一 象のファイルサイズ、ネズミの解像度
女の悲鳴があった。
近い。ふたつ隣の部屋か。不藁剛は、間髪入れるまもなく、俊敏の行動で現場へ駆けつける。《《今度は》》なにごとかと。
声のぬしは、信じられないと訴える両眼を、ノートPCへ向けて見ひらいている。――またか、と男は、屈強な肢体に弛緩を許す。
白昼の八畳間にあるのは、艾草博、立花千尋、二葉拓海、そして、無駄に広い部屋を確保し、たった今、無駄に響く悲鳴をあげた張本人、葵。その四名の姿だった。
「次はどうした? クモかムカデか?」
あきれ顔の強面に、少女は首をぶんっぶん振る。「それはもう見た!」
こんなでっかいやつとこんっなにおっきいやつが廊下と天井にいたんだよ、死ぬかと思った、と身振り手振りを交えて訴える。たしかに、そのジェスチャーが示す、ホラー映画級のサイズなら、不藁でも格闘戦にはおよぶまい。古い家屋に出没するアシダカグモやムカデ・ゲジゲジのたぐいは、二〇二〇年のタワマン暮らししか経験のない彼女に手荒い洗礼だったろう。先日の、手洗いといい、おととい、叫声で呼びたてられたネズミもまあ、わかる。昨日の黒い昆虫ごときで、祖父母宅を倒壊させる気かとの狂気乱舞にはそろそろ閉口しだしたが。『だってイニGだよ、イニG! 丘谷最速だよ!』――いや、車のほうが普通に速いだろう。
そんなざれごとはともかく、真っ昼間から、丘谷最速を競うエンジン音さながらの爆音のわけを問う。
「これよ」
千尋がノートPCを、さらりとくるり、まわす。熊を思わせるガタイで、のそりとどかり、近づき不藁は腰をおろした。画面に映っているのは変哲のないアニメ絵。おそらく葵が描いたのだろう。彼女のイラストで、ターゲットの小半助教授を釣りあげる計画になっている。キャラクターは、ああでもないこうでもないとの紆余曲折をへて決まった褐色少女の〝ナゴヤ〟。自分で描いた絵を見て、丘谷最速のスリップ音をあげはしないと思うが。
釈然としない不藁に、千尋が、ビフォー、アフター、と指先で画面をなぞる。ああ、と氷解した謎に彼はうなずく。これは丘谷最速もやむなしだ。
「なんでこれがこうなるのっ?」
涙目になる勢いの少女の左手は、ビフォー、左がわの画像、アフター、右がわの画像を順に指さす。画面の左半分を占めるのは、彼女の、ガチャまわし放題とのニンジン、もとい、打倒・新型コロナウイルスの使命感に燃えて描いた渾身の一枚。葵以上に青くて短いおかっぱを跳ねさせる、小麦色の肌の少女が、元気いっぱいに描かれている。画面サイズの都合上、半分以下に縮小表示されているが、躍動感ある力作といえよう。
かたや右がわ。アフターのほう。
構図は同じだ。イラストの中心に、よく焼けた、あるいは浅黒の手足とへそを露出させた女の子を据え、これからの季節にふさわしい海と空をバックにかかえる。振りまく健康的な笑顔もしかり。ようは同じ絵、のはずだ。解像度と色数の違いを除けば。
まず、小さい。
もとの左の絵が1500×2500ドットに対して、右は縮小してもいないのに左がわより小さい650×400。そして雰囲気がまったく異なる、わずか15色。色深度24ビットのフルカラーのそれを無理やりたった二桁、10色そこらで強引に表現するものだから、ドットの粗さがめだつ。もともとの画像がグラデーションを多用しているぶん、少ない色で再現するには限界ある。一九九〇年代のドット職人は、このハードの制約を腕のみせどころとし心血をそそいだものだ、などという昔話は現代っ子の耳に届くまい。ダメ押しで、なぜか画像は横倒し。九十度かたむいていた。
「だから、あれほど口を酸っぱくして言っただろう」
伯父の博がいさめるがこれも聞く耳なし。
「いや、だってこんな超展開が待っているとか聞いてないしっ」
まさに人の話を聞いていなかったゆえの結果なわけだが。
「なんで表示バグってんの? なんでサムネイルみたいにちっちゃいの? てか、なんで横向きになってんの?」
「バグってはない。正常だ。サムネほど小さくはない。プレビュー以上のサイズはいちおうある。回転させてあるのはおまえが縦に描くからだ。一九九〇年の一般的なモニターの解像度は650×400。縦のままだとさらに縮小することになる」
「日本語でおけぇっっ!」
たて続けの問いへとうとうと応じられて、口ぐせの〝おk〟で猛反発。小難しい話は、興味関心のあるなろう系やスマホゲーを除いて頭に入らない。大好きなチート関連ならいくらでも覚えられるのだが。
「じゃあ、なに、縦向きの絵を描きたかったら横向きで描いて、首をこうやって見てもらうのっ?」
九十度、かしげてみせる彼女へ、ああ、と応じる伯父に「なわけないでしょっ!」
たかぶりツッコむ葵へ、博は冷静に「なわけある」
なあ、と同意を求められたふたりの大人は、
「ええ」と、五歳のころからピアノの鍵盤代わりにPCのキーボードを叩きアクセスしていた千尋。
「俺は、パソコン通信は、末期に出入りしてたからあまり詳しくはなあ」と不藁。
本当なのかと驚きと疑いをもって、じゃあ、たくみんもそうなの!?と噛みつかれた青年は「いや、あきらかにオレ、生まれてねえし」
「もおーっ、意味わかんないよお! 一生懸命、描いたのに、こんなクソ画質にされてっ」
クソとかあんまり言わない、と躾役をかってでている千尋がたしなめる。一九九〇年では、女性、特に葵のような普通の女子がもちいる強調語ではないのだ。品性を疑われる。
「昭和おじさんの残念パソコンだからじゃないのっ、こうなるの? 半助助教授のなら普通にちゃんと見られるとかのオチなんでしょっ、知らないけど!」
助教授用に下乳になるように修正してもいい、ツイッターにアカウント停止されないぎりぎりまで攻めるから、と葵はまくしたてる。
どこからツッコミ返していいのかわからない、姪っ子の無駄なあがきに、伯父はまず、過去博がバイトに行っててよかったと。彼の自室にある件の〝残念パソコン〟は、残念ながらこの時代では「国民機」と称される、デファクトスタンダード端末だ。
そして、ターゲットは小半久美子助教授であり〝半助助教授〟などではないことは先日、説明し理解したはずだが、記憶が完全に巻き戻っているのはどういうことなんだと。(ソシャゲのことなら速攻で覚えるくせに)
あと、ツイッターなど影も形もないことはさんざん言ってるだとか、(ありえないが)仮に小半助教授の端末でフルカラーの元画像を見られるとしても、kbps単位の貧弱な回線(それも数百キロなどではなく数キロ)で送受信するのは非現実的だとか、ここまで画質を落としてもじゅうぶん重たいファイルだとか、いろいろツッコみたいが、きりがないので省く。
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