九
朝のラッシュはピークが過ぎたものの、依然として混雑する横浜駅西口。出口付近で次々、電話をかける奇妙な千尋・不藁の横で、さらに奇妙な、公衆電話の利用講座が続けられる。
「十円玉と百円玉だけ? 五百円玉は使えるの?」「使えない」
「五十円玉は?」「使えない」
「千円札は?」「使えない」
「それって不便じゃない? 自動販売機なら使えるのに」「これは自販機じゃない」
葵の問いに、博はことごとく即答で否定。
「自販機ついでに言うと、百円玉は釣りが出ないから気をつけろ」
「えぇ? なんで? いや、返そうよ。だってそれ、詐欺だよ?」
「そういうものなんだ」
「お釣りの出てこない自動販売機とかセルフレジってないじゃない」
「だからこれはレジでも自販機でもない」
「昭和、マジ理不尽すぎ。終わってる」
「そうだな、実際もう終わっている。今は平成だ」
「あたしの知ってる平成と違う」
納得いかない様子の姪に、たぶん別の世界線とかなんだろ、と拓海がてきとうなことを言い迎合する。博は、ここはまぎれもなく一九九〇年、平成二年の横浜だ、とばっさり断じた。
「お釣りも出ねーとか、江戸時代から進歩してねえなあ、公衆」
ねえよ、そんな大昔に。
おまえこそどこの世界線からやってきたんだ。
でまかせを並べる拓海に、釣りは二〇二〇年の公衆電話でも出ないと補足を加える。
「あー、だからだ。そんな殿様商売やってっから誰も使わなくなったんだな」
ひとりうなずく金髪頭に、博は内心、うん、公衆電話の利用者が減ってる理由はそこじゃない、とつぶやいた。逐一、ツッコミをいれるのもめんどうだ。こんな茶番劇をちんたら演じるのがじれったい。
予定では、今ごろ懐かしの実家にあがりこみ、ひさしく見ていない両親の顔や、まだ成人したてや中学生の兄妹と一堂に会しているはずだというのに。
不満げにじいっと拓海を見やると、意味を図りかねたように愛想笑いを返してきた。これだ。これひとつでなんでも茶を濁そうとする姑息さ、無責任さ。人にとりいるすべには妙に長けているだけにたちが悪い。うっかり信用してしまったことを博は悔いる。
たしかに、今回の計画は質も規模も前例がなく、どこかしら抜け漏れが生じるのはいたしかたない。前人未踏の時間旅行が世界におよぼす影響は未知数で、事前準備に忙殺され猫の手も借りたいぐらいだった――初期段階には文字どおり野良猫に協力してもらった。
とはいえ、リアル猫の手助けでは限度がある(逃げられてしまったし)。やむえず、拓海とハサミは使いよう、とばかりに任せてしまったのが大まちがい、運の尽き。いかに彼がちゃらんぽらんか、わかっているつもりでまるでわかっていなかった。
完璧に知りつくしているはずの平成博が相手でさえ《《あの》》ざまだ。
この歳になっても人をみる目がまだまだとは。
みる目といえば――
博の脳裏に、いつだったか、先日交わした葵とのやりとりがふと浮かぶ。
自宅で計画を練っていたとき、ひとりで来ていた彼女がぽつりこぼした、《《ある人物》》に対する疑問。
『――んがいっしょに行くの、おじさんは気にならないの?』『だって昭和に行く理由って――』
あのときは、気にしなくてもいい、俺はそいつのことをよくわかっている、大丈夫だ、と太鼓判を押した。事実、その自信があったし、今このときでも気の置けない仲間だと断言できる。この中に、自分を裏切る人間はひとりとしていないと――意図せず足をひっぱる者が一、二名ほど混じっているのは別として。
だがもしも。
己の目が、自身で考えているよりもずっと曇っているのだとしたら。
万一、腹にいちもつを潜ませていたとしてみぬくことができるのか。
馬鹿馬鹿しい。博はかぶりを振る。
リーダーが仲間を信じられなくてどうする。
この、前代未聞のプロジェクトをなしとげるには、全員が一枚岩となってぶつからなくてはならない。弱気や疑念などを挟んでいられる余地はないのだ。
それに、もし万が一、いや、ナノレベルにひとつの事態があったとして、すでに一九九〇年に来てしまっている。神・aDiosのタイムマシンは帰還できる機会が限られる。今さら疑いをいだいたところで始まらない。
俺の曇り眼が度しがたい節穴じゃあないことを証明してくれ――
その横顔を、博は祈るような思いで見つめて、まだ、ああでもないこうでもないと格闘している葵たちへの講習を再開した。
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