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十五     千田SENDER《センダセンダ》

 くたびれたアパートへ、同じように疲労した体を持ち帰った。


 ドラマの突入シーンで容易に蹴破られるドアのごとき安普請、そのノブに鍵を差し込む。開け放つと、こもる熱気が逃げだしあふれでる。梅雨本番のこの時期は、降っていなくてもやたら蒸す。深夜の帰宅だっていうのに。千田(せんだ)哲也(てつや)は顔をしかめた。


 路地の電柱の外灯が放つ古ぼけた光が、四畳半一間に差し込む。

 手狭の寝床の中央を占拠する万年床の周辺には、百冊はくだらない数の、いくつもの山を形成するマイコン誌。五台あるPCは、市販品・自作機・ノート型、とMS-DOSからUnix系・Windows・MacintoshとさまざまのOSを網羅。無精をしてそのうち半年がたちそうな、異臭が漏れ出て中身を見るのも恐ろしい黒いポリ袋。袋麺の空き袋や、その飲み残しのスープが傷んで異臭を漂わせる手鍋。同じく異臭を放つごみ箱と、そこへ投げ入れそこなった、丸めたティッシュペーパー。それらが、あるものは整然と並び、あるものは雑然と散らばる。

 もとから鼻や喉周りが弱く匂いに鈍感なのと慣れもあって、千田は気にしない。とても人を呼べた部屋ではなかったが、人づきあいのほとんどない彼を訪ねる者は、宗教や新聞の勧誘か公共放送の契約関係者ぐらいだ。テレビは見ないので置いていない。さらにいえば鏡もない。日々整えるのがわずらわしくぼさぼさの髪に、二十代なかばにしてはひとまわりほど老け込んでいるしょぼくれた顔だ。好んでながめようとは思わない。


 着替えもせず、困憊(こんぱい)の体を布団に投げ出す。裏がわがカビだらけであることが容易に想像のつく臭いが全身を包む。じっとり汗ばむ体をせめてシャワーで洗い流したほうがいいのだろう。だが、めんどくさい。ここは風呂なしだ。銭湯に行くのはもっとめんどうだし、そもそもすでに閉まっている。

 細身を反転し枕もとの置き時計のボタンを押す。内蔵のライトが、デジタル表示――空港の発着の案内板のように数字がぱたぱた切り替わる、今どき売っていない年代ものだ――が示す時刻は『PM 5:05』。午前〇時二十五分か。千田は脳裏でさっと計算した。

 自分はことごとくついてない男だと思う。このデジタル時計だってそうだ。四半世紀はたっていそうな骨董品をにらみつける。


 以前、目覚まし時計が壊れてしまい、なるべく安く買い替えようと近所の質屋をあさってみつけたのがこれだった。ジャンク品でもないのに妙に安かった。電源コード式の古いタイプだからか。アラームとバックライトがついているし、電池切れの心配や交換する手間もない。これだ、と即断即決で買って帰った。

 なにかおかしいことに気づいたのはすぐだった。

 時間がずれる。PC上のファイルの保存時刻(タイムスタンプ)と常に一致しない。初めは気のせいかと思ったが、何度調整しても、同じペースで遅れる。もしや、と底面を確認して歯噛み。――しまった。西日本用(60Hz)だ。

 50Hzの関東では、《《正確に一時間あたり十分遅れる》》。だからやけに安価だったのだ。

 女子供年寄りならいざしらず、自分がこんなヘマをやらかすなんて。地団駄を踏んでもあとの祭だった。


 悔しさによる意地と金欠から、千田はしかたなく、このいまいましい置き時計を使い続けている。幸い、信頼性の高いゴショナル製だ。誤差は正確な周期で現れるので、そのぶんを織り込んで実際の時刻を求めればいい。

 最初のうちは、前の晩に翌朝の起床時間に正しい時刻を示すよう調整していたが、ずぼらな彼はすぐにやらなくなった。毎日、時刻あわせをする必要がないていどには、千田は暗算にすぐれていた。オレはこんな器用な芸当もやってのけられるんだ。人しれず悦に入るたび、その才能の持ちぬしがどうしてこんな初歩的なミスをしでかしたのだと自己嫌悪におちいる。


 この古ぼけた時計が過ごした昭和の高度成長期もかくや、前代未聞の記録的好景気のただなか。順風満帆の時代を約束された新元号の幕あけにあって、こんな貧乏暮らしをしている理由は、千田の()の悪さにあった。

おもしろかったら応援をぜひ。

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