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2 遺体を見て泣く刑事

 ブルーシートの隙間から、若い鑑識係が小走りに駆け出してきた。口元を押さえている。

 俺の横を通り抜け、木の根元で吐いた。

 分からないでもない。

 首吊り死体というものは、ドラマとかで見るほどきれいなものではない。

 首が伸び、目は血走り、口から舌が飛び出し、見るも無残であることが多い。かなりの割合で、糞尿を垂れ流しているし、腐敗が進んでいることもある。

 さっきから鼻に届く腐敗臭で、見るまでもなく胃が縮む。

 シートのカーテンをぬける。

「これはひどいな」

 数日経っていることに加え、屋外だったことが影響している。

 いわゆる首吊り死体ではなく、座っている状態でベルトを木の股のところにまわして首にかけている。

 学生服を着用している。体格的には高校生だろうか。

 冬服に守られているため、胴の部分にはそれほどの乱れはない。だが、肌が露出している頭部や手は損傷が激しく、すでに黒くなっている血液がただれた肉にこびりついていた。

 表面が動いているように見えるのは、確認するまでもなく、ウジが湧いている。飛んでいるハエが鬱陶しい。

 顔の皮膚は剥がれ、目玉もない。

 鳥の糞らしきものが学生服に付着している。恐らく、カラスの仕業だろう。

 腐敗の始まった死体にカラスが群がり、顔や手の甲をついばんでいる。そんな絵が浮かぶ。

 口の中に嫌な苦みが広がった。

 

 捜査員の一人が隣に立つ奈美のもとへと駆け寄り、報告を始めた。

「所持品を確認しました。行方不明の高校生で間違いありません。遺書はありません」

 遺体から顔を背け、上げる。そこには見慣れない少女の姿があった。

 いや、少女ではないことはわかっている。捜査員である腕章をつけているし、私服だ。おそらく、奈美が言っていた新人の刑事であろう。

 彼女に向けて歩き出す。

 別に俺の方から挨拶に行こうと思ったわけじゃない。コンビを組むことを了承したわけでもないし、同じ職場の仲間だとしても上司の紹介を待てばいいことだ。

 だが、話しかけられずにはいられなかった。

 俺が近づく気配を感じたのか、こちらに顔を向けた。

 驚いたような顔をし、後に小首をかしげてほほ笑んだ。

 かわいい……いや、そういうことじゃない。

「お……初めまして、西森恵美です」

 外見だけでなく、話し方も子供っぽい。

「お?」

「はい?」

「今、『お』って言いかけて止めた」

 少し俯いて、恥ずかしそうな仕草をする。

 言い間違いを指摘するのは、ちょっと意地悪だったか?

「それは『お久しぶりです』と言おうとしたからです。きっと南条さんは覚えてないでしょうから」

「そうなのか?」

「はい」

 記憶にない。こんな子供みたいな警察官、会ったことあっただろうか?

「俺のこと、知っているのか?」

「もちろんです。一緒に仕事ができて光栄です」

「……」

 光栄? 俺と仕事ができて? 残念の間違いではなかろうか?

 まあいい。そんなことより、聞きたいことがある。

「いくつか質問したいのだが、いいか?」

「はい」

「なぜ、ジャンバーを着てる?」

「……寒がりだから?」

 疑問形に疑問形でかえすんじゃない。こいつは馬鹿なのか?

「汗かいているだろう。暑いんじゃないのか? それにサイズが合っていない。男物だろ、これ?」

 大きすぎるジャンバーが、彼女をいっそう幼く見せている。それに深緑の地味な生地で、ヴィンテージなのではなく、ただ古いだけの安物さがにじみ出ている。中の真新しいリクルートスーツとの対比が気持ち悪い。

「思い出のアウターなので……」

 西森は重そうなジャンバーを愛おしそうに抱えこんだ。

 まあ、そういうこともあるだろう。

 警察官だった父親の遺品で……とか、そういうものかもしれない。プライベートなことまで詮索するのは申し訳ないし、面倒くさい。

「よく警察官になれたな」

 意地悪だとも思いつつ、口から出てしまった。

 女性進出が目ざましいとはいえ、体力的にも体格的にも警察官なるのは厳しい。ましてやこんな小柄の普通のお嬢さんが、警察官の基準をパスできたのが単純に不思議だった。

「がんばりました」

「そうか……だが、それほどのものか? 所詮、汚れ仕事だぞ」

 我ながら、何を言っているんだと思った。

 先輩刑事が未来ある新人に、かけていい言葉でもない。

「これを着れる日が来て、ほんとうにうれしいです」

 目を輝かせて見つめられた。

 背中がこそばゆい。

 俺にもこんな初々しい時があったのだろうかと思う。

「体力あるのか? 身体が資本だぞ」

「体育は苦手でした。でも、がんばります」

「精神的にもきついぞ」

「がんばります」

 嬉しそうに答える返事が、馬鹿っぽくて、子供っぽい。

 小首を傾げるのはクセなのだろうか。

「もうひとつ、いいか?」

「はい」

「なぜ、泣いていた?」

 刑事になって、最初に遺体を見た時、俺は気絶しそうになった。凄惨な遺体を見て、吐いたこともある。今日のような遺体が最初なら、なおさらだ。

 だが、初めて彼女を見た時、遺体を見ながら涙をこぼしていた。

 凄惨で目をそむけたくなるような、元人間だった腐肉の塊を。

「知り合いなのか?」

「いえ、知りません」

「なら、なぜそんな悲しそうに涙を流していた?」

「……かわいそうで……」

 なるほど。

 確かに、そういう感情もある。いくら酷い状態の遺体でも、もとは生きた人間だ。そう思うと、敬意をもって扱いたいという感情にもなる。まあ、俺は『かわいそう』とまでは思わないが……。

「気持ちは分かるが、あまり感情移入しないように。まだわからんが、自殺者だろう。冷静に捜査して、粛々と……」

「違います」

 びっくりした。

「どうした?」

「自殺ではありません。他殺……殺人事件です」

 捜査員の手が止まるのが分かった。

 周りを見回すと、こちらに視線を向けている。

 奈美と目が合った。

 少し面倒なことになりそうだという予感を感じて、知らずに頭をかいていた。



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