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五     五人目の男

「あ、不藁(ふわら)さん」


 廊下から《《ぬっと》》現れた大がらの男に、葵は、あたしじゃないよ、と否定した。

 半田ごてをかかげた博と、低音ボイスに似つかわしい体躯の後ろへ、拓海は不藁さんヘルプっ、と逃げ隠れる。不藁と呼ばれた男、不藁(つよし)は、モグさんが荒ぶってたのか、と角刈りの頭をかいた。


 座卓前へどっかと腰を下ろすと、背後の金髪頭も残像のようにひょいとかがむ。

 あまりカタギ向けの商売をしているようには見えないいかつい目つきの四十男、他方、風貌こそチンピラまがいながら体つき顔つきともにいまひとつ頼りなげな拓海では、残像と称するには少々無理があるかもしれない。


 来たなら声ぐらいかけろ、と仏頂づらで、博も椅子へ腰かけた。


「ちゃんと呼んだぞ」お取り込み中で返事はなかったが、と卓上のノートパソコンを覗き込みながら不藁は言葉を返した。

 座っても圧迫感の消えない大男は、マウスがやけに小さく見える大きな手でパソコンをたぐる。「拓海・葵組(おまえら)はまだ暗号解読(むりゲー)で遊んでるのか」


 無駄な努力でゴールデンウィークを終えるつもりか、とあきれ顔の不藁を、青年と少女は左右からはさんで、と反発する。


「しょーがねえじゃん、コロナで出かけらんねーんだし」

「解けたら五百万だよ、五百万。課金アイテムゲットし放題、ガチャまわし放題だよ」


 千尋が半笑いで「解けるような頭脳の持ち主はそんなものにつぎ込んだりしないって」ね、モグさん、と同意を求めた隣の五十路男はもう作業に戻っており、「ああ、そうだな。俺なら丘谷の全世帯に五枚ずつマスクを配る」と出まかせを吐き半田づけを進める。

 千尋は「国の二・五倍とは大盤振る舞いね」とぞっとしない調子で肩をすくめた。


「まあ、マスクで大騒ぎのこのご時世」不藁は頬杖をつき冷ややかに卓上のノートパソコンを見下ろす。「こんな解けもしない暗号(パズル)へ夢中になってるのは拓海と葵(こいつら)だけでもないかあ」


 モニター上には、AIと、その鍵「修正・小半理論」をめぐって盛りあがるメディアや人々の動向が映し出されていた。ツイッターのタイムラインでは夜となく昼となく意見が交わされる。


『もし小半理論がSHA-1で暗号化してるとしたら脆弱性を突けるかも・・・・・』

『駄目です。修正小半理論は1990年頃に完成しており、暗号化ファイルは同時期に作成した物。SHAが開発されたのはその後です』

『そうそう、だから同様にMD5もアウト。MD4以前なら時期的には可能性あるけど、どっちにしても現在のコンピューターの性能じゃハッシュ衝突や原像攻撃を用いた突破は無理』

『ソーシャルな方面から攻めてけないの?』

『小半助教授は大の人間嫌いだったようで友人知人ゼロ。大学でも教授陣にコネ無しどころか愛想は無いし才能に嫉妬されたみたいで孤立。ずっと独りで研究してたらしい』

『じゃあ関係者から手がかりを掴むのは難しそうだな。。。。。家族や親戚は?』

『母親がいたって情報は確定してるけど小半助教授より先に死んでる。兄弟なし。父親と親戚は情報上がってない』

『これだけ注目されてて何も出てこないとなると父親不明、親戚付き合い無しか助教授の母親も天涯孤独だった線が強いでしょうね』

『正に孤高の天才数学者か…』


 およそ解けるはずもない難題にゴールデンウィークを費やしているのは拓海や葵だけではない。

 日本のあちこちで、腕に覚えのある者もない者も、もしかしたら、と名声と小金を夢見て群がっている。下は年齢一桁の幼児、上は三桁の特別養護老人ホーム(とくよう)入居者までとさまざまだ。


「お偉い学者(せんせい)がサジを投げたものをなんで解けると思うんだろうなあ」


 全国の津々浦々やモニターの上で、あるいは、不藁の両脇で熱心に議論 (のまねごと)をする若いふたり。それらすべてをひっくるめて、屈指の屈強がぼやくと、千尋が応じた。「ひらがなってのがポイントね」

「ひらがなねえ」気のない調子で顔を上げた不藁に、彼女はうなずく。


「暗号の大部分は、幼稚園児でも読める文字や目で見てわかる単純な図形で構成されているものだから、もしかしたら自分でも解けるかも、と思えてしまう。フェルマーの大定理がいい例ね」

「それ知ってる」拓海が首を突っ込んできた。「最終定理のやつ」

「え、なんか強そう。チート的に無双する系?」葵の勘違いは千尋にさらりとスルーされた。


「フェルマーの大定理は三百年以上、未解決だった難問で、問題自体は小学生でも理解可能だから、とりあえず挑戦してみる子供もわりといたの。まあ、解いたのは桁違いの天才で、証明を読んだって並の数学者じゃまともに理解できないけど」

「それ、新薬(エクリプセ)のなんとか理論を作った数学者の人はわかんのかな?」

「小半助教授?」拓海の問いに千尋は瞬巡し答える。「『フェルマーが赤面することだけはわかる』って言ってた」

「うん?」


 不藁が怪訝(けげん)な顔をしたので、彼女はつけ加えた。


「フェルマーの大定理を示したフェルマーは、その問題に自身で『驚くべき発見をした。だが書くには余白が狭すぎる』と残してる。でも――」一度、かぶりを振り、ゆれた髪をなでつけ千尋は続ける。「一九九〇年代になってようやく証明された内容は、とても十七世紀当時の数学者が到達しえるものじゃなかった。小半助教授は、余白がどうこうとドヤ顔のフェルマーに証明を見せたら真っ赤になるんじゃないか、って」


 助教授がそう言ったらしいよ、嫌みっぽくて人づきあいの少ない人物らしい発言ね、と《《したり》》顔で再度首を振った。


「ところでモグさん」勢い込むように、千尋は博のわきへ中腰になる。「さっきの妖精さんの話だけど」


 電子工作に集中する博は、いつになくテンション高めにからんでくる千尋に、妄想じゃないと言ってるだろう、とめんどくさげにあしらう。

 お調子者の拓海相手なら、よけいなことをすぐべらべらと言いふらすその口を半田づけしてやるのだが、いちおう、女なのでそうもいかない。(めい)二葉拓海(めいにつくわるいむし)などのおちつきに欠ける連中ならともかく、今日は馬鹿にご機嫌な立花千尋(スーパーハカー)をどういなしたものか、とせわしく動く手もとと頭が、しかし、彼女の一言で強制停止をかけられる。


「《《それ》》が妖精さんの存在を証明するやつ?」

おもしろかったら応援をぜひ。

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