二 裏道の 未知との遭遇 血の恨み
少女が――小学校に通うぐらいの年ごろだろうか――なにごとかをつぶやきながら、現れた。
――そう、《《現れた》》のだ。
ビルの谷間。ごみと、ごみ箱と、ごみだかなんだかわからない雑多なものがそこいらに散乱する、明けつつある長細い曇り空が頭上にあるだけの閉ざされた空間に、忽然と。それも、ひとりではなく数名の男と女を連れだって。
「なんだ!?」驚いたフィリップは、酩酊しつつも反射的に拳銃を抜こうとして、とどまった。非番で武器を携行していない。それに相手は民間人のようだ。
数は五人。男女。全員日本人か――ただ、風体にどこか違和感がある。
特に二名。高校生ぐらいの少年はひとりだけブロンドだが、その顔だちはほかの四人同様、典型的な東アジア人。混血ではなさそうだ。
もうひとりの壮年はより注意をひいた。体格・顔つき、そしてなにより、フィリップのとっさの動作へ敏速に反応しとった体勢は、明らかに民間人のそれではない。民兵か? だが子供連れ。日本はゲリラの情報もない。いいや、そんなことより――
目の錯覚でなければ、明らかに彼らは《《どこからともなく湧いて出た》》。
少し離れたところに建物の裏口があり、頭上にも窓は備わっている。だが明白に、そういった経路による現れかたではなかった。
そして携行するバッグなどの多数の荷物。旅行者? こんな時間、こんな場所に?
最年長と思われる男は、おもちゃの銃かヘアドライヤーのようなものを手にしている。殺傷力があるようには見えないが、怪しげであることに違いはなかった。なにもかもが不可解だ。正体不明のグループがわも、初めはなにやら驚嘆した様子で周囲を見まわし、次にフィリップに気づいた様子だった。酔いのまわった頭で、アルコールの影響の次に考えられる合理的な可能性を探る。彼らのほうでも、困惑した様子で日本語でなにかを相談しているようだ。
やがて、年長の代表者らしき男が、日本語なまりの英語で話しかけてきた。
「私たちは地元の人々で一般市民だ。たぶん、あなたはアメリカ軍の人か?」
「そうだ。アメリカ海軍第七艦隊所属、フィリップ・ヴェリー上等水兵だ」
「では、横須賀基地から休暇で訪れていて、今は帰投中だろうか?」
もうひとりの壮年――五人のうち突出して筋肉質で、たちふるまいなどもほかの者と一線を画す男が尋ねた。警察か自衛隊の関係者か。彼だけは民間人ではないと確信した。
「ああ。なにか問題でも? 日本じゃあ、時間帯をとわず屋外の飲酒は合法だったと思うが」隠すようにやや後方に持っていたビール缶を掲げてフィリップは問うた。「ところで君たち。俺の目がどうかしてなきゃ、どうもその――空中から突然現れたように見えるんだが?」
「まさか」髪の長い女が首を振った。「もしかすると、あなたは、非常に大量のアルコールを、摂取した」
その影響はあなたに幻想を見せるでしょう、と彼女は笑った。
――やはり妙だ。
たしかになまりは日本人のそれだが、自分の知っている平均レベルより格段にこなれている。特に三十-四十代ぐらいの男ふたりには日常的な使用経験を感じる。初めまして、あたしはアオイ、と子供もふくめ全員がいくらか英語を話せるらしく不自然だ――ブロンドの少年だけは「ペン、パイナップル、リンゴ、ペン」のように聞こえる、意味不明の片言を口にしているが。
深酒の影響どころか、ハイスクール時代のマリファナパーティーさえ比較にならない滅裂具合に、フィリップは混乱した。どうかしちまってる。薬はまだやっちゃいない。日本での駐留は、自身で感じている以上のストレスとなっているのだろうか。
さらなる混乱に陥ったのは、最も注意を要すべきいかつい男が突然、血相を変え《《がなり》》たてたからだ。
「何者だ! 所属と階級を言え!」
フィリップに対してではない。身分は先ほど名乗ったし、第一、男の視線は彼の後方を見すえている。
戸惑いながらも、軍人として叩き込まれた習性が強制的に彼を振り返らせた。
フィリップの背後にいたのは――nobody。
つまりは《《誰もいなかった》》。
太い腕が巻きつく。気道と頸動脈がすばやく圧迫される。ぐえ、とひしゃげた音が喉から漏れた。――しまった、やられた。
頭のどこかで無意識に予測していたのだ。
奴の言動は違和感に満ちていた。こんな、世界一おめでたいほどに安全な、そしてまともに英語の通用しない国の街なかで、母語以外での「所属と階級を言え」。ありえない問いかけだ。隙をみせた時点で、後頭部に気配を感じた時点で、手遅れだった。
容赦なく首が絞めあげられる。
恐ろしい力だ。過酷な訓練で鍛えた体が完全にロックされている。もがき抵抗するもまったく外せない。近接格闘には少々自信のある彼も、全身にアルコールがまわった状態ではなすすべがなかった。あるいは、訓練を受けていない一般人ならまだ返り討ちにできたかもしれない。なにかはわからないが、明白にプロの行動だ。シラフだったとして、はたしてかなう相手か。
人を殺すことになんらためらいのない加減のなさ。フィリップは、股間の生温かさと死を感じとった。
こんな日本で俺は――
速やかに意識が失われるさなか、母親とガールフレンドの顔が浮かんだ気がする。父親は現れただろうか。もう何カ月も話していなかったから。
フィリップ・ヴェリーの視界は、日の出前の時間に逆行するかのように暗転し、黒く塗りつぶされた。
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