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二十三

「えっ……?」


 思いきって問うたオカマは、男の反応に、まったく同じ声を返してしまった。「エッ……?」


 素の声だった。

 正鵠を射、動揺へと導いた際にも得られる反応。だが、今のは明らかに空振ったときの手ごたえ。明白に、なにわけのわからないこと言ってるんだこいつは、との怪訝な響き。顔が見えないぶん、声にあらわれたそれが如実に伝わる。


 妙な空気が、流れる。


 後藤はこう見たてたのだ。

 一般人らしからぬ体躯と面構えのこの巨漢は、暴力団が差し向けた殺し屋なのだと。

 どこか浮世離れした雰囲気。社会に暮らしていながら絶妙に溶け込めていない異質感。絶対、一般市民ではないと。さっきだって、扁平型をした変わった懐中電灯を持っていた。しかも充電式だという。プロの七つ道具かなにかじゃないのか。懐中電灯を常備してるところからしてもプロだろう、プロ。殺しかなにかの。よく知らないが。


 闇の中。気まずい静けさが続く。

 男がひとつ咳払いをして言った言葉で、後藤は確信した。「すみません――そっちの趣味は、ちょっと……」


 ああ、明らかに勇み足、ひとり相撲だった。


 丸太ん棒のように太い腕を持ったミステリアスな殺し屋の手にかかって死ねるならホモの本懐、本望だと意を決したのに。なんたる不覚。

 この暗闇がせめてもの神の慈悲だというのなら、今からでもなけなしの信仰心をかき集め敬虔な信者に鞍替えしたい。

 そして神様がもしいるのだとしたら、彼の安っぽい信仰が怒りに触れたのか、しょぼくれた顔を白日のもとにさらすがいい、光あれとばかりに、蛍光灯が灯る。「ああ、復旧したみたいですね」


 男の言葉に後藤は、長いオカマ人生のなかでもこれ以上、出したことがないぐらいの《《か》》細い声で、ええ、と答えた。穴があったら入りたい。こんな広い箱じゃ顔を隠せない。


 ほどなくしてエレベーターが揺れ、動きはじめる。男がぽつり、ひとりごちた。「――しかし、なにかしらよくある島だ」

「エッ?」恥じ入ることしきりの後藤は、聞き逃して振り返った。

「いや、こっちのことです」後藤ではなくどこか遠くを見すえる目で、彼は首をひと振りした。


 ようやく扉がひらく。後藤はボタンを押さえ、ビールを持った手で男をうながした。彼が降りるとボタンを押し替える。


「つまみを買い忘れましたので」


 閉まる鉄扉の向こうをはにかんで見送る。下降しはじめて後藤は、ほお、とボタンから手を離した。


 男といっしょに降りなかったのは、単純に、いたたまれない空気から一秒でも早く逃げだしたかったのもある。テレビドラマばりのサスペンスとひとりはらはらした滑稽さ。忸怩このうえない。


 ちん、とのベルの音で一階に戻る。乾きものなら部屋にあるのだが、”一貫性の原理”に従うことにし、自販機コーナーへ再び足を向ける。

 あの学生グループはとうにおらず、受付も停電の対応にあたっているのかエントランスホールは無人だった。その先の自動ドアが、闇夜と建物内とをさえぎる。

 ピーナツやあたりめの自動販売機で品定めをしながら、あの男を思い返す。


 彼を、幻のものにしたかったのだ。

 真っ暗闇のエレベーター内に閉じ込められて見た、夜中の白昼夢。


 思い出してもぞくりとする。

 もちろん、その不穏当な人となりはじゅうぶん恐怖に値する。彼はやはり普通の人間ではなかろう。ヤクザ者と同じ、いや、連中とも似て非なる危なげななにかを腹の中に呑んでいた。人としての心を押し殺して、人を圧し殺せる、そういった、ある意味で一番恐ろしいタイプの人間。話していて、もう取ってしまって無いはずのモノが縮みあがるようだった。

 そしてもうひとつ――


 取出口のビーフジャーキーを手にする。封を切る。後藤は、自分がまだ生きていることを、自身が《《彼とは違いこの世の者である》》ことを確かめるべく、干し肉を食らう。


 ――あれほど《《この世ならざる者》》と出会うことがあろうとは。


 前世がどうの先祖の霊がこうのと仕事で吹きながらオカルトのオの字も信じてない彼が、初めて遭遇した怪異。

 あの怪異な魁偉が、この社会の一員として暮らしている姿がまるで想像できない。宇宙や未来からやってきたと言われても、ああなるほどと合点がいく、そんな奇っ怪さだった。


 だから、会わなかったことにするのだ。そんな不気味な男とは今夜、自分は会っていない。あれは幻だったのだと。


 食らいつくしたビーフジャーキーの空き袋と引っこ抜いたプルタブを空き缶入れに突っ込んで、今度こそ部屋へと戻る。ハイパードライをあおって、後藤はしかし、彼が追っ手の殺し屋でなかったことをちょっぴり惜しむ。

 あの丸太ん棒の丸太ん棒で昇天できたなら、それはまさに天にも昇る心地であったに違いないと。

おもしろかったら応援をぜひ。

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