四
企画の取材として不藁は五十嵐を頼り訪ねてきた。
しかし、じゅうぶんに構想はできあがっており、手直しがいるようには思えない。しいていえば、敵勢力の目的が設定しにくいことか。
「そこが悩ましいところです」
酒の共ではなく主役にすえた乾きものを食る不藁は、後ろ頭をなでて認める。大正島は無人の小さな離島。調べてみたところ、米軍の管理下にあって射爆場が置かれているものの使用されていないらしい。石垣島の周辺海域に点在するめだった島のうち、大正島は大きく離れた位置にぽつんと浮かぶ。地政学的に価値があるようには思えず、隊内で尋ねてもどこにある島か知る者は皆無だった。戦後、半世紀近くにわたって堅持してきた日本の国防を侵し強襲するには、相応の理由が必要だ。アイデアが先行して目的のあとづけに苦慮しているわけか。
「俺にそいつを考えつかせるのが魂胆じゃあるまいな」
ぐいと水割りをかたむけ、いじわるく笑んでみせると、不藁は、とんでもない、と苦笑しつつ「しかし、参考までに1佐の知見をうかがえれば」
原稿料がたんまりでたらアイデア料を請求するぞ、とにらみつけてはみたものの、五十嵐にもこれは難問だった。
北海道から九州・沖縄まで、有事に対する備えは日夜、間断なく万全を期している。いかなる目的であろうと、くじかせ阻む体制に抜かりはない。たしかに、日本の領海内に無数に存在する島嶼のすべてを、敵から完全に守るのは困難だ。軍事的価値のとぼしい離島であればなおさら。敵が一定規模の戦力を投じれば、動向を捕捉し対処のしようもある。だが、民間船を装っての少数による上陸を試みるなどの手段をもちいられた場合、一時的な占拠を許してしまう可能性はありえる。しかしながら、国際的な厳しい非難とすみやかな排除、これを受けることは必至。不利益しかない行為はあきらかだ。そこをおして敢行する理由をひねり出すのはなんとも難儀な。なまじ本職だけに難しい。
しばし黙して、たちのぼる煙を見上げる。店内の低い奏でに身をゆだね、考えられるあらゆる可能性を模索する。どのような利があれば、重大な一線を越え、見向きのされない離れ小島への上陸を目論むのか。
「いかな1佐といえど」不藁は、薄まりゆく酒を湯呑茶碗のようにすすり言う。「妙案をみいだすのは無理難題かと」
知恵の拝借を請うておきながらずいぶんな断言だ。目線をカウンターに落としたまま、彼は続ける。
「本事象が現実に生じた場合、1佐の見立てでもいただいたとおり、敵部隊の排除は確実です。発生から制圧にいたるまでの時間も短い。なにもない離島・海域、なにもなしえない時間。両国間の関係を壊し緊張状態を辞さない行動として理にかないません。兆候がまったくなく唐突な敢行もあいまって、政府内でも困惑が広がっています」
神妙な面持ちで語る不藁は、五十嵐を見やり、ああ、すみません、とわびる。「つい、シナリオに入り込んでしまいました」
熱が入るあまり、まるで現実に事件が起こったかのような真剣味を帯びた語調。五十嵐は、ふふ、とうなずく。この空想力と熱量を買われて、連載記事の仕事を請けられたのだろう。
実際、彼の持ち出すさまざまの話題は、相談に乗る理由のひとつにあげられる。隊での関わりはなかったものの、同じ組織に奉職したよしみもある。だが、いまや最大の動機は彼の実直さにあった。
話しぶり、信条、真摯にものごとに向きあう姿勢。何度か語らううちにみえてきた人となりは、自然と手を貸したくなる、貸さずにはいられない、そんな、人を魅了してやまない、そう、例えるなら――プリン。
ふっと浮かんだ甘味に、五十嵐は、酒が気管へ入りかけた。二、三度、咳払いをし、喉と妙な心地を整える。気づかう視線を向ける不藁に、グラスをあおりなおしてみせた。
戦闘用に訓練・特化した肉体に、猛禽・猛獣に通じる不穏なつらがまえ。凶器を擬人化したかのごとき男に、砂漠は似あっても洋菓子はあまりむかない。特別に好物でもない、女子供の菓子がなぜ出てきたのか。
この不藁という男が持ち、帯びるさまざまには、なにかこう、妙に調子を狂わされる。たち振る舞いひとつにしても、最終階級が陸曹長とは思えぬ落ちつき、威厳をまとっている。つかめるようでいて、ひとつひとつが杳の中にあるとでもいうか。一事が万事の正反対。どうにも絶妙に計りしれない。
不藁豊という男は一度、徹底的に酔いつぶさねばなるまい。
五十嵐皐月は、いつのまにか五杯目になるグラスをバーテンダーへかかげた。
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