9 大人のイジメ
「まだ時間がかかるのでしょうか? 落とした財布を返してもらうだけだと聞いていましたが……」
小松勇斗の母親、小松香織は眉をよせて、怪訝な表情をしている。
さすがに時間がかかり過ぎている。怪しまれてもしょうがない。
「もう少しかかるようです。待っている間、お母様にお話を聞かせていただきたいのですが、よろしいですか?」
西森は自信があるようだ。俺の出る幕はないだろう。
「……はい。なんでしょう?」
目が鋭くなった。少し、警戒している。
「勇斗さんの背中に傷があります。クラスメイトに暴行されたと本人は言っています。ご存知でしたか?」
どの口が言う。
小松勇斗が自分でつけた傷だと言ったばかりだ。女は怖い。
香織は驚いているようだった。演技ではないと感じる。
「勇斗が……イジメを受けていたということでしょうか?」
「本人はそう言っています」
嘘ではない。
真実かどうかはともかく、勇斗自身の証言だ。
「誰なんですか?」
香織が西森に詰め寄る。
怒りの表情が出ている。
「そのことでお聞きします。山崎努さんはよくお宅に遊びに来ることがありますか?」
「え?」
香織の顔から表情が消える。
予想外の質問に、怒りの感情をなくしたようだ。
山崎努という名前に反応したのか? これは当たりかもしれない。
「どうですか?」
「さあ……仕事で家にいない時間も多いですから……どうでしょうか?」
誤魔化すつもりらしい。だが、動揺は隠しきれない。
「努さんのお母様との交流はあるのですか? ママ友として」
「ええ……道で会えば、挨拶をかわす程度には……」
なんだこの質問は? なんの関係がある?
「最近会ったのは?」
「どうでしょうか? 覚えていません」
山崎努の母親は、小松勇斗のことを嫌っていた。当然、その母親である香織のことも快く思ってはいないだろう。
ママ友と言っても、そこまで親密な関係でもない。
西森は何を探ろうとしているのか?
静寂の時間が流れる。
「こちらにはお車で?」
「……はい」
「よく運転されます?」
「毎日です。仕事に行くときにも使っています」
「深夜に車で出かけるようなことはありますか?」
「え?」
「例えば、十月十日の深夜とか……」
その日は、山崎努が失踪した日。殺人が行われていたと推測される日だ。
西森の奴、とうとう追い詰めるつもりだ。
「なんなんですか? これは取り調べですか?」
香織は取り乱している。
疑惑を持たれていると確信したようだ。そして、動揺している。
「いえ、これはご相談です。あなたが本当のことを言ってくれないと、息子さんを逮捕しなければならなくなります。そうですね、南条さん?」
小首を傾げて、ほほえむ。
なぜ、俺に振る?
「そうだな。本人が殺人を自供しているからな」
仕方がない。茶番にのってやる。
「ええっ! 勇斗がそう言ったのですか? そんなの嘘です」
焦っている。効果てきめんだ。
「なぜ、嘘だと?」
香織はうつむいてしまった。目をつぶって、考えているようだ。
そして、決心したのか、顔を上げる。
「私がやりました。努君を殺したのは私です。勇斗は関係ありません」
落ちた。
西森を見る。彼女はなぜか寂しそうな表情をしていた。
きっかけは山崎の母親に、息子のことをなじられたことだった。
ひどく憤慨しているところに、その息子である山崎努が自転車で遊びにくる。
いつものことだが、母親に友達付き合いをやめるように言われたばかり。迷ったが、家に入れた。
勇斗はまだ帰宅していない。遅くなるから、待っていてと言われたらしい。
お茶をだそうと用意しているときに、悪魔の考えが浮かんでしまった。
この子を殺せば、あの女に復讐できると……。
精神的ストレスからの不眠で睡眠薬を所持していた。それをお茶に混ぜた。
眠ったところで、ドアノブに紐をかけて殺し、車の後部座席に座らせた。
自転車に乗って、山崎の家にそっと返しに行った。ちなみに、その姿を勇斗に目撃されている。
深夜に車で現場までいき、自殺のように偽装した。
小松勇斗は、約束していた山崎がいなかったこと、山崎のものと似た自転車に香織が乗っていたこと、次の日から山崎が登校してこなかったことなどから、香織が山崎になにかしたのではないかと考えるようになる。
そして、山崎の遺体が発見された。香織が殺したのだと気付いた。
あの日、自分の家を訪ねたことは何れバレるだろうと思った。
母親を守らなければならない。父親が亡くなってから、女手ひとつで育ててもらった。逮捕させるわけにはいかない。
未成年である自分のほうが、まだいくらかましであろう。それなら、自分が罪をかぶるべきだ。動機はどうしよう? イジメられていたことにしよう。
そして、財布と背中の傷を偽装した。
「警察に嘘をついたのは褒められませんが、小松勇斗は優しい人ですね」
「ああ」
「不良のふりをしたのも、高校中退して働くことを母親に認めさせるためだった」
「ああ、そうらしいな」
「どうしたんですか? 南条さん、なにか気になることでも?」
小首を傾げて、ほほ笑む。
煙草の煙を吸い込んで、吐き出した。
署内で唯一の喫煙所。もちろん、非公認ではあるが、屋上に来ていた。
秋の風が冷たい。西森はあのダサいジャンバーを着ている。
「ひどい事件だったと思ってな」
「……」
「子供同士のイジメがこの事件の原因だと思っていた。だが、真実は違った。『大人同士のイジメが子供を巻き込んだ』これは、そういう事件だ」
「そうですね……」
「クソったれだな」
近頃の子供はと、すぐ大人は言う。イジメが陰湿になっているとも聞く。
だが、大人だってたいしたことはない。精神的に未熟なのは、子供だけではない。
「そうでもないですよ。あの子なら、きっと母親を支えられます」
「そうか?」
殺人を考えるような人間が、そう簡単に更生するとは思えない。
「それより、いつから目星をつけていた?」
小松香織とは今日が初対面だ。会う前から、確信していたのはなぜだ?
西森はやっぱり、いつものポーズでほほ笑むのだった。