十四 水、いまだ器にありて、覆茶を拭く
朝餉は、昨日に続き作戦会議を兼ねた席となっていた。
一家四人――庭で残飯つきのドッグフードを待つ一名を加えると五人家族か――には、どしりとしたかまえの樫の座卓は、普段は少々広すぎる。かつては十人を数えた大所帯の名残だが、今でも盆暮れ正月には欠かせない。
「オフクロ、おかわり」「俺もだ、お袋」「モグさんの食欲旺盛は昔っからか」「昭和ごはん、異世界料理みたく最強だよね。卵かけご飯以外」「あれはクッソ引いたな。昭和やべー、って」「母さん、言い忘れていた。今日の昼だが、すまない、会社からうな重がでるンだ」「いーナァ、お父さん。アタシもお弁当に蒲焼き入れてほしい」
未来勢の急な来訪で九名となった食事どき。九から十平方メートルの卓上も、窮屈ではないがほどよい手狭さだ。給仕する艾草夫人は、倍以上に増えた人数に手際よくきりもり。親戚縁者が集まる時期はこんなものではないらしい。
艾草家の嫁をになうための高スキル、自分では務まらないだろうな――千尋は、脳の前頭前野のリソースをわずかに割りあてたよそごとを、同じく前頭前野から解放。四角い机上で交わされる、円卓会議へ意識を戻す。
「小半助教授の人物像がどこまで事前情報と異なるかは、いったん、わきに置こう」
千尋の心情や体面を気づかいながら、博は飯をかき込むあいまあいまに方針を示す。
「重要なのは、助教授とコミュニケーションがとれるという事実だ。外面をとりつくろっているとしても大きな進展だ」
「立花の言った〝ミラクル同士の化学反応〟が起こったな」
茶碗を湯呑茶碗に持ち換える不藁に、うん、まあ、と千尋。箸はさほど進んでいない。
「作戦どおり、小半氏とメールをやりとりして信頼を築く、と」
「このコがパスワードを聞き出せると思う?」
未来の兄の指摘を継いだ現代の兄に、妹が疑問をていし、未来の娘は「任しといて!」無駄にポジティブ姿勢。令和勢はもちろんのこと、平成兄妹もだいたいわかってきたので期待は寄せない。ついでにもう一名の金髪のほうも。
「葵に任せるのはあくまで地ならし、俺たちへの橋渡しだ」母親から受けとった熱い茶に口をつけ、博は言う。「交流を深め信頼を得る。オフラインで会えるぐらいまで接近できればしめたものだ」
「あの怪文でメールが続けばいいけど」
千尋は、手もとの番茶ぐらい冷めた意見を述べて飲みほす。すかさず節子が「お注ぎしましょうか」ともうしで、「すみません」彼女は器を差し出す。
「俺は立花の情報収集能力を推したい」
少なくともモグさんの場当り的な迷案・珍案よりは信頼性がある、と不藁。よけいなおせわだ。俺のザル計画を(意図的に)スルーしておきながら、と博は腹のうちでたれる。
毀誉褒貶のうち〝毀〟と〝貶〟を受けたリーダーとは対照的に〝誉〟と〝褒〟を与えられたリサーチャーは、緑茶を手に、どうも、とまたうなずいた。
「千尋さんを推す――つまり?」
「小半助教授は一筋縄では落とせない」青年の博に不藁は答える。「あの調子でメールを続けても、つめられる距離感には限界がある」
おおむね一同は同意。特に千尋。若干名の、えー、は黙殺された。
しかし、彼女には引き続き、重要任務が与えられることになる。
「葵のメールは、助教授が攻撃的接触を撤回し、友好的態度に転じるうえで、一定の役割は果たしたと思う」でしょー、と鼻高々の少女を、不藁は持ちあげたそばからすぐ落とす。「だが、それもナゴヤの画像があってこそだ」
「そりゃそうヨネ。アップロードしたからメールが来たンだし」
「画像はきっかけであり継続のモチベーションでもある」
不藁が、友人の若かりし妹へうなずくいっぽう「つまり、どういうことだってばよ?」若い友人――最も理解力にとぼしい者のひとりは、飲み込めない調子で茶を飲む。
「ようは、また葵がナゴヤを描くってことだ」
「ええー」伯父の結論に姪は露骨にめんどくさがる。
「助教授のリクエストどおり、原作準拠の絵でね」
「ええー」姉御の補足に妹ぶんは露骨に嫌がる。
「いくらウマく描いたってTVと違ってちゃイケナイのヨ。そうだ、参考書としてアタシの『アニメ10』を貸したげる」
ええー、いいよお、とむげにことわるJCを無視して部屋に向かう娘を、節子が呼び止める。「もう出ないと遅刻するわヨ」
壁かけ時計を見て、イッケナイ、と陽子は自室へと駆け、雑誌の代わりに通学カバンをとってくる。はい、お弁当、と渡されるピンクの巾着袋を受けとりながら母親に尋ねる。
「ちゃんとハンバーグ入ってる? 遠野クンと交換するンだから」
「熱っつ」
唐突に、博が悲鳴をあげた。手をすべらせ湯呑をひっくり返した。
「大丈夫?」年上の息子に、節子は布巾を渡す。
ああ、すまない、と受けとる将来の自分に、若い博は、オイ頼むぜ、早くも耄碌しただなんてよしてくれよ、と茶化す。
すまない、と繰り返しでわびズボンを拭う己は、視線をくれなかった。代わりに、
「行ってきまァす」
いそいそと小走りに玄関へ消える妹の後ろ姿を、目で追っていた。
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