三 fuckin' Japぐらいは狩るよバカヤロー
「――、――」
……。
「――ろー、――」
……………。
「――ろー? はろー?」
ふたりの男がいた。
気がつくと、狭い路地裏で壁にもたれかかり、座り込んでいた。
両わきで男が、ひとりは立ち、もうひとりは中腰でフィリップの顔を覗き込み、声をかけていた。制服姿――警官だ。
「はろー。Engrish、しゃべれる?」
「問題ない……俺はアメリカ海軍……フィリップ・ヴェリー上等水兵……」
「アー、エーと、米軍のヒト? 横田? 厚木?」
「横須賀……ベース……」
「エー、横須賀ね。スゴク酔ってる? ダイジョーブ?」
片言気味の質問に、フィリップはめんどくさげに、大丈夫だ、放っておいてくれ、とゆるく右手を振った。一般の日本人よりずっとましだが、あいつらに比べると日本語なまりが強く、朦朧とした頭では負担に――
《《あいつら》》?
はっとフィリップは左右を見渡した。もう日が昇ったのか、小汚いビルのあいだには、曇天ながらいくぶん明るみが増していた。奴らの姿はなかった。
「どーしたの?」
「あいつら……、五人の、男・女・子供を見なかったか?」
「エッ、ナニ? 五人のナニ? アナタのトモダチ?」
「違う、不審なグループだ。そのなかの屈強な男にやられた」
「ナニ? も少しユックリ言って。トモダチと来たの? 横須賀から?」
「そうじゃない、クソっ……」
もどかしげに歯噛みする。この国で英語教育がおこなわれていることがジョークとしか思えないレベルの低さだ。
さんざん説明してどうにか半分ぐらいは――楽観的にとらえてだ――趣旨は伝わったようだが、警官はふたりとも、そんな連中は見ていない、ここで酔いつぶれているようだったから声をかけた、暴行を受けてケガや物をとられたりしたのか、そう言うだけだった。
首周りをはじめ体の痛みや着衣に乱れはなく、財布など盗まれたものもなかった。ただ、粗相をしでかしたらしく、下腹部が手ひどく濡れていて、視線をやった警官が苦笑いした。
結局、飲みすぎで寝入ってしまったということになり、気をつけて帰るよう言われ、最寄りの地下鉄への道順を教えられた。
フィリップ自身もだんだん、夢を見たのだと思えてきた。考えれば考えるほど現実離れしていたし、なんの被害を受けていないのも不自然だった。
警官たちが行ったあと、よろよろと立ちあがった。ほこりを払う。落とした缶ビールを拾うと、ほとんどぬるんでいた。ちくしょう、と毒づいたフィリップは、まじまじと缶を見つめた。
《《落とした》》のだ。
奴に背後から襲われて。
やはり、はっきりと覚えている。夢なんかじゃない。
首をとらえた瞬間の怖気。
自慢のこの腕っぷしにひけをとらない丸太のようなそれで絞めあげられた。
まるで機械のようなスピード・正確さ・強力さ、そして感情をいっさい排した無機質な絞め技。
鼻先〇・五インチぐらいにまで突きつけられ、強制的に見せられた死の淵。
焼跡も生々しく脳裏へ焼きついた記憶がまざまざとよみがえり、缶を持つ手が震える。
――殺されかけた。
動揺を抑えようとプルタブに指をかける。
――危うく殺されかけた。
爪先がすべる。
――死を覚悟した。
ふたはなかなかあかない。
――奴の考えひとつで、今ごろ俺は。
ようやく浮いたプルタブをいまいましげに引きちぎり、放り捨て、喉を鳴らして一気に飲みきった。半端に冷えたビールはまずく、ことさらに苦味と、生きている実感をフィリップにもたらした。
「ちきしょうっ!」
力いっぱい投げつけたアルミ缶は、壁にアスファルトにとでたらめにぶつかり、耳障りな音をたてた。
「ちくしょうっ、ちくしょうっ、ちくしょう!!」
わめきたて、薄汚れたビールケースを蹴りあげた。プラスチックの箱が跳ねまわり、よりやかましいもの音が狭い通路に響く。それさえも聞こえないほどの怒声をフィリップはぶちまけた。
「《《俺はアメリカ人だぞっ》》! 合衆国海軍の兵士だ! それが、それが……ジャップごときにっ……!」怒りのためか、あるいは認めたくないさまざまのみじめな感情からか、膝が、声が、震える。「ナメやがって! クソぉっ!」
ポリバケツを蹴り飛ばした。ごみをまき散らし表通りへ転げ出る。驚いた女が、きゃあ、と悲鳴をあげた。見やると、通勤途中の会社員らしき連中が路地を覗き込んでいる。
「見せもんじゃねえぞっ、クソジャップども!」腕を振りあげ怒鳴りつけるとあわてて逃げ去った。
ひとしきり、汚い言葉を吐き暴れたフィリップは、聞こえてくるサイレンにはっとした。
パトカーの音だ。通報されたか。逃げないと。
通りを見ると、赤々と回転灯を光らせうなる車両が、縦に長い視界を右から左へ横切り、通り過ぎていった。
毒気を抜かれ、ぽつんと突っ立つ。
どこからか現れた野良猫が、フィリップが蹴飛ばしたごみ箱からまろび出た黒いポリ袋をあさろうと寄っていく。
曇った空のさえない朝。地球の裏がわ、うらぶれた裏路地で、いったい俺はなにをやっているんだ。
ぽつり、腹のうちでつぶやいた。
――帰ろう、合衆国へ。
重たい体を引きずるように基地へ向け歩きだす。ぐっしょりと冷たい股間が、ただただ、不快だった。
翌年、彼は空母・ミッドウェイの一員として働き、間接的にイラク全土へ爆弾をばらまき、軍民とわず何千何万のイラク人を殺傷したのち、帰国後、軍を去った。
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