二
なにゆえに、ありがた(めいわ)くも神に選ばれし者の使命をおおせつかったのが自分なのか。数十年の筋金入りのオタクとしては、何十年もの年季の入ったおっさんにあてがわれる役どころではない、と。未来に帰るあの映画だって高校生の少年だったし、未来からやってきたのを倒すあのシリーズも、若い女やその息子。後日譚の息子にしても博ほど歳はいってない。
「現実は創作とは違う。君の持論だろう?」
問いに答えず楽しげにあげあしをとる。頭の中を勝手に覗き込む土足行為もふくめて気分が悪い――オバケもどきなら足はないか。
もどきは、足どりも軽く博の周囲をまわるようにくるくる語る。
「博が適役なんだよ、この任務は」
旧教系でも信仰していたなら、こんな奴など悪魔のささやきと一蹴し、神に救いを求めるのに。科学の信奉者としては、少なくとも野良を重ねあわせ状態にさせてみせた以上、耳をかさずにはいられないではないか。
「当時の社会を知っている。歳相応の分別がつく。利己より利他を優先する。タイムトラベルに興味津々。なにより――」前後左右、あらゆる方向から理由を並べたて、頭上、真上、天頂から、これは天啓だと言わんばかりに告げる。「aDiosが気にいった人間だから」
ほんのりと神々しい響きをもたせて上意下達に命じたつもりか。そういうものの言いよう、やりかたに一番、反発する気質をわかっているだろうに。博の意思しだいでなんら強制する手段を持ちえないくせに。傀儡に時空の軸をくじきくぐらせる自負があると誇示する。まったく、いまいましい神サマだ。
天をあおぐかたちを断固拒否し、あくまでも悪魔のささやきではなく、スマホで通話している姿勢をとる。
「おありがたいご宣託だがな、やっぱりタイムトラベルに出かける奴ってのは、もうちょっと若いのってのが相場じゃあないか?」
もう《《ちょっと》》ではなく、もう《《だいぶ》》のまちがいではないか、とのひやかしを予想したが、からかいの配分を調整しているのか、文字どおりの御託はなかった。
博は、より現実的な指摘にふみこむ。
「長く生きていると、そのぶん、《《残してきたものも多くなる》》」
aDiosの返事はない。
この、バカみたいに神を主張する奴は、しかし、バカではない。誰にだって過去に、後悔ややりなおしをしたいことのひとつやふたつ、五つや十は軽く指折れる。もうじき、生誕半世紀をむかえる彼なら――そして、自他ともに変わり者と認める人間として――五十や百は枚挙にいとまなし。とりもどせるものなら戻りたい、あれやこれやそれが長蛇の列だ。博がごたいそうに看破するまでもなく、じゅうぶん承知のはず。その一点だけで、アラフィフの男は時間遡行の旅に不適格だ。あえてなぜ、博なのか。
「想像のとおりだよ」
創造主は、もったいをつけつつ、さらりと答える。
想像のとおり。やはりか。
神の言葉に、スマホを握る手に力が入る。不覚にも身がひきしまる自身が実におもしろくない。そんな、人の子をうれしむように、形而上の啓示を継続する。
「過去の改変は、ときに、誤差レベルのそれが、まったく想定のできない事象をひきおこす」
黒いトリガーだよ。その声はなにを楽しむのか、暗くて、明るい。それは、五十がらみの心胆を寒からしむ。五十路を目前にして、たいがいのことにはさほど動じなくなった彼を、やすやすと。
「COVID-19がかわいらしく思える災厄をまねくやもしれない」
あれか。あの映画で、人工知能が核兵器をぶっぱなし、審判の日に人類をぶち込むような。今や手放すことなど考えられない、右手のなかと左手首の端末は、おあつらえむきにも、〝スカイ・ゴッド〟的なAIを出現させるブレイクスルーとなる危険がある。バブル時代に持ち込んでいいものか。すでに過去へ飛ぶ前提で思考がフォーカスしている己に、首を振り、払う。
「蝶の羽ばたきで台風が発生するなら、ただ指を動かす、ひと呼吸する、一挙手一投足に重大責任がついてまわる。神はサイコロを振らないんじゃあないのか?」
「〝賽を振らない〟の例えが不適当なのはともかく――」
「ああ、そんな些末はどうだっていい」
「歴史はほんのわずかなきっかけで、本来進むであろう道を外れ、あらぬ方向へ転がっていく。その可能性が常についてまわるのは事実だよ。しかし、事象が収束しようとする力もまた、思っている以上に強力だ」
〝思っている以上に〟と言われても、そんなものは考えたことがない。どう強いのか見当がつかない。
「蝶がどう飛ぼうがクジラがどう泳ごうが、歴史は、事象は、その差異をすぐに織り込み、蓋然性の示す方向へと進行する」
要は、ものごとは、そうなるべくしてそうなるよう動くと。
「ただし、人の行動は特別だ。ほかの動植物のそれと比べてエントロピーが桁違いに高い」
またややこしげな、もってまわったもの言いだが、要するに、人間が世界におよぼす影響は度しがたいのだと。たしかに、ここまで環境に影響をあたえる生物もそういない。その人類に行動の抑制を強いるコロナもまた別格の存在といえるか――もっとも、ウイルスは生命の要件を満たさないようだが。
「人ひとりの存在、そして活動は、君たちが考えるよりはるかに影響力がある。なにも一国の元首、巨大企業の最高責任者、おおぜいのフォロワーをもつインフルエンサー(笑)《かっこわらい》にかぎった話じゃない」
どうでもいい感想が一部、混じっていたが、スルーする。
aDiosに指摘されるまでもなく、一介の市民であろうと、その生涯のうちに関与する人・ものごとが膨大であることは、博とて察しはつく。実際の規模がいったいどれほどであるかは、宇宙の広さが何億光年だと言われてもぴんとこないのと同じだが。ごくわずかな接触で対象の人物、あるいは間接的に別の人間の一生を左右する。
たとえば、飛行機に乗るつもりだった者が都合によりキャンセルし、キャンセル待ちをしていた別の誰かが乗るとする。その便は墜落し、ほとんどの乗員・乗客が死亡――
これは、日本の航空事故では最悪のものとして知られている事故のなかで、実際にあったできごとだ。
その事故は、aDiosの示す行き先、一九九〇年よりも以前のできごとであり関与することはない。だが、多数の死者をだす事件・事故・災害は、これも枚挙が大挙だ。個人ではどうしようもないものも多いが、防ぎ、あるいは被害を最小限におさえられるアクシデントはごまんとある。発生するあまたの重大な事象をあらかじめ知りえ、回避できる立場にいながら、知らぬ存ぜぬを決め込む。人の道に悖り、沈黙に徹する重圧。果たして良心の呵責に耐えられるのか。ましてや、それが《《ひとごとにかぎらない》》となれば――
「俺に《《鬼になれ》》と。《《しないことで》》、《《悪魔の所業をなせ》》と」
おおよそ、神を自称する者にあるまじき教唆に、博はしらずしらず夜空へ顔をあげ、なじる。この、神と吹聴する悪魔は、いったい、バブル時代へゆく気にさせたいのかさせたくないのか。
疑念に満ちる男に、幼い声色は「そう、そのと《《う》》り!」と邪気なく答える。人の性を悪意なしにもてあそぶところは、まさに〝あの神〟に通じる。〝あれ〟が手もとにあればばらばらにしてやりたい気分だ。
「君の好奇心と義侠心は、ニーチェの言葉の先、楽園の扉をひらかずにひきかえすなんてまねはできない」
「その例えでいうと、おまえさんは俺にたちはだかり殺されることになるが?」
「ふふ、当日はチェーンソーをお忘れなく」
冗談交じりの応酬に、まだ行くと決めたわけじゃない、とつっぱねる。いったいこの飄々とした存在はどこまで本気なのか。とりあえず、二週間後に野良が出てこなかったら、本気でホームセンターへ買いに行こう。
そうならないことを、てきとうな星のひとつに目をやり、願いをかけた。
おもしろかったら応援をぜひ。
ブックマークでにやにや、ポイントで小躍り、感想で狂喜乱舞、レビューで失神して喜びます!




