3 自転車がありません
「どうしてそう思うの?」
西森の発言を受けての、奈美の質問だった。
その表情は冷たい。
それもそうだ。自殺か他殺かの判断は慎重に行わなければならない。その後の捜査に大きく関わる事案だ。
殺人事件ともなれば、自殺事件の何倍もの人員と時間が必要になる。県警本部に応援を頼むことになるし、捜査本部が立ち上がれば、署の負担もかなりものだ。
俺も含め、できれば自殺であってほしいと思っている捜査官もいることだろう。
だからこそ慎重に捜査をし、責任者である刑事課長の判断に委ねるというのが通例だ。
にもかかわらず、一介の新人が殺人事件だと断定したのだ。
少々、軽はずみな発言だと言われても仕方がない。
「自転車がありませんでした」
西森は動じていないようだった。
小首を傾げて、柔らかい表情。
「自転車?」
「はい。課長が来るまえに周囲を調べてみました。被害者が乗るような自転車は放置されていません」
「自転車に乗るとは限らないだろう。歩いてやって来たかもしれん」
「いえ、この辺りには駅も高校もありません。被害者のズボンの裾がすれていて、油の染みも付着しています。これは通学時に自転車を使用していたということです」
なるほど……学生の交通手段は限られている。自殺のためにここに来たのなら、自転車を使うのが妥当だろう。まさか、タクシーなんかでは来ないだろうし。
彼が制服を着ていることもそうだ。通学途中で寄り道したのなら、遠くに自転車を止めて、わざわざ歩くのも不自然に感じる。
だが……。
「家がこの近くにある場合はどうだ? 帰宅して自転車を置いて、歩いてここまで来た?」
ないこともないだろう。
西森が何か言いかけるのを遮るように、奈美が言う。
「被害者の身元は分かっています。七日まえから行方不明で捜索願が出されていた高校生。自宅も学校もここまで歩ける距離ではありません。自転車通学だったかは、確認していませんが」
「……」
「自力でここまで来たのではないとすると、何者かと一緒に来た? 運ばれて来た? ということになります。どちらの場合も、自殺ではありえません」
運ばれてきたのなら、当然、死体遺棄事件となる。おそらく殺人も行われていたとなるだろう。
車にせよ、自転車の二人乗りにせよ、連れがいるのに片方が自殺というシチュエーションもあり得ないと感じる。
やはり、自殺ではないのか?
だが、自転車のあるなしでそこまで断定していいものだろうか?
「もう一つは、この場所です」
「まだあるのか?」
「自殺をする場所として、ここはとても不自然です」
遺体の腐敗具合からして、かなりの時間、人の目に触れなかったことがわかる。
公園の隣だし、住宅地もそばにある。だが、静かな街にある死角といった感じで、手軽な自殺場所とも思える。不自然なようには感じない。
「そうか?」
「学生の自殺の大半は、いじめなどの学校問題、次は家庭問題が原因です。どちらの場合も対人関係による悩みで、多くは対象者に対する攻撃手段として自殺を選択することになります」
「……」
いじめていた相手の実名を書いた遺書を残すとかのことを言っているのか? 確かに、そういう復讐を込めたこともするだろう。特に、精神面で成長していない子供なら、自分よりも他者のせいにする傾向が強いかもしれない。
より効果的に復讐を考えるなら、相手が一番困る自殺場所にするということに……。
「いじめを受けていて自殺を考えるなら、学校という場所を選ぶ……そういうことを言っているのか? だが、そうとは限らないのじゃないか? 自殺の原因も様々だし、静かなところでひっそりとという気持ちだってあるかもしれない」
「いえ、そうであったとしても、この場所は選ばないと思います」
「……なぜだ?」
「最大で最後のイベントです。面倒だから、その辺の林でいいや……などと妥協するはずがありません。しっかり吟味し、相応しい場所を考えるでしょう」
「……」
そうかもしれない。
人生最後の食事があるとして、面倒だからコンビニで適当にとはならないだろう。十代の多感な時期ならなおさらだ。
なるほど……確かに、自殺としては不自然なような気がしてきた。
「わかりました。この遺体は司法解剖にまわします。捜査は自殺、他殺の両面を考慮に入れてお願いします」
刑事課長である奈美も、新人女の推理を参考にしたようだ。
理屈はわかるが、腹が立つ。
希望的観測を込めていたとはいえ、自殺だと主張した俺を論破した形になったのだ。
手柄などいらないが、ちょっと負けたくないぞ。
西森は相変わらず、首を傾げてほほ笑んでいた。
その後、念のために現場付近を捜索したが、やはり被害者が乗っていたと思われるような自転車は発見できなかった。