二十五 千と千尋の神頼み
〝辬〟
見たことのない字だ。
もちろん読めないし、意味もわからない。
甲子園のあれだろう、とこの時期、高校野球の大会に熱心な関心を寄せている二十世紀博が言った。和歌山の強豪校のことだ。漢字変換し比較してみたが、〝辬〟と〝辯〟、酷似しているが両者は別の字だった。後者の字だったならわかるわけでもないが。
一字だけでは意味をなさないか。ゴマルトリア、ゴーンブルクの二名の経験値も、次のように十進数から十六進数、そして文字へと置き換える。
38076 → 94BC → 钼
37095 → 90E7 → 郧
だめだ。ゴーレシアと同じ。初めて見る字しか出てこず、つなげたところでどうこうなるものではなかった。念のため入力ミスも疑って何度か打ったがちゃんとあっていた。
二〇二〇年のようにはネットで調べることができないため、陽子が漢字辞典を持ってきた。
辬 (読み)ハン・ふ・ぶち・まだら (異体字)斑
钼 (読み)モク (意味)モリブデン
郧 (読み)ウン (意味)春秋時代の地名・国名
国語辞典もあたってみたが、ふたつめ、三つめは中国語由来のようで、ひとつめも日本語で使われる字ではない模様だ。中国に関する方面にことはおよぶというのか。女史と中国の接点などなにひとつ知られていない。だが、そこは博たち。伊達にこの時代からPCをさわってはいない。
「バイナリーエディターじゃあ、この手の字は日常茶飯事だったよなあ?」
「フッ、過去形だと? こちとら現役ヨ。セーブデータの改造じゃア見慣れたモンだ」
平成においてちょっとPCをかじってる人間にしてみれば、これは中国語などではなく、たまたまその字のコードが該当したというだけで、字じたいに特に意味はないと。文字コードに意味が隠されているとのアタリをつける。8FAC・94BC・90E7、これらが意味するもの。W博の共同作業が始まる。
「半角文字に分割してもほとんどマトモに字にならないゾ」「一バイト目と二バイト目を入れ替えたらどうだ?」「むしろすべて逆から読むんじゃアないか?」「排他的論理和はわかるか? 二進数に変換して演算してみるのも」「その前にまず単純に全員の値をたしてみないか?」
丁々発止で意見を交わしあい、紙に書き出しPCに打ち込み、次々と検証。こうでもないああでもないの試行錯誤が繰り広げるかたわらで、妹と姪とその他一名はぼけっとながめているしかなかった。
そうして小一時間、五十分ばかりの悪戦と苦闘のすえ、手に入れた結果は、徒労。
博×博に考えられるおおよそすべてを出しきってはみたが、正真正銘、最後の砦であり最終防衛ライン。ここだけはなにがなんでも突破させてなるものかと城壁は決死の抵抗をみせる。
「どうすンだよ、オレ。解ける気が一ミクロンもしないぞ」
「考えかたは十中八九あってるはずなんだ。きっとなにかを決定的に見落としている」
「ナニかってなんだヨ。コッチはもう頭がウニのバタンキューだ」
九〇年代博は両手両足を投げ出して天上をあおぎ、二〇年代博はモニターを前にうんうんうなる。
だいたいにして、しょせんは同じ博どうし。絞れる知恵も、博×博どころか博×2ほどもなく、×1.05がせいぜいなのではないか。三人寄れば文殊の知恵などというが、ふたりしかいないし、同一人物ではなお効果が怪しい。なんだったら、そこの十把ひとからげもとい三把ひとからげを寄せてみるか。文殊とはいかずともまんじゅうを台所からとってこさせるぐらいの役にはたつだろう。視線を向けてため息をつく彼に、三把は妙な顔をした。
困ったときの神頼み。これこそまさに得意分野だろうと、我がグループの文殊の四畳半を訪れる。手狭の畳部屋で、プログラマーは熱心にPCと向きあっていた。
あまり顔色のすぐれない彼女は、画面をみつめたまま、なに、と無愛想に問う。助教授やゴンたちの件をこころよく思っていないせいか。助教授については、その真相は知れないものの、千尋は直接かつ決定的に関わっている。警察への届け出だけでは不十分と考え、自身の責任もあわせて心境は複雑なものなのであろう。
少しの気分転換になればとの意図も込めて助力を請う。そのための経緯と現況の進捗を話した。
例の十五文字の暗号はやはり〝P〟が円周率で、〝e〟はネイピア数であったこと。該当桁数の位置から八桁ぶんの数字を拾って、これと三人の持ちものの道具名と照らしあわせるとビンゴ。意味をなす言葉が得られる。さらに経験値に文字が隠されているのではと推測して十六進数に変換して、と途中まで話したところで初めて千尋は顔を上げた。
「解いたの……………?」
もともと悪かった血色は、蒼白とさえいえるほど色をなくしていた。あまりの狼狽ぶりにこちらが驚いてしまうほどだった。
先を越されたと思って動揺しているのか。安心させようというわけでもないが、十六進数を変換しても見たことのない漢字しか出てこず途方にくれている、との続きを聞かせる。千尋は戸惑い、少し考えて「ああ、そういうこと」とひとり納得。多少、緩和した様子ではあるものの、表情はずいぶんと固い。無理もないだろう、と博は察する。
ゲーム内説をあれだけ完全否定し、復刻の呪文内説の声高に主張。今の今まで懸命にとりくんでいたところへこの話を聞かされたのだ。ショックを受けるのも無理からぬこと。自信家であり、実際、ここまでの道のりでいくつもの壁を打破してきた。これでは立つ瀬がない。
彼女の体面を気づかい、自尊心を傷つけないよう博は留意。名誉挽回の機会を提供する意味でも、最後の謎解きを依頼する。果たして、返答は。
「悪いけど、今、《《アレ》》がきつくて無理」
PCに向けた顔はかんばしくなく、頼みごとをできる調子ではなさそうだ。重たいほうだとの話は聞かないが、環境の変化もあるのだろうか。まさかコロナではと危ぶんだが、発熱や味覚・嗅覚の異常はないとのことだった。
体調が悪いのであればしかたがない。寝てたほうがいいんじゃないかと勧めるも「こうしているほうが楽だから」と一心不乱にキーを叩く。無理と言いつつ引き受けてくれるということか。すなおじゃない奴だ、と博は苦笑。
本当に無理はするなよと言い残し、皆のもとへ戻る。モニターへ落とした顔を彼女が上げることはなかった。
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