ほかのみち
着替えを終えたホレスが再び朝食に誘いに来たが、テオをこのまま置いていくことはできなくて、アイザックは丁寧にそれを断った。
「薬はどれほど強いものなんだ?」
「あー。即効性はあるけど持続性はない。まぁ、昼より前には目ぇ覚ますかな」
「……そうか」
「放っとけよ」
「それはいけない……が……あー。ホレス……ひとつ聞いても良いだろうか」
「あ? なに」
寝台の側に張り付くようにしていたアイザックは、立ち上がって一歩だけそこから離れた。
複雑そうな顔をしてホレスと向かい合う。
「……気持ち悪いな。なんだよ」
「いや、あの……君とテオはその……特別な関係だろうか」
「特別?」
「……恋人同士なのか?」
「…………はぁ? ……やめてくれ」
「違うのか? では、兄妹とか……?」
「どこをどう見てそう思った。頭大丈夫か?」
テオとホレスは顔かたちの特徴も似てなければ、瞳や髪の色も似ていない。しかし中にはそんな兄妹も居るから、アイザックも念のために聞いてみただけだ。
ケンカばかりの恋人同士だっている。
頭は大丈夫な自信はある。
先に聞いておけば余計なことを言ったりしたりしなくて済むと考えられる程度には大丈夫だ。
「仲が良さそうだから、もしそうなら……」
「仲良し同士がナイフや針を投げ合うのか」
「いや……そうだが」
「口汚く罵り合うかよ」
「ホレスの口は悪いが……」
「……お前早く合図覚えろ。あと口の動きが読めるようになってみろ。こいつ最悪だぞ」
「もっと女性として、ちゃんと……」
「こいつは人形だ」
「なっ ……んてことを言うんだ!」
「お前……意味を考えろ……言葉の表面じゃなく、裏側を読み取れ」
「ホレス?」
「はぁ……まぁいい。ほれ、食堂行くぞ。お前あれ、毒消しの薬は朝のうちに飲んどけ」
「あぁ……そうだった」
初日はホレスが運んできてくれたが、そもそもは厨房で用意されたものらしい。
『動ける奴』はみんな食堂に行くのがアクセレーベンの原則なのだ。
じっと待って口を開けていても自ずから入ってきてはくれない。
あれを飲むくらいなら多少の毒は我慢する、と言いたいところだが、やはり飲めば飲んだで痺れや倦怠感がしばらくの間は治るので、身体は楽な気がする。気がするだけかも知れないが。
テオはきっとあの薬を飲むのが嫌で、傷の治癒より解毒を優先したのではと勘繰ってしまう。
「へばりついてるのも良いけど、まずてめぇ。だろ?」
「……その通りだ。一緒に行こう」
毒消しと傷の治療を早く済ませなくては、姫君をお支えできない。
お支えするもお守りするも何も無いのだが。
もう近衛の騎士ではないのだから、とも考えなくもないが、今の自分にはテオと共にあることしか無い。
食堂に行き、その場で薬を飲んで静かに悶えて、ホレスの言葉を考えた。
テオがシルヴィエーヌ姫の人形であるということ、人形とは何かということを。
ホレスの言った通りに、テオは昼時を迎える前に目を覚ました。
普通に起き上がり、すぐに服を捲り上げて傷の具合を確認すると、気まずそうな顔でアイザックにありがとうと手で示す。
遅めの朝食兼、早めの昼食を取りに食堂へ出かける。
食後にゆっくりお茶を飲んでいると、ホレスがやって来て、ディナルドが呼んでいると声をかけてきた。
やっとかと言いたげな表情で、ゆらりとテオが立ち上がる。
アイザックも同じく呼ばれているので、三人はそのまま連れ立ってこの屋敷の主人の元へ向かった。
アイザックは初めての場所に足を踏み入れる。案内されたことのない、屋敷の東側。
西の端は裏方の人物をよく見かけるが、屋敷の中央より東側はひと気が少ない。
ホレスからは限られた人しか入ることができない場所だと聞いていた。
「やぁやぁよく来たね」
ディナルドは窓を背にした執務机から立ち上がると、大きな窓辺に移動して、小さな円卓の奥側に先に腰掛けた。
向かいの席をテオに目で座るように示し、アイザックが当然であるように、テオのために椅子を引いた。
アイザック以外の三人がその光景に小さく吹き出す。
出ない声で小さく笑いながら、テオは姫様然とそこに背筋を伸ばして浅く腰掛けた。
今となっては騎士の真似事だと分かってはいるが、どうしようもない。
アイザックは一歩下がって、テオの斜め後ろで真っ直ぐに立つ。
鏡映しにしたように、ディナルドの背後にはホレスが立っていた。
「お昼でも食べるかい? 用意させるよ?」
「さっき食堂から連れてきた」
「あ、そうなんだ? お茶は?」
テオが少し両肩を竦めると、ディナルドが軽く片手を持ち上げる。
これまで気配を消したようにしていた侍従が部屋を出て行った。
主人の雰囲気を模しているかのような部屋は、どっしりと落ち着いた感じに思えた。
調度ひとつとっても、派手さは無いがよく見ると趣味の良い細工がある。
雑多な裏方とは違う空気が満ち、ほんのりと良い香りがする。
これまで所属していた騎士の詰所は、掃除はされていたが、ごちゃついた感じだった。
何より体格の良い男ばかりでむさ苦しかった。
訪れた王族や貴人の部屋は、明るく煌びやかだったが、それともまた違う。
アイザックは漠然とディナルドの色気の正体を見た気がした。
「さあ。話を聞こうか」
ゆるりと姿勢を崩すと、軽く足を組んでその上に手を乗せる。
微笑んだディナルドの顔は全てを悟っているように穏やかに見えた。
テオはふうと息を吐き出すと、忙しく手を動かす。
アイザックから見えるのは肩越しに覗く指先くらいだが、時に手を打ち鳴らしてぱちんと聞こえる音は鋭く短い。
自分に語りかける時より何倍も早いのだけは分かった。
ディナルドはふふと笑うと、自分の手を伸ばしてテオの手の上に被せる。
「……まぁ、そんなところだろうとは思ってたけど……アイザック君のことは予想外だな」
「……はい?」
ディナルドはにこりと笑って、向かい側に立つアイザックを見上げる。
「君、騎士に戻りたいかい?」
「え……え? 仰っている意味がよく……」
「んー。まぁもう、王城で、とはいかないけどね。どこか遠くか、個人のお抱えになるか……どうだろう?」
「貴方の元で働くのでは?」
「私はね、そのつもりだったよ。君、面白いから気に入ったし」
ではテオが何かを訴えたのだとそちらに目を向けると、テオもまた振り返ってこちらを見上げていた。
「……何と言われたのですか?」
「あんたが可哀想だって」
テオはホレスを睨み、すぐさま『いいえ』と手を振って、ついでにどんと卓を叩いた。
「意訳はそうだろが」
「まぁまぁ、ホレス君」
「まだ……騎士としてやれる、と?」
「うん。君が誰に仕えるのか拘らないならね」
「……そうですか」
「国や王家のためと志したんだよね?」
「はい」
「主人が変わることに抵抗は?」
「な……くはないですが、私はもう……」
「あは。そうだったね、ごめんごめん」
ばんばんとテオは卓を叩いて、ディナルドの注意を自分に向けた。
「テオは君を巻き込んだことに報いたいんだよ」
「巻き込まれたという思いはありません」
「まぁもう最初から騙されてるようなもんだしな」
「んふふふふ。本当にねぇ?」
がっくりとテオの頭が下がる。
大きなため息と同時に両肩も下がった。
「どうするかねぇ? アイザック君」
「考える時間は?」
「あげるよ」
「ありがとうございます」
「まぁ、アイザック君は保留にすることにして、テオは用済みだねぇ」
「……そ、そのような言い方は」
「顔の傷だけじゃ無いよ。アイザック君は気付かない?」
「何を、でしょうか」
「この子もうそんなに似てないよ」
「そうですか?」
「背が伸びて顔立ちも変わってきた」
あ、と初めてアイザックには思い当たるものがある。
時々シルヴィエーヌ姫が幼く見えることがあった。しかしそれも言われてやっと分かる程の差異ではあったが。
ではその時の姫君が、本物のシルヴィエーヌ姫であったということか。
これまではベール越しで、もちろんまじまじと姫のお顔を見ることはなく、今となってはテオの顔を見過ぎてその印象しかない。
「シルヴィエーヌ様の輿入れまでと期限は切ってあったし」
「……この国に姫が居られる間ということでしょうか」
「うんまぁ、当初はテオも皇国に雇ってもらうことになってたけど、傷がどうこうの前に影武者として役に立たなくなっちゃったからねぇ?」
こんこんとテオが卓を叩くと、ディナルドはにこりと笑って頷いた。
「 約束を違える気はない。少しだけ早まっちゃったけど、ちゃんと守るよ」
テオは真っ直ぐさせていた背筋から力を抜いて、ぐってりと椅子の背もたれに体を預けた。
「カークストウの姫は皇国に?」
「そうだね。彼女は魔術で顔を変えてるから、問題ないよ」
「そんなことをしてまで……」
「そうする価値があるからねぇ」
「価値……」
「まぁそれはこちらの事情だ。差し当たってアイザック君はどうするかな?」
「……どうすべきでしょうか」
「やることないなら、お掃除してもらおうかな」
「掃除、ですか」
人を片付けるなどの暗殺的な意味合いではなく、任せられたのは言葉通り、本当に掃除だった。
その日のうちにやって来たカークストウのプリシラに傷を診てもらい、アイザックは傷を治してもらう。
乾燥させた薬草をもらい、毒消しの作り方も教わった。
テオは傷が深かった為に、魔術で完治までとはいかず、しばらくは大人しく過ごして、後は自然に任せることになった。
無理をしなければ普段通りにしても構わないと見立てられる。
翌日の早朝にはふたりとも屋敷を出された。
少しの荷物と、馬一頭。
それから地図を渡される。
王都から少し離れた田舎までの、ざっくりとした手書きの地図だった。
「テオ? ……ご説明をいただけますか?」
手を借りずひとりで馬にひらりと乗ると、テオは鞍の前に詰めて、後ろ側をとんとんと叩いた。
そこに乗れと言われているのは分かったので、アイザックはテオの後ろ側で馬に跨る。
外套の前をきちんと留めてフードを目深に被ると、アイザックの腕を前に引っ張る。
片手に手綱を持たせて、もう片方は手袋を剥ぎ取った。
『馬はゆっくり』と手のひらに書かれて、心得たとアイザックは軽く馬の腹を蹴る。
歩くような速度で進み、その間に説明をもらえるのかと肩越しに自分の手のひらを見下ろした。
テオの小さな手が自分の手の上に重なっている。
「地図にあるシャンスウェイトという場所に向かえば良いのですね」
テオはこくりと頷いた。
「そこで掃除をするんですね?」
『どうして一緒に行くと?』
「それは……他に無いので」
『拒否できた』
「そうですかね」
『できたのに』
「……貴女は拒否したかったですか?」
『しない』
「なら私もしません」
はぁ? と息を吐いたのは背中越しに伝わったし、そういう表情でテオが振り返ったので、アイザックは笑を堪える。
顔を顰めてテオは前を向く。
手のひらに指を置いた。
『そこに引きこもる予定』
「……テオが?」
『家をくれる約束』
「ディナルド様がそのように?」
『退職金』
「……田舎で人知れず暮らすということですね」
『私が住むから掃除をする』
「なるほど」
『来る必要は無い』
「私ですか? でも戻ったところで、あの屋敷から出られませんし」
ふぅと小さく息を吐き出して、テオは森の中を進む別れ道の片方を指さした。
指示の通りに進む。
アクセレーベンの屋敷を離れて、森から出そうになる前に、テオはアイザックを振り返ってフードを引っ張った。
誰にも顔を見られないように深くフードを被る。
『王都を出るまで』
「そうですね……足も早めた方が良いでしょう。馬を走らせても?」
『はい』と合図を返されたので、森を出たところからは速足で丘を駆け下りた。
葬列を見送ったあの日のように、薄紫の細い雲が、いく筋も城都に向かって流れていた。
適度に休憩を取りながら、馬を走らせ、日暮れにはシャンスウェイトに到着する。