自分の人生に少しも喜びを感じられなかったというわけだ。
生きているときは、どうか人生が一度きりで終わるようにと願っていた。もう二度とこの世に生まれたくはないと思っていた。だから病気になって自分がもう死んでしまうんだ、と思った時も、さすがに落ち込みはしたけれど、割と早く諦めがついたように思う。
そうか、人生が終わるんだ。ならもう辛い思いをしなくても済むじゃないか……
という具合に。
そんな感じで、病院の天井を見つめながら息を引き取ったはずの私が、今この真っ白な空間で目を覚ましたということは、さっきも言った通り、つまりはここがあの世、もしくはあの世の入り口なわけだ。
「その通りですよ」
と不意に声を掛けられたのでさすがに驚いた。気付くと直ぐ横にのっぺりした顔の男がいた。
「私の顔、のっぺりしてますか?」
聞こえるんだ。
「聞こえます」
かなり不可思議な状況だけども、自分でも驚くほど落ち着いている。だってここはあの世だから、そもそも自分の常識なんて通用しない。
「よくお分かりですね」
しゃべらなくても会話ができるのは楽だな、と思った。
「確かに、そうでしょう。頭に言葉が浮かんでからそれを実際口にするのにはタイムラグがありますからね。それに、自分が思ったことを全くそのまま言うことができないこともあるし、言葉によるコミュニケーションというのは、人間が思う以上に複雑で面倒なものなんです。それで通じ合えることはごくわずかですし」
「そうでしょうね」
いくら言葉を交わしてもわかり合えないことはたくさんある。
「人生もそうでしょう。いくら幸せでもそれが、得られる最高の幸せかは分からない」
「最高の幸せですか……」
「あなたの人生は幸せでしたか?」
私の人生は、幸せだったか。さっき言った通り、まあついていない人生だったけれども、まったくのどん底だったわけでもない。生きているときは最悪だ、と思っていたけれど、今になって思えば、あれくらいの不幸はひょっとしたら結構、誰でも経験しているのかもしれない。しいて言うなら、そんな人生を諦めずにいられたらよかったのかもしれない。もっと幸せに貪欲になっていれば、こんな結末にはならなかったのかも。でも、そんな気持ちになるには私は疲れすぎていたように思う。そばに力を貸してくれる人もいなかった。
「力を貸してくれる人がいたら、もう少し幸せになれたかもしれないと?」
さあ、そんなことはわからない。これまで人間関係に期待や希望、もしくはあまり力を入れてこなかったので、そんな関係性なんてまったく想像できない。
「じゃあ、経験してみますか?」
「何を?」
「あなたが望むような人間関係や、もろもろの人生です」
「言ってる意味が解らないんですけど」
「だから、もう一度人生をやり直してみませんか、ということです」
「嫌です」
「即答ですね」
もう二度と生まれ変わりたくない、人生は一度きりで十分だ、そう思って生きてきた。
「だからもういいです。これで終わりにしてください」
「後悔はないんですか。もっと幸せに生きたかったんでしょう。もっと楽に、ウハウハでウキウキでノリノリな人生を送りたかったでしょう」
「人生にはウハウハも、ウキウキも、ノリノリもありません。そう感じるのは一瞬の気の迷いです」
やけくそな感じで言ってみた。
「一瞬の気の迷いが一生続くような人生を送ってみませんか?」
「これは何の誘いですか?それとも試されてるとか。ここでハイって言ったら地獄行きとか?」
「そんなことしませんよ。素直に受け取ってください。これはあなたに与えられた当然の権利なんです。人生のロスタイムをきちんと消化しませんか?」
人生のロスタイム?ナンデスカ、ソレハ?
男は私に椅子に座るように促した。いつの間にか何もない白い空間にテーブルと椅子が現れていた。私が座ると、テーブルを挟んだ正面に男が座った。
「あなたの人生は、正直不幸なものでした」
改めて他人から言われると、なんだかしみじみしてしまう。
「それは私の感覚や、あなた自身の感覚、つまり感じ方の問題ではなく、この世の幸福の基準値と比べてみて、不幸度が高いということです。」
「そんな基準があるんですか?」
何となくあるような気はしていたが、ないのかもしれないとも期待していた。そんな基準がしっかりあるなら、世の中にはやはり、不幸な人間と、幸福な人間がいるということになるから。
「そうですね、確かにいます。もっと言えば、最高に幸運な人生を送っている人もいれば、最高に不幸な人生を送る人もいるということです」
「どうして世の中は、そんなに不公平なんですか、みんな平等に生まれてくるんじゃないんですか?」
腹が立つというよりも呆れてしまう。不幸の元に生まれついたら、どんな努力をしても不幸のままなんだ、もっと早く教えて欲しかった。それなら無駄な努力をしないで済んだし、無駄な期待を抱かなくても済んだのに。
「勘違いしないでください。別に誰も不幸を前提に生まれてくるわけじゃありませんから。もちろん、幸福だけを享受するために生まれることもありません。人生自体みんな平等に始まっていくんです」
「でも、生れ落ちる境遇でだいぶスタートラインも違ってきますよね。たとえば、楽園みたいな場所で裕福な家に生まれ付いた人と、ただ生きるだけでも過酷な場所に生まれ付いた人でもその後の人生は大きく違うでしょう、それは平等だって言えるんですか」
「要するに、ここで大事なのは何を持って幸福とするかです」
「今更、幸福論ですか?そりぁ幸せなんて人それぞれ違うし、大変な境遇に生れ落ちたって、いくらだって這い上がって幸せを掴む人はいるでしょう。でもそれって物凄く努力して、尚且つ運を味方につけた人ですよね。誰でも簡単にできることじゃない」
努力して這い上がって幸福になるのと、そんなに努力しないでも幸福になれるのとでは全然違うじゃないか。
「だから大事なのは、幸福とは何かということなんです。あなたは幸福の質よりも量、大きさを気にしているでしょう。そして自分の中の幸福感よりも人を基準にした幸福の量、どれだけ自分が人よりも大きな幸せを手にしているか」
「いけませんか?幸せそうにしている人を見れば、自分もああなりたいとか思うでしょう」
「たとえその人が感じている幸せが、そっくりあなたのものになったとして、あなたは本当にそれで幸せを感じられるでしょうか?それこそ人によって幸せの基準なんて違います。大まかには似ているかもしれませんが、細かなディテールは違うでしょう。例えばその人の超ハンサムな恋人があなたのものになったとしましょう。でもその彼はとても貧乏な彼だったらどうします。その人は貧乏でもなんでもかっこよければよかったけれど、あなたはやっぱりそこそこお金を持っている人がいいのなら、彼と付き合っても最高に幸福とは言えません。大富豪の家に生れ落ちても、その人にとっての幸せが親密な家族との愛情だったらどうでしょう。つまり大事なのは質なんです。その人にとって欠かせない事、重大な事、それを得ることができれば、例えどんな環境に生まれついても幸せを得られるんです」
まあ、分からないでもないけれど、100%納得できるわけじゃない。
「もう一つ言えば、世の中は陰と陽でできているんです。言い換えればプラスとマイナス、男と女、行くか戻るか。陰とは受け入れること、与えられたものを享受することを表し、陽とは前へ進むこと、今の状況から前進することを意味します。このバランスが合っている状態が幸福です。つまり自分が望んだものや状態に真っすぐ突き進んでいくことと、そこから得られるものがきちんと釣り合っている人生がその人の最高の人生というわけです。でも、どんなに頑張っても、自分の望むものを得られない人もいます」
高望みしすぎているとか?
「それもありますが、人はどんなにその望みが高くても、本当に得たいものであれば、手にする事ができるんです。そういうふうにできているんです。ただ、望みが高ければ高い程、もうエグイ程努力しなければなりませんが、それを成し遂げる人はいる。途中で自分の能力に気付き、自分に見合った幸せを見つけることもある。でも世の中たった一人で生きているわけではありません。一人で生きているようでも、いろんな人のいろんな人生と絡み合いながら生きてゆく、そうでしょう」
「そうですね。自分一人なら自由に幸せに生きてゆけるけど、どうにも人のしがらみから抜けられない人もいる……」
自分の人生を振り返ってもそうだ、いろんな人に助けられたけど、いろんな人に振り回されもした。
「だから、そういったしがらみが原因で自分の本当の幸せを掴みとれないこともあるんですよ。というか、ほとんどの人がそういった事を経験しているはずです。言い換えれば、ほとんどの人が自分の本来の幸福な人生を全うできないでいる。言い忘れましたが、本当の幸福を得る、とは本当の不幸を知る、ということでもあるんです。さっきも言いましたが、世の中は陰と陽でなり立っているんです。どちらか一方では、そのどちらでもない。要するに幸福を得ていく過程で、一緒に不幸も得ていくのです。あくまでも便宜的に幸福とか不幸とかいう言葉を使っていますが、人は自分が望んでいるものが何なのかを知るために、自分が望んでいないことが何なのかも知らなければならないということです、そうしなければ、何が本当に幸福なのかわからないからです。言ってる意味わかりますか?」
「何となくわかります」
「つまりは、幸福も不幸も同等にある人生がその人の得られる最高の人生というわけです。幸福過ぎても、不幸過ぎてもダメなんです」
なるほど、でも……
「でも?」
「生まれてからずっと幸福な状態の人もいますよね。その人が幸福と感じているかどうかは別として、幸福の基準値があるなら、その数値がずーっと高いまま生きていく人も」
「そういう人もいます。その人は本来得られるべきだった人生の不幸をロスタイムで消化しなければならないんです。あなたが幸福分を消化しなければならないように。さっきも言いましたが、その人に与えられた当然の権利なんですよ。だから行使すべきでしょう」
行使しないことも選べるんですか?
「選べます。でもその場合は、次のステージでその分をきちんと消化しなければならないんです。人生で得られなかった幸福や不幸を背負ってスタートします」
次のステージ?
「それって次の人生ってことですか?」
「いいえ、人生は一度きりです。つまり人間として生きるのは一回こっきりということです」
「じゃあ、次のステージってどういうものなんですか?人間以外に生まれ変わるとか?」
「さあ、そんなことは分かりません。私がわかるのはこの世界のことまでです。それ以降のことなんて何にも知りませんよ。人生を終えるとだれでも次のステージに行かなくてはなりません。でもそれがどんなものなのか、どんな世界なのか私には分かりません」
でも、そこできっちり消化しなくちゃいけないわけですよね。人生のロスタイムを。
「はい。世の条理ですから」
……。
「どうしますか?ロスタイムをここで消化しますか?それとも次のステージまで持ち越しますか?」
どうしよう……。これからまた人生を生きるのは正直しんどいとしか思えないけど、その何なのかわからない次のステージまで持ち越すというのも、面倒な気がする。だってそこはどんな世界かわからないんだから、どんな状況になるのかもわからないわけだし、だったら今の価値観が通用する世界で幸福を享受する方がいいような気がする。
「皆さん、だいたいそうおっしゃいます。次のステージではそもそも幸福というものの価値観がこの世界とは違っている確率も高いわけです。なら、今自分が感じられる幸福を目一杯味わった方がいい、と皆さん思うようです」
確かにそうだ。でも、幸福だけの人生なんて、まったく想像がつかない。本当にそんなことが可能なんだろうか。もちろんそういうならそうかもしれない、そもそもどんな人生が幸せなのか、私はどんな人生を送りたかったのか……
「最初は戸惑うかもしれません。不幸ばかり続いた人生なら尚のことそう感じるでしょう。でも大丈夫、肩の力を抜いて楽に考えてください。気楽にどんなことに幸せを感じるか、想像するんです。あったでしょう、一度や二度、頭の中で妄想したことが」
確かに、妄想ならしょっちゅうしていたけど。口に出すのも憚るような本当にどうしようもないような空想で、そもそもそんなご都合主義なことが人生で起こるわけがないし……
「大丈夫です。どんなご都合主義の妄想でも叶います。ロスタイムですから」
例えば、超美人のハリウッドセレブになって毎日大金を使って豪遊するとか……
「それで行きますか?」
可能なの?
「可能です。言い忘れましたが自分のスキルもオプション自由です、例えば英語がペラペラだとか、ピアノがピアニスト級の腕前とか、ダンスがキレッキレに踊れるとか……」
「ちょっとタイム!なんだか急にドキドキしてきた……」
「ゆっくり考えてください。ここでは時間が流れていませんから、好きなだけ妄想してくださって結構です。さあ、あちらのベッドに横になって」
男が指さした場所にはシンプルだけれど大きくて寝心地の良さそうなベッドがあった。いつの間に現れたんだろう。
私はその上に横になるとゆっくりと目を閉じた。途端に不安な気持ちになる、再び目を開いたらこの世界が消えてはいないだろうか。今までのことがすべて私の妄想とか……
「大丈夫です。安心してくださいこれはあなたの妄想ではありません。言っておきますが、あなたの人生におけるロスタイムは5年程あります。その間は人間世界で思いっきり幸せを享受してください」
5年……それが過ぎたらいったいどうなるんだろう。
「時が来たら、私がお迎えに上がります」
そうか、5年か、人生としては短いけど、ロスタイムとすれば長いのかも……
「長くもあり、短くもあるでしょう。人それぞれ感じ方は違いますが、それでも恐らく、不幸を消化する方が、幸せを消化するよりもずっと長く感じられるでしょう。あなたは幸せを消化する方なので、逆に短く感じるかもしれませんね」
5年間も不幸を感じ続けるのは相当苦痛だろうな。
「でしょうね、不幸を消化しなければならない方は、ロスタイムを次のステージに持ち越すことを選ぶ人がほとんどですから」
「私でもそうするだろうな……一つ聞いてもいいですか?」
「なんでしょう」
「私が人生のロスタイムで、ご都合主義の幸福な人生を過ごす間に関わった人たちには、何か影響はないんですか?さっき言ってましたよね、人とのしがらみで不幸な人生を送ることもあるって、もしそうなら、私に関わった人たちの人生も何らかの影響を受けるんじゃないですか?不幸になってしまうとか……」
「気になりますか、他人のことが」
気にならないことはない、だって自分の人生がそうだったから、人のご都合主義に振り回されて苦汁を飲んだこともあった、元ダンナがそうだったし、誰かに振り回されて自分の人生が不幸になるなんて絶対に嫌だ、だから自分もそんなことはしたくない、私が人生のロスタイムで関わる人たちがもし不幸を味わうことになるなら……
「大丈夫ですよ、そんなことにはなりません。世界はあなたが思うよりも柔軟にできているんです。ロスタイムであなたに関わった人たちの記憶はあなたがいなくなった時点で修正されますから、あなたと過ごした記憶は他の記憶に繋ぎ合わされ補修されてあなたの存在はなかったことになります」
それもなんだか寂しいですね。でも、その方がさっぱりしていていいかも。
「ちなみに自分の外見や年齢も自由です。お望みなら性別も変えられますよ。具体的に決められなければ、サンプルもご用意しています。目をつむれば勝手に脳裏に浮かんできますから、それを参考に選んでもいいです。とにかくいろいろと妄想してください」
「もう一つ聞いてもいいですか」
「一つでも百でも千でもどうぞ」
「前の人生で出会った人たちに会うこともできるんですか?例えば子供とか、友達とか」
「もちろんできます。あなたはまたあなたとして、もう一度自分の人生を輝かせることもできます。全くの別人として生まれ変わることも、その選択はすべてあなたに任されているんですよ。どんな幸せを享受したいか、それをしっかりと考えてみてください。言い忘れましたが、途中で設定を変えることはできませんから、やっぱり違う幸せがいいと言っても、変更不可です、そこのところはご注意ください」
要するに、しっかり考えなくちゃいけないわけだ、自分が本当に欲しい幸せについて。
「そうです。でも、それを考えたり妄想するための時間はたくさんありますから、安心してください。なんせここには時間が流れていませんから」
なるほど。
「質問は以上ですか?なら、さあ目をつむってください。ご都合主義の薔薇色な人生を想像するのは最初は難しいかもしれませんが、そのうちに慣れてきますよ。自分が飛び切りハッピーだと思えるシチュエーションを妄想してください。あなたはそんな人生を生きる資格があるんですから」
そうか、私には幸せな人生を生きる資格があるんだ。そんなこと、前の人生では思いつきもしなかった。人生のロスタイムか、最初聞いた時にはなんて胡散臭いんだろうと思ったけど、今はなんかとっても魅惑的に聞こえる。
最後にこんなご褒美があるなら、どんな辛い人生も全く捨てたもんじゃないかも。
目をつむってしばらくすると、なんだか意識がぽわんとしてきた、目の前に薄いピンク色の靄が現れる。
さて、どんな幸せな人生を想像しようか、本当の不幸がどんなものかわかっているからこそ、本当の幸せがどんなものかもわかるはず。そういった意味では最高の人生を想像できるはずだ。
そんなことを想いながら、私の意識はピンク色の靄の中に、だんだんと溶け込んでいった。