二十一 五分後ぐらいの世界
問題は、タイムトラベルを葵の母親にどう説明するか。
いくら博が、『富士山頂で何日過ごせるか試してくる』と称して出かけて、五日後、満身創痍で点滴を受けながら、対面した家族にあきれられるなど、幾多の突拍子もない奇行歴を持つ変人といえど、さすがにタイムマシンで三十年前に行ってくるなどと口にすれば縁切り事案だ。
「妖精さん」の声が聞こえるようになったと陽子に知られたときも――言うまでもなく漏洩もとは彼女の娘だ――心療内科の受診を強固に勧めたのは看護師である彼女だった。今度は入院まで言及されかねない。
バブルに行くことは伏せて『バンドのメンバーで合宿をおこなう』との名目はどうか、という案も出たが、何日も連絡がつかなければ怪しまれるし、外出や密集の自粛が叫ばれるコロナ禍ではやや苦しい。
そもそも葵は受験生だ。天然の彼女の成績はけしてかんばしくなく、特に苦手な地歴公民は壊滅的。地理では北海道の県庁所在地を『北海道市』、公民では三権分立を『神奈川県・千葉県・さいたま県』、歴史では一九四五年八月十五日に終結が伝えられた戦争を『第5次なんとか大戦(ロボットのやつ)』と回答する猛者だ。のんきにタイムトラベルなどしていられる身ではない。
(対策を考えるのがめんどうになってきた)博から、やはり連れていけない、家で勉強していろ、と同行の許可を撤回されそうになった葵が、言うにこと欠いて抜いた伝家の宝刀は、『連れてってくれないなら、おじさんにエッチなことされた、ってママに言うから!』
無論、でまかせであり、彼女の母親は葵のお守を博に手放しで任せる程度には全幅の信頼を寄せている。
が、さすがに娘の口からそのような発言が飛び出せば、全幅は半幅、いや、四半幅以下に激減し、場合によっては、物理的な伝家の宝刀が台所から持ち出されるかもしれない(嫁入り時に持たされたもので、これがまたやたらと切れ味がいい)。ときに突発的・激情的な行動にでるのが艾草家の血筋なのだ。
やむえず予定どおりのメンバーで行かざるをえなかった博は、どのようにタイムトラベル計画を信じさせるか考えあぐねたすえ、論より証拠、実際に時空を飛び越える瞬間を見せるのが一番確実、とアディオスへ依頼。
難色を示す神を口説いて時空のむらの情報を引き出すと、妹のマンションに拓海を呼び出し、なにも知らずのこのこやってきた若者を、姪に下卑た入れ知恵をした罰も兼ねて被験者とし、ドライヤーからマイナスイオンを放出。目の前で消してみせた。
兄同様、根っからの現実主義者である陽子もこれには驚嘆。彼女を信用させるためひと役買ってくれた馬鹿者が、五分間だけこの世から存在が消えまったく連絡がつかない状態となり、そのあいだにタイムマシンの原理などを説明していると本人から着信があり、『博さんここどこ!?????』『なんか第一海堡っていう読めないやつが地図に表示されてるんですけど!』『え、中国? ここもしかして中国? オレ、まさか軍事基地的なわりと絶対入っちゃだめなとこにいたりする??』と東京湾の無人島から泣きつくさまを目のあたりにしては信じないわけにはいかなかった。
タイムマシンと称するドライヤー状の機器――というか、本体にあるメーカーのロゴや「スカルプモード搭載!」との貼られたままの展示用シールからして、どう見ても市販のドライヤーだが――どうやら本当に時空を跳躍できるらしいことはわかった。が、だいじなひとり娘を、五分後どころか三十年も過去に行かせるわけにはいかない。
葵がイラストを描き対象の数学者の興味を引く、との話も陽子にはあまり確実性のある方法とは思えなかったし、どんな危険があるかわからない行程へ週単位で参加などとんでもない。新型コロナウイルスなんかより我が子のほうがよっぽど大切だ。受験勉強だってさせないといけないし。
博は、なんだかドラボンゴールでメナック星へ行く行かせないの押し問答みたいだな、とげんなりした。俺だってこんな足手まとい、もとい、かわいい姪っ子を連れていきたくないんだが。
内心うんざりしつつ、くだんの某作品と同じような懐柔を試みる。
「さっき言ったとおり、葵のイラストはこの計画の鍵なんだ」
実は、大してしていなかった期待を、姪は《《さらに下まわっている》》のだが、この場で言えるはずもない。
「今、コロナを抑え込めなければ人類は四半世紀で滅びる」「葵は十五カ月後に感染し、五週間で命を落とす」「百パーセントの的中率を誇る統合思念体の予言だ。まちがいない」
迫真の弁舌にひどくショックを受ける母子には、神の「なにひとつ事実に沿っていないことをよくすらすらでっちあげられるね。あと、アディオスは思念体とかじゃなくて神だよ」との軽々しい反論は聞こえないため、彼女たちを大いに震えあがらせた。
一方で「飴」も忘れない。
「受験勉強への影響なら心配しなくていい。むしろ、タイムトラベルで過去に滞在するぶん、ほかの受験生より多く日数を得られる」「おあつらえ向きなことに、当時の陽子も高校受験をひかえる身だ。優等生だった母親といっしょに勉強すれば見違えて帰ってくるぞ」
すっかり動揺している陽子は「た、たしかに」「そうね、そういうことなら……」とあっさり反意をひるがえした。
実際のところ、滞在期間は限定的で、葵の残念な学力を救済するには不十分。出題傾向も三十年前と今ではだいぶ違うだろうから、いうほど劇的な効果は望めなかった。
だが、コロナに感染とのゆさぶりをかけられ、リスクに対する思わぬ副次のリターンを示され、「帰ってくる」という表現を抜かりなく織り交ぜられて、母親はあっけなく陥落。半世紀近く彼女の兄をやっているので、あつかいかたはだいたい心得ている。
不安げに「ママ、十五カ月って何年? 十五年ぐらい?」と問うような姪なら、出題傾向うんぬん以前か。
「あのね、十五カ月は一年《《半》》未満」「えっ、じゃあ一年以下ってこと!?」と驚愕したりいろいろと複雑なおももちになったりしている母娘がかわいそうなので、過去へ飛ぶ前にネタばらししておこう、と博は思った。
ちなみに、そのあいだ、ずっと放置している通話口から「博さんっ、中国語で『私は敵じゃない』ってどう言うかググりかた教えて!」と必死にわめく実験台が、千葉の小島から戻ってくるには五時間かかった。
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