騎士の心得
日が暮れる頃になると、ホレスが革製の書類綴じを持ってテオの部屋を訪れた。
金の型押しの縁取りがある硬質な鞣革。王宮の文官が使うものだとアイザックには見える。
テオは書類綴じの厚みにうんざりした表情になったが、自分から手を出してさっさと受け取った。
中には書類や封書が入っており、特に手紙のようなものがざっと見ただけで十以上はある。
それも粗雑な紙から、高級そうなものまで様々だ。
アイザックがこれは何だと目で訴えかけると、ホレスはそれを受け止めてふんと鼻で笑った。
「いや、俺には普通に話せばいいだろう」
「あ。……そうか」
「表に出なくてもできる姫君の仕事だな……手紙の返事なんて地味に時間がかかるだろ」
「そういうものは……」
「まぁ当たり障りのないものは、姫様の侍従や侍女が代筆してる。けど『シルヴィエーヌ様』の直筆の方が感じが良い手紙ってそれなりにあるもんだぞ」
テオは送り主の名前を確認しながら大きく頷いた。
「ま、それも人形の代筆だけど」
ふふと笑うとテオは数あるうちの中から荒い紙の封書を見付けてにっこりとする。片方の手のひらを上にしてひらひらとさせた。
アイザックは封を開けたいのだと汲んで、机の上にあるペーパーナイフを取りに行く。
「……使いこなされてるな」
「そうか? まだまだだぞ?」
テオはナイフを受け取ると、ありがとうと合図を返す。アイザックは同じように笑ってもったいないお言葉ですと口に出して伝えた。
封書を丁寧に切り開くと、中身を確認し、すぐにどうだと言う表情でアイザックの方に向ける。
いくつか反対を向いた下手くそな字と、とても上手とは言えない絵で紙は埋め尽くされていた。
手紙はつい先日訪れた施設の子供たちからだった。
「あぁ……とても可愛らしいですね」
テオはもう一度手紙をよく見て、こくりと頷く。中央にいる人物らしきものと、その周りにいる小さな人物らしいその絵を愛おしそうに指先で撫でた。
「ちゃんと確かめられるものなのですね」
アイザックは時折り、訪れた場所で手紙を預かることがあった。
シルヴィエーヌ様に渡して欲しいと。
それは子どもだけに限らなかったが、自分が受け取った手紙はすぐに、その時に居る侍従か侍女に渡して、それで終了する。
分かった、と返答はするが、必ず、とは言ったことがない。
それはどの騎士が誰から預かろうが、そう返事をするようにと決まっているからだ。
最終的に姫君まで本当に渡っているかどうかを確かめたこともなかった。
「こういうものこそきちんと手紙を返した方が『感じが良い』だろ?」
「……確かにな」
言い訳めいたへ理屈にも聞こえるが、テオの嬉しそうな表情を見ると、ただ王家への求心力を高めるためだけに返事を書くのではないと思えて、胸の中がぐっと詰まる感じがする。
民からの信望が厚いのも然るべきだと勝手に口の端が持ち上がった。
その他の書類や手紙はさらっと一通り目を通して、すぐに書類綴じに挟み直した。
「明日にはディナルドも時間が取れる。ヒマができたらプリシラも寄るってさ」
テオが分かったと合図を返すと、ホレスも口ではなく手を動かした。
自分には知られたくないことなのかと、アイザックは見るのを遠慮しようかと思ったが、主語が自分から始まっているのだけは見てとれた。
しかし教えてもらった単語がほぼ登場しなかったので、内容は見ていたところでさっぱりだった。動きが早すぎてひとつひとつを分けて読み取るのすら難しい。
外国語で話をされている気分だ。
テオが短く返すと、ホレスは少し肩を竦める。
「……だろう思ったからお前に先に教えた」
テオがこちらを指さしたことで、やっぱり自分の話だったのかと思う。
「何でしょうか」
「……飯食いに行くか?」
「いや、絶対そんな話じゃなかっただろ」
「……お前……あーあれ。……自分の葬列見たい?」
「…………なに?」
「明日こっそり城を出るってよ」
「…………副長も一緒か?」
「そう聞いた」
「なら送ってやりたい」
「遠くから見るだけだぞ」
「ああ……分かっている」
「……だってよ」
うんと頷いたテオは『一緒に』と合図を出す。
この仕草はまだ教わってなかったので、アイザックは少し首を傾げる。
「一緒に行くぞって」
「テオも?」
「……あの日付いてた侍女も同じ葬列に入る。俺らの仲間だった」
「……あぁ。そうだったか」
「副長だって知らない奴じゃないし、だと」
「そうですね……では、一緒に送ってくださいますか」
はいと返すテオに、ありがとうございますと声に出す。
「……なんでこいつを丁重に扱う」
「は?」
「俺にはこうだろ」
「丁重に扱われたいのか?」
「逆だわ。こいつを普通に扱えよ」
「…………無理だろ」
「見た目か」
「頭では分かってても……ちょっと」
テオは分かりやすく姿勢を正して、シルヴィエーヌ姫のように振る舞う。
微笑み方も傾げる首の角度も、軽やかに差し出される手の先も、どこをどう見てもこれまで接してきた姫君だ。
手をゆるりひらりと優雅に動かした。
「飯食いに行くぞって」
「はい、もちろんお供します」
「……丸出しだな」
「急に変われるか」
テオは姫君の仕草をさっと終わらせて、寝台からささっと降りると、室内履きに足を突っ込んで、ばっと肩掛けを羽織った。
さぁ行くぞと言わんばかりに歩き出す。
「そのお姿でですか?」
「いや、だからお前」
「これは姫君どうこうじゃない。これは……寝巻きではないですか」
「あぁまぁ……いいだろ、別に。自分の家だし」
そうだと言っているような顔でテオも見ている。
「お前だって大概恥ずかしい感じだぞ? 何その服、格好付けてんの?」
顔が熱くなっているのを感じながら、テオの側まで行き、ゆるっとした肩掛けをぎゅうと巻いた。端にボタンが付いていたので、ひとつひとつ留めていく。
「……参りましょうか」
テオはアイザックを見上げて、手をひらりとさせる。
意味が分からなかったのでホレスを振り返った。
「『格好付けてるのか』って」
アイザックは声を喉に詰まらせながら、着せられてるんですと小声で返した。
翌日は夜も明けやらぬ内に、どんどんと扉が叩かれた。
適当に服を引っ掛けて扉を開けると、そこにはテオが立っている。
町のどこにでもにいそうな女性の衣装で、腕には外套が掛かっていた。
アイザックの姿を見て、ちょいちょいと自分のシャツを引っ張る。
自分の胸元の服を掻き合わせて、少しお待ちくださいと扉を閉めた。
慌てて服装を整えて、窓の外を見る。
薄紫の空気がまだ辺りに満ちていた。
通用門から森に抜けて出ると、テオは持っていた外套を片方アイザックに渡す。
大きなフードが付いたローブを纏いながら、テオの後ろを付いて歩いた。
がさがさと獣道のような細い道を進む。
もう少しで森が切れる辺りで立ち止まり、テオは茂みに身を潜めるようにその場にしゃがみ込んだ。
その横にアイザックも同じように身を屈める。
薄紫になった空には、灰を混ぜた同じような色の雲が浮かび、いく筋も城下に向かって流れている。
枝を移る鳥の気配だけがうるさく、あちこちに高い声が響いていた。
目の前にはなだらかに下る草原と、そこをふたつに分ける一本道が見えている。
あの日は何も起こらなかった。
シルヴィエーヌ姫は午前中に各所への訪問を予定通りに終えて、午後には城へ無事に戻った。
国のことを思えばそうしなければならないのだと、アイザックにも、理屈はよく分かる。
これからやって来る葬列は、誰にも知られてはならないものだ。
夜中じゃないだけ、葬列を組んでもらえるだけマシなのだと考えることにした。
だが部下をひとり失い、自分は死んだことにされ、テオは消えない傷を頬と腹に負った。
どこに持っていけばいいのか分からない怒りのやり場に、歯を食いしばり、拳を固く握りしめる。
ごとごとと車輪が土を噛む音、馬と人の足音、少なくない人の気配を遠くに感じて、アイザックはフードを被った。
テオにもフードを被せてやる。
正装をした騎士たちの列が、荷車と一緒に草原をゆっくりと下っていく。
その後を追うように王城で朝を知らせる鐘が鳴った。
さっきよりも白くなった空をちらりと見上げて、短い行列に視線を移す。
横にいるテオはしゃがんで小さくなったまま、手のひらを合わせて指を組み、祈るように目を閉じている。
距離があり確認はし辛かったが、姿勢や歩き方のクセでそれが己の隊の部下たちだと分かった。
副長以外は生きていてくれたのだと、それが知れただけでもう、充分に思えた。
心の中を駆け巡る思い出に黙祷を捧げる。
これからをどう生きるか。
せめて副長の死に恥じることのないようにと心に決める。
屋敷に戻って、外套を脱ぎ、それを腕にかけ、長い通路をテオの後を付いて歩いた。
横の窓から入る白っぽい光と、今まだ暗い部分とで、縞模様を作っている。
まだ明るいとは言えない屋内で、いつまでもフードを被ったままのテオを不思議に思って横に並んだ。
どうしたのかと顔を覗き込む。
テオの呼吸が少し乱れているように感じて、腕を出して歩くのを制した。
「失礼」
フードを外すと影の中でも青白いと分かるほどの顔色だった。
汗の粒も額に浮いているのが見える。
「テオ? ひどい顔色です」
外套の留め具を外して、脱がせると、両腕は腹の周りを押さえている。
「傷に障りましたか」
ふへと力無く笑った顔が、こくりと頷いた。
ほいほいと出歩ける状態ではなかったのかと奥歯を噛み締めた。
これまでも平気そうな顔をしていたので、魔術で良くなっているのだと思い込んでいた自分を張り倒してやりたい。
「まだ治りきってなかったんですね。それならそうと前もってひとこ……」
言い切る前にテオはアイザックの腿を握った手でどんと叩いた。
アイザックも治りきってない傷があったと短く呻き声をあげてから思い出した。
「とにかく休みましょう……傷が開いてないと良いですが」
失礼と言えば何をしても許されると思っているアイザックは、素早く身を屈めて足元を掬うようにすると、テオを抱き上げて歩き出す。
どすと肩を叩かれて、足をばたつかせているのを見るに『自分で歩ける』と主張しているのは分かった。
分かったがそこは敢えて無視をすることにした。
「ホレスに知らせますか? それからカークストウの姫を呼んでもらいましょう」
『いいえ』ともう一度どすりと肩を叩かれる。
むっすりと不貞腐れた顔を新鮮な気持ちで見下ろした。
こんなにもくるくると表情を変えられるものなのか。
アイザックのどこかで何かがことりと音を立てる。
それも敢えて無視をして、とにかく手当だとテオの部屋へ急いだ。
部屋へ戻った途端にテオは服を脱ぎ出したので、アイザックは慌てふためいて外に飛び出した。
その物音で起きたのか、ホレスが廊下に顔を出す。
「……うるさいぞお前ら」
「いや、あの、テオが」
「あ? なんだよ」
「傷が痛むらしいから急いで部屋に戻って」
「ほん」
「そしたら服を脱ぎだした」
「…………お前を追い出したかったの」
「なに?」
「お前ならさっさと部屋を出るって思ったんだろ?」
「……そうなのか?」
「出てんじゃん」
「う……そりゃ、出るだろ」
「俺は出ないぞ?」
「は?!」
「だから拳かナイフが飛んでくるな」
「…………あ、そう」
待ってろと言いながら一度引っ込んでから、ホレスはすぐに部屋を出てきた。
テオに向けて開けるぞと言い切る前に扉を押して、ホレスはさっと横に避ける。
向かいの壁にたんと乾いた音を立てて、ナイフが突き立った。
ほらなと言う顔で、ホレスはアイザックを見ている。
「おいブスー。傷開いてるだろー」
ホレスは顔を覗かせると素早く身を引く。
扉はすぐさま大きな音と一緒に閉じられた。
「ぬるいぞチョロ助め」
「……ホレス?」
「おお。もうちょっと待て。すぐ倒れる」
「なに?!」
しばらくするとどさりと音がして、動く気配がなくなってからホレスは扉を開けた。
言う通りにテオは床に倒れている。
「テオ!! あぁ大変だ……すぐに医師を!」
「落ち着け。寝てるだけだから」
「ホレス?!」
ホレスは床に落ちた銀色に光るものを摘み上げる。
「俺の針。眠り薬に魔術を付加してあるから即効性がハンパないの」
「なんてことをするんだ」
「ちょい待て。俺ナイフ投げられてんですけど?」
「それにしても酷すぎないか」
「捌いた腹を放置してる方が酷いと思うけどな」
脱ぎかけの服にじんわりと血が滲み出してきていた。
抱え上げて寝台に寝かせると、アイザックは遠慮なく衣装も下着も捲り、傷を露にさせ、その上に手を翳して治療の魔術を展開させる。
「あー……俺着替えて来るわ。終わったらメシ行こうぜ」
ホレスが出て行き扉が閉まる音を聞いてから、アイザックは大きな大きなため息を吐き出した。
呆れたのか安堵からなのか、アイザックにも分からない。




