うららかなひる
むかし むかし
この国に王がはじめて降り立ったお祝いの日のことです
王の目の前にひとりの美しい娘があらわれたのでした
娘のあまりの美しさに
王はひと目でとりこになり
ぜひとも娘を妃にしたいと願いました
しかし娘はこう言ったのです
「あなたのお妃さまはわたくしではありません。どうかわたくしを臣下にしてください」
なぜだと王は怒りました
どうしても娘を妃に迎えたかったからです
娘は言いました
「わたくしの血は王家のためにではなく、民のためにあるのです」
どういうことだとたずねると
娘はほほえんでこう答えました
「わたくしはいにしえの時よりこの地に住まうもの、しかし生をもちあわせていないもの」
王は娘の言うことがわかりません
するともの知りの臣下が王の耳にささやきかけるのです
わが王よ、あれは魔女です、と
その小さな声は娘には聞こえないはずでしたが
娘はへんじをするように
とてもとても美しくほほえみました
城壁の手前には周りを囲むように、こんもりとした森がある。
歴程の話をするならば、後から森ができたのではなく、森の中を拓いて城を築いたのがそもそもだ。
鬱蒼とした暗い場所ではなく、適度に手入れがされ、光も空気も水も滞りなく通ってゆく森。
大きな獣はおらず、小動物と鳥と虫の姿がそこかしこに見える薄く広い森だ。
その外側は広くなだらかに波打つ草原、城都は扇状に農地と民の住まう家々、その外側が商業地域と、城から遠くなるほど活気が溢れて賑やかになっていく。
四頭立ての立派な馬車は、城壁の手前。
森の中に差し掛かろうとしていた。
天候も良くのどかな昼下がり。
馬車の速度も、周りにいる護衛騎士の馬の足並みも、ゆったりと優雅な速度だった。
艶のある黒塗りの馬車には、青い空とくっきりとした白い雲、近付く森の緑色が映っている。
黒い馬車なのに、映るものの色がこうも綺麗に分かるのはどうしてだろうか。
横に付いて馬で駆ける護衛騎士がそんなことを考えるくらいにはゆったりとした雰囲気だった。
馬車にはこの国の姫君が乗っている。
翌年にはひとつ国を挟んだ南隣の皇国への輿入れが決まっている。輿入れの準備をしながらも、その忙しい最中を縫うようにして公務をこなしていた。
この日は午前から城都にある子どもたちの為の施設を数ヵ所見てまわり、午後にはそれを終え、今まさに帰りの道中だ。
歳若い姫君の城外への視察はよくあることだった。
王に付いて国のことを学ぶ兄王子の目や耳になるべく、妹姫は充分にその役目を果たしていた。
可憐で儚げな姫君は、いつも笑顔を絶やさず、隔てなく人と接する。ゆえに民からの世評に高く、延いては王家への求心力に繋がっていた。
姫君は城都へ下る際は、必ず紗を重ねたベールで髪と目元を隠している。
全てが隠れる訳ではないのだが、時折りちらりとのぞく口元や、髪の色が、姫君を姫君たらしめていて、民にはその様こそ符牒、神秘的な姿に得難さを感じていた。
本日の御召し物は白を基調に深緑の草花の刺繍が入ったとても爽やかなもの。
子どもたちと触れ合うのであまり嵩張らない意匠だ。
嵩張らないとはいえ、それは城に居る時と比べれば、の話。
馬車の小さな窓から見える内側は、ふわふわとしたスカートと、その中に埋もれそうな手が見えている。
護衛の騎士からは騎乗した分の高さと、窓に掛かった日除けとで、姫君のご様子は窺えないが、重ねられた手は指先がきちんと揃い、意識が指の先の先にまで届いているように見えた。
眠くはならないのだろうか。
外はふんわりと暖かい日差し、少し冷んやりとした風を頬に感じている。ゆっくりと馬に身体を揺られながら、騎士は根性であくびを噛み殺して、瞼に力を入れて瞬いた。
違和感を感じたのは、森に差し掛かってすぐのことだった。
何がどうかと違和感の元を探る為に、いつもとの差異に注意を向ける。
まず森の中が静かなことに気が付いた。
小動物が動く気配や、鳥の声すら無い。
続いて道がきれいなこと。
しばらく晴れの日が続いていたので、轍や馬の足跡は付かないのはそうだが、今朝通った反対向きの痕跡すら無い。
意図的に消されたように見える。
馬車の真横に並走していた足を少し早めて、馭者台に近寄った。
速度を最速にと短く告げて、周囲に散らばる騎士たちに警戒しろと手で合図を送る。
馭者は拳で背後の壁を二回打ち鳴らすと、手綱を短く握り直して、馬に鞭を打った。
馬車が速度を上げると背後から大勢の声が聞こえる。
やはりかと腰に手を掛けた時、真横から銀色の光が走るのを見た。
矢は我が愛馬の首と目、自分の左腿、そこを通り越したいくつかが馬車の側面に届く。
真っ白な羽と、艶のある矢柄はそれなりに高価に見えて、小さく舌を打った。
馬はすぐに足をもつれさせて、速度を落とし、横に転がった。
自身も足を挟まれないように地面に落ちながら横に転がる。
馬車は先に行ったので、ぶつかって進路を塞がずに済んだのには息を吐いた。
あちこちの痛みなど脇に置いて、矢を引き抜く。
背後の襲撃者は後ろの者に任せればいい。
厄介なのは前にも襲撃者が居る場合だ。
横に居たはずの射手の気配は感じない。
すでにこの場を立ち去ったか、馬車を追ってそちらに向かったに違いない。
小さくなっていく馬車と、並走する部下の騎影がひとつ。それを見ながら立ち上がって、長剣を抜き、自分の足を使って走り出した。
森の中ほどを過ぎて、もうしばらく走れば木々の隙間から城壁が見える辺りに差し掛かる。
その場所で馬は道を外れ、大きな木立に衝突して止まった。
馭者か護衛か襲撃者か、低い声と何かがぶつかり合う音が聞こえる。
向かいに居た侍女が、斜めに傾いた車内で素早く身を起こして、出入り口に背を向けて立ち塞がった。
「シルヴィエーヌ様、身を低くしてくださいませ」
座席と座席の間の床に、ぐいと身体を押さえ付けられた時、扉が開いて侍女は後ろ向きに引き摺り出されていく。
短い悲鳴の後、光を背負った黒い影が姫君に向けて手を伸ばす。
二の腕を掴まれて侍女と同じように車外へ引き摺り降ろされた。
地面に伏せるその侍女の肩が見えて、ぎりと歯を食いしばった。
背後から首に腕を回されて、拘束されると同時に、耳元で大声がする。
「姫君の御身が大事なら剣を捨てろ!」
首に回った腕を両手で外そうともがいて、剣を振るっている騎士に声をかける。
「わたくしに構わず相手を斬りなさい!」
「黙れ!」
「これを許してはいけません!」
反撃をしたいが、男の背は高い。姫のつま先は地面を擦り、少し浮いた状態で宙を掻く。
さらにぐと喉を締め上げられ、呻いた声で騎士からは覇気が消えていくのが分かった。
何をする間もなく、向かい合った相手から再び振り下ろされた剣で護衛騎士は斃れていく。
手元の短剣を見せつけながら、襲撃者の男は嘲るように笑った。
「大人しくしていればあの騎士は死なずに済んだものを」
見える範囲では味方が居ないことを確認して、シルヴィエーヌはふうと息を吐き出した。
機を伺ってもごもごと動くと首元が締まっていく。
「命までは取りません。ただ……」
男の短剣は姫君の左目の下から、頬を縦に切り裂いていった。
痛いよりも熱い感覚が走って、毒が仕込まれているのだと、男の腕を掻きむしるようにした。
その内で手の中に入ったものを目だけ下に向けて確認する。
男の袖口に付いていたボタン。
金色で特徴的な文様が浮き彫りで入っている。
男にも見えるように指に挟んで持ち上げた。
「人を襲うのにご立派な衣装は如何かと思います」
それがどれほどの証拠になるのか、焦った男が取り返そうとした次の時には、指に挟まれていたボタンは消えている。
「どこに隠した!」
変わらず姫の手は、男の腕を剥がそうとしている。
放り投げたか落としたかと下を探しているうちに、姫君を呼ぶ声が遠くで響く。
「こうなっては貴女を生かしておれない。命まで取る予定ではなかったのに、賢しい真似をする貴女が悪い」
短剣が姫君に向かって振り上げられる。
避けようと腕を叩いて位置を下にずらすまでは成功したが、力で敵うことはなく、短剣は下腹に突き立った。
すぐに真っ白な衣装が赤く染まっていく。
男は足元をもう一度見回し、取られたボタンがどこにもないことを確認すると、姫を放り出すようにして、木立の間を縫って姿を消した。
遠くからの足音が近付いて、ふわりと身体が仰向けにされる。
重なり合った木々の葉の間から見える、青空とくっきりとした白い雲が、とても美し過ぎて腹が立ってくる。
「シルヴィエーヌ様! 意識はお有りか?」
傷の無い方の頬を数回はたはたと撫でるようにすると、失礼と呟くように言って腹の短剣を引き抜く。
すぐに力強く押されて、そこで続けて魔力が動く気配がした。
護衛騎士は護衛対象や自身の傷を治す為に、治癒魔術が必修になっている。
士長級にもなると、魔力量も多く、治癒速度もかなり早い。
姫君は士長の手首を掴んでぐいと押した。
「姫様?」
何をするのだと言う顔が、こちらを覗き込んでくるので、大きく息を吸う。
「ご丁寧に毒が仕込んであります……解毒が先……傷を塞がないで」
いくらか腹を押さえた力が緩んで、しかしと声が降ってくる。
「解毒は自分でする……他に生きている者は?」
シルヴィエーヌの言葉を信用して、魔術の履行は取り消したが、これ以上血を失わないようにと腹はぐと押さえ直して、辺りを見回した。
この場に倒れている者は、味方も敵も、どちらも命があるようには見えない。
「……おりません」
「わかった……アイザック」
はと意識を姫君に向けた。
いつもは士長と役職で呼ばれていたので、まさか名を呼ばれるとはと驚く。
「解毒をしているうちに確実に魔力切れを起こす。ここから森を抜けて、通用門から西宮のディナルドの所へ、私を連れて行け」
「アクセレーベン卿ですか?」
「そうだ、急げ」
「なぜそのようなご命令を」
「このまま真っ直ぐ城門を通れると思うか?」
「……いいえ」
この先に襲撃者が潜んで無いとも言い切れない。
居ると仮定して然るべきで、姫君は一刻をも争う状況だ。どれだけ残ったか知れない部下を待つ余裕もなければ、ひとり姫君を抱えて襲撃を切り抜けるような賭けも出来ない。
姫君は唸り声を上げると、むしるように頭のベールを剥ぎ取った。
「ああ! くそ!! あと半年だったのに!!」
「はい?!」
「早く私を連れて行け!」
「シルヴィエーヌ様?」
「そのシルヴィエーヌ様が襲われたと知れたら、お前も、お前の部下も首から上が無くなるぞ」
「…………な?」
「頭の回らない男だな」
「あ、の……」
「いいから私を抱えて走れ!!」
反射のように横抱きにした身体は、驚くほど軽く感じた。
振動に呻いて歪んだ顔は青白く、いくつも汗が浮かんでいる。
立ち上がろうと膝を立てると、矢が刺さった痕から血がとろりと溢れ出る。
自分で軽く血止めと痛み止めの術をかけて立ち上がった。
これ以上姫君に振動が響かないようにと、自分の体に押さえ付けるように固定して走り出す。
第二近衛隊 騎士長アイザック フェイヴェルトは白くふわふわとした衣装の、お人形のようなシルヴィエーヌ姫を抱えて、森の中に突っ込んでいく。