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姫と悪ガキ






町にある食料品店はふたつ。

ひとつは近くで作られた野菜や果物、自家製のパンも売られている。

もうひとつは日持ちがしたり保存の効く食品や調味料、大きな町から仕入れてきた細々とした雑貨を取り扱う。


小さな町で競合しないように祖父の代で取り決めをしたと聞いている。


食品と雑貨が半々の店の裏手で、その店の跡継ぎまっしぐらのひとり息子ラルフは、己の将来を思いやって鬱屈としていた。


「やっぱりここか」

「……代わってくれケニー」

「やだよ、俺もうクタクタなんだよ」

「俺の方がクタってんだよ!」


裏庭には大きな竃が設てあり、そこは朝からゆっくりじっくり弱い火が焚かれ、大きな鍋の中身はやっと半分程までになったところだった。

店の表の通りにまで甘い匂いが漂っている。


ケニーはその匂いでラルフの居場所を推理した。と言いたいが、ラルフは大概が店の裏手で骨惜しみしている。

ケニーともうひとりの友達マックス、家も歳も近い三人はラルフの家の裏手が溜まり場になっていた。


大量の水から煮詰めていけば甘くなる木の根と、森から採ってきた木の実と果物、香りが良い虫除けになる薬草を少し。

砂糖は高価なので一般の家庭では手に入りにくいが、木の根も木の実も薬草も、森に行けば簡単に手に入る。


料理やお茶に入れたり、お菓子に添えたり。

砂糖よりは安価で手に入れやすい、代々ラルフの家に伝わる甘味料だ。


というよりも、昔はどの家でもそれぞれに作られていたし、今でも作っている家はある。ただ完成までに手間暇がかかるから、大量に作れば売れると思った祖母と、売っているなら買った方が早いと考えた人たちがいた結果がこれだ。


大鍋いっぱいに作るとなると力仕事になるので、そのとばっちりが元気が有り余るひとり息子に回ってくる。


「俺は一生こうやって鍋の中身を焦げないようにかき混ぜ続けるんだ……」

「お前 毎回そう言ってるけど、これ作るのふた月かみ月ごとだろ」

「じゃあこれやってみろ! 朝からだぞ! ……滅入るんだぞ!!」

「それも毎回聞いてる」

「おんなじこと言わせんな!」

「明日はこっち手伝いに来ないかって、オヤジが」

「んあぁ……良いけど。近いとこ?」

「……丘の上のお屋敷」

「え? あそこ?!」

「今日も行って、さっき帰ってきたとこ」

「なんか出た?」

「……出ねぇよ」

「昼間だから?」

「……そうかもな。手伝いに来る?」

「何すんの?」

「草刈り」

「……あのアレをあの広さかぁ……めんどくさ」

「だから手伝えって言ってんだろ」

「誰か住むのか?」

「いや、もう住んでるっぽい。オヤジが肝試ししにいくのはもうやめろってさ」

「どんな奴? 偉そう?」

「どうだろ……俺が見たのは厳つい兄さんって感じの人だった」

「ふーん……」

「で、来るの? 来ないの? 明日も鍋かき混ぜるの?」

「えー? どうしようかな、まーよーうー」

「あ、じゃあいいわ。マックス来てくれるし」

「うそうそうそー!! 行くよ!!」

「朝からだからな」

「分かったよ……けど……参ったな?」

「なに」

「もう肝試しできないとなると……困るだろ」

「……お前だけだろ」

「何を口実に女の子を誘えば?!」

「知らねぇよ、自分で考えろ」

「マックスは?」

「家の手伝いしてた。今日はもう来ないんじゃね?」

「お前だと話にならん」

「は?」

「お前はアンがいるから俺らの気持ちなんて分かんねぇんだ!!」

「そうだよ」

「ムカツク!!」

「ラルフ、ごめんな?」

「ねぇ殴って良いかな?!」

「いやだね」

「マックスに言いつけてやる!!」

「あ、そう」

「クソムカツク!!」

「ラルフ…………ホントごめんな?」

「お前がいくつまで寝小便たらしてたかアンにバラしてやる!」

「お前がミーシャにちょっかいかけてるってマックスにバラす」

「ごめんなさい! 絶対言いません!!」




丘の上のお屋敷に住人がやって来たという話はその日のうちに町中に知れ渡って、噂を本気で信じている小さな悪ガキ共は震え上がる。半信半疑のそれより少し大きな悪ガキ共はちょっぴりがっかりする。


女の子を誘う口実が、夜の幽霊屋敷ではなくて、昼間の隣町や湖に行こうだなんて、恥ずかしくて言えやしないと悶々として一晩を過ごした。







こちらならどうですかと穏やかな声に問われて、するりと変えられた布の軽さに、テオはふうむと息を漏らした。


満足したと受け取ったのか、アイザックは口の端を持ち上げて、ではこちらをと僅かに頷いた。




何食も続けて塩味だけの食事はさすがにどうかと思うと、屋敷の食堂で料理人から色々と仕入れてきたいのだと言われて、確かにとテオは転移陣を使うことを承諾した。


アクセレーベンに用事を済ませに行って、すぐに帰ってきたアイザックは布の塊も抱えていた。

色柄は控えめながらも、厚手なものから薄く軽いものまで様々を、よくもまあこの短時間のうちに集めたもんだとテオはこっそりため息を吐いた。


テオは別に構うことは無いと思っていたが、アイザックとはそもそもから食い違っている。


この国の姫君ととても良く似ていようが、姫は民に対して顔を晒したことが無い。しかも今居るのは小さな田舎町だ。正体を知られる心配は無用だとテオは思っていた。

そしてアイザックは姫君や王家への配慮ではなく、テオの顔に大きな傷があることを気にしていた。


外で庭仕事がしたいのなら頭から布を被るべきだと、それから背の高い草が一掃されるまでは待つべきだと根気強く説き伏せられた。


渋々と分かったと手の合図で返す。


分からないといつまでもしつこそうだし、いつまでも外に出してもらえなさそうだから折れるしかない。


選んだものは、薄くて軽いケープ。

これから暑くなるだろうから、テオはとにかく涼しげで快適そうなものをと考えた。

アイザックは透けるほどの薄さと淡い空のような色の布、青い花が模られた繊細なレースの縁取りが、テオにとても似合うと考えた。


結果として選んだものは同じだったが、全くもって理由は別のところにあると、ふたりは気付かない。


「明日はもう少し手伝いを増やしたいと言っていたので、思ったより早く草が無くなるでしょう」


テオがにこりとして頷いたので、アイザックもその顔に安心して頷き返す。


「それまでは部屋の中で姫様のお仕事を」


分かったからと言いたげな表情で両肩をすくめて見せてから、テオは日が暮れかけた庭に人差し指を向けた。


石組で作った小さな野外の調理場。


そちらに顔を向けて、アイザックはああと軽く笑う。


「今夜は台所で食事を作りましょう。料理人に習ってきたものを試してみたい。といっても簡単なものですけど……手伝ってもらえますか?」


ぱっと明るく表情を変え、分かったと大きく手を動かして、頭に被った布を放り投げると、テオは軽やかな足取りで鳥籠のような温室を出て行った。

窓から外にではなく、扉から台所のある方に向けて。


散らかった布を少し片付けてから、アイザックも後を追って温室を後にした。





「テオ……この香草を小さく刻んでください」


まな板と小振りの包丁を渡すと、初めは丁寧に切り分けるようにしていたが、次第に調子良く速度が速くなる。

アイザックがそちらに気を取られてよく見てみると、適当ではなく、香草は小さく正確に等分されている。


「……すごいですね。料理の心得が?」


いいえと返すとテオは手の中で包丁をくるくると器用に回す。そっちの心得かとすぐに思い至ってアイザックは苦く笑った。


「その技を見たことがあります。そうやって遊びながら暗器に慣れて手に馴染ませるんだって言ってた部下がいたな」


くるくる回したり上に軽く放ってみたり、格好良く一連を見せつけた後は、また香草を器用に刻んでいく。


「ああ……ではこちらの野菜も切ってくださいませんか。私はまぁ……あの程度ですから」


不揃いでごろっと大ぶりだった昨夜の野菜たちを思い出して、テオはふふと息だけを吐いた。


「裏庭に畑のような場所がありました……まぁあの通り今は荒れ放題ですけど。きれいにできたら、香草を育ててみるのも良いかもしれませんね」


大きく頷いたテオの笑顔に、薄く笑い返す。

自分はその頃どうなっているのかと、一瞬のうちにその考えが頭を過ぎった。


根菜を掲げて、これもと言いたそうなテオに頷く。


「野菜も作ってみましょうか。楽しみですね」





初めてにしては良くできた部類に入るだろう食事を終えて、交代で浴室を使い、後は眠るだけだとなった時に、アイザックは昨夜に続き大きな大きなため息を吐き出した。


「今夜もここで眠るおつもりですか」


鳥籠の温室のど真ん中、当然だと言った顔で、テオはぐるぐると毛布を身体に巻き付けた。


「寝室の寝台で横になって眠ってください」


ゆっくりひと言ひと言はっきりと、子どもに聞かせるように話すが、テオはすぐにひらひらと手を振りかえした。


分からない単語も混ざっているが、言いたいことはなんとなく分かったので、アイザックは眉間に皺を寄せた。


「だから今日は気に入る部屋を見つけるか、適当な部屋を掃除しようとあれほど……」


気に入ったのはここだと、それも返されずとも分かったので、アイザックは額に手を持っていった。


「……よろしい。テオがその気なら、明日は私が勝手に部屋を見繕って、意地でもそこで眠ってもらいますから、そのおつもりで」


ぐにゃりと顔を顰めたテオに、アイザックは清々しい笑顔を返す。


「なら明日は寝室を決めましょう」


手で合図を返しきる前に、大きな釘を刺し返す。


「ここは寝室ではなく、温室です」


悔しそうな顔でもそもそ毛布に包まっているテオに、もう一枚上から毛布を被せる。


「確かにここは陽がさして、暖かいし気持ちが良い場所かも知れませんが……周りの草が無くなれば外からまる見えの場所ですよ。ここで眠るのは今夜で終わりです」


丸まって頭まで毛布を被って見えなくなったテオに、アイザックはお休みなさいと声をかけて、温室を後にする。


アイザックはその温室のすぐ向かい側にある小さな物置きで、大小の棚の間に挟まるようにして毛布に包まった。


新たな屋敷の主人を差し置いて、自分だけ呑気に良い部屋を使う訳にはいかない。


という言い訳を自分に対してはしているが、大部分を占めているのは離れた場所にいると心配で仕方がないからだ。


矢で射られた自分の傷すらまだ時に痛むというのに。


大人しくして過ごしているとは言え、テオが辛くないはずがない。


楽しそうに笑っていようと、温室がいいと可愛らしく駄々を捏ねようと、明日は折れることはなくしっかりと心を強く保つのだ。


そう誓いながらアイザックは目を閉じた。






朝から雲もなく、柔らかに陽が降り注ぐ。

時折り吹く風は少し冷やりとして、働きっぱなしの疲れを和らげてくれる。


草の青い匂いが体中に染み込んだケニーも昨日の友と同様、人様の庭で草を刈り続ける人生なのかと鬱屈とする。

自分は草の匂い、ラルフは甘い匂いを撒き散らし、もう一生このままなのだとうんざりして手を止めた。


音も無く静かに後ずさってきたラルフが、大きな草刈り鎌を休めて途方に暮れているケニーに、背中からどしりとぶつかった。


「危ないだろ、不用意に近寄るなよ」


ケニーが両腕に抱えていた草が足元に散っていくのを見届けて、腹が立って汗で湿った背中をぐいと押し返す。


「……出た」

「何が」

「幽霊……」


ラルフが目を向けている方を見上げると、確かに二階の窓辺で人影がゆらゆらとして見えている。


「女の人に見えるけど」

「お前にも見えるのか……女の幽霊が!」

「幽霊は窓拭きとかしないと思うけど」

「そんなの分かんないだろ!」


ラルフが声を上げた直後にその隣の大きな窓が勢いよく開け放たれて、ごほごほと咳払いが聞こえてくる。

露台の手すりに大きな絨毯が干され、我らの雇い主である厳つそうな兄さんが、絨毯を棒で叩いて埃を落とし始めた。


重そうな布が揺れる度にもわもわと白っぽい煙が宙を漂う。陽に照らされて小さな何かがきらきらとしていた。


窓辺にいる幽霊を気にしている様子の兄さんは、何か堪らない感じで手を止めると、隣の窓を露台側からそっと開いた。


「……テオ。窓拭きに自信があるのは分かりましたから、掃除は私に任せてください」


「……ええ、お気持ちは分かりますが」


女性の声が小さいのか、逆に兄さんの声が大きいのか、聞こえる声は男性の方ばかり。


一緒になって見上げていたケニーは、離れた場所にいる父親の視線に気が付いて、怠けていると見られないようにラルフの背中を肘で小突いた。


「いいからそれ拾えって」

「……幽霊じゃないっぽいな」

「どう見てもそうだろ」

「……なーんだ。つまんねーの」

「詰まることしてくれって、頼むから」

「え? なに?」

「草を運べってば」

「そうだ、このことマックスに教えてやろ。あいつどこ?」

「お前も鎌で刈ってやろうか? どこが良い? 足か? 腹か?」

「俺が幽霊になっちゃうぞ?」

「そうだな、良かったな」


ふははと笑いながら足元に散らした草をかき集めると、ラルフは外の荷車の方に向かった。


ケニーの父親に付いて手伝っていたマックスが疲れ果てて荷車の草の上で伸びているのを見付け、ラルフは面白おかしくさっき見た幽霊の話をする。





屋敷にはごつい男の幽霊と布を被った女の幽霊がいるのだと、小さな悪ガキ共には本当のことだと信じられ、町中の小さなふつうの子どもたち全員が、その恐ろしげな話を縮こまって聞くまで、三日と掛からなかった。








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