二十三 とにかくすげえやべー人
髪だけスーパーヤサイ人に視線が集まる。
どういうことだ、拓海、と最年長のリーダーに問われて青年は名をあげる。「哲也さんだよ」
ものごとを深く考えない彼は、トラブルの元凶のひとりであり、それへ自身が関与していることもすっ飛ばして、平然と言及する。残念な頭脳なりに少々ぴりつく空気に違和を感じつつも、残念な脳はかまわず続ける。
「哲也さんってクッソPCに詳しくてさ、哲也さんの次にヤベえほどPC把握してる店長が、ミリもかなわねえつってベタぼめしてるぐらいの――」
「ソイツとオマエのおかげで、あの、うさんくさいオッサンが家に来たンだろうが」
「プログラマーの千尋でもさじを投げるレベルを、ショップ店員に解決できると思うな」
ダブル博のダブルパンチに、普段ならヤサイ人もどきはマットに沈んでいたことだろう。が、失態をとりもどそうというのか、へろへろになりながらも果敢に食らいつく。
「ヤベーんだって。パーツとかの知識もクッソ神なんだけど、バブルのネットにつなぐアプリを作ったりするし、リアルチート」
「えっ、その人、最強なの?」
ラノベ脳がなにか食いついてくるが、自重願う。
「今はPCショップで店員やってるけど、前は開発会社でプログラマーだかSEだかやってたり、一時期、ビットコインのマイニングで荒稼ぎしたりとか、すげえ万能選手っつーか」
「じゃあ、〝会社を追放されたけど実は最強スキルの持ちぬしだったのでパソコンのお店で無双します〟的なやつ?」
「いや、べつに追放されたとかの話は特に聞いてないけど」
自重願う。
「とにかく、すげえやべー人なんだって」
貧困な語彙のせいですごさがまったく伝わってこない。仮に、千尋以上の規格外なスキルを持っているとしても、それは二〇二〇年の時点での話だろう。三十年も前の知識と技術で、千尋を超えるスペックを誇るとは考えにくい。しかしながら、今、頼るつてがその千田なにがしぐらいしかないのも事実。私利私欲で歴史を変更しようとする者に助力を頼むのは不本意だったが、どうせだめもとと不承不承、コンタクトをとる。
その夜。
いつもの草の根BBSに接続する。小半助教授からの音信がないか念のため確認してみるが、特にメールはなく、ログインもしていなかった。代わりに千田哲也はつなぎっぱなしにしており、拓海の出没を待ちかまえていた。パソコン通信は通常の電話回線を使用する。来るかどうかわからない拓海を、通話料を押してでも待つ。そうとうな神頼みぶり。萬谷勝利の関心が博たちに移って、千田は気が気でないようだった。例の自家製アプリはなにが仕込まれているかしれたものではないので、キーボードを打たせのチャット。ひとまず千田には、萬谷との話は順調に進んでいる、として安心させておく。
『ちょっと困ったことがあってさ』『どうしても解かなきゃいけない暗号があるんだけど』『P4896T19152e269ってやつで、Pが円周率』『eがネイピア数ってやつ』『これの269桁目から8文字ぶんの数字が知りたいんだけど』『知りあいのハッカーの人に聞いたら計算するのにクッソ時間かかるから無理って言われて』『哲也さんならできるかなって』
千田哲也は、BBS上で実名を出すなと何回言えばわかるのだと騒いだが、回答はきっちりとよこしてきた。それも、ヨーロッパ旅行五日間レベルの斜め上の水準で。
『一日あれば多分コードは書ける』『実行して見ないと何とも言えないが結果が出る迄1時間も掛からないんじゃ無いか』
ずいぶんと強気のみとおしときたものだ。千田という男がどういう人間かよく知らないが、博がちらと見ただけの印象でいうかぎりでは、大言壮語をするイメージは湧かない。拓海に聞いても、できるかどうかはっきりしないことを安易にできると安請けあいするタイプではなく、根っからの慎重派らしい。
半信半疑で迎えた翌晩。博は唖然とする。
『昨日の件だが出来たぞ』『ネイピア数の269桁目から8桁は53742345だ』『思ったほど処理に時間は掛からなかった。5分と経たずに終了した』
容易なことでは手に入らないとあきらめ気分だった八桁の数字が、こんなやすやすと得られるとは。暗号文と照らしあわせて、これが確かなものであることの確証を得る。狐につままれた心地だったが、千田なる食えないタヌキ、いや、キツネは、博をもうひとつまみする。
『―――――』
その言葉の意味をどうとらえていいのか。博たち対コロナ特務部隊の面々は、複雑な面持ちでこれを受けとめることを強いられる。
あわよくばで、暗号の最後のアルファベット〝T〟についても考察を依頼し、チャットを終える。
千田によって浮上した疑問はさておくとして、入手したネイピア数を三人目、ゴーンブルクの王女にあてはめると、このようになった。
くさびかたびら…5
ふっかつのたて…3
ふしぎのぼうし…7
はやぶさのつき…4
マイナスナイフ…2
ガイアののろい…3
れいすい…………4
きとうしのつえ…5
↓
くさびか【た】びら…5
ふっ【か】つのたて…3
ふしぎのぼう【し】…7
はやぶ【さ】のつき…4
マ【イ】ナスナイフ…2
ガイ【ア】ののろい…3
れいす【い】…………4
きとうし【の】つえ…5
博は読みあげる。「た・か・し・さ・イ・ア・い・の」
「〝たかし、最愛の〟か」もうひとりの博が言った。
〝たかし〟、《《三重隆》》だ。
最愛の。ここにきて、主人公、ゴーレシアの王子の名前の意味が定まる。〝かそ゛く〟。やはり〝家族〟だ。小半助教授は三重隆と添い遂げ家族となり、最愛の夫としてここに記したのであろう。
そのように、そうとうの確度をもって推量するも、ここでも若干の違和感が残った。倒語になっている点だ。
〝隆、最愛の〟よりは〝最愛の隆〟のほうが明らかに自然だ。なぜ順序が逆なのか。キャラクターの持ちものという、きわめて限られた制限のなかで表現するためしかたがなかった、ともとれる。しかし、それならば道具の順番を入れ替えれば済む。復刻の呪文の終端、〝よん〟を〝よる〟に変換する最後の仕掛けを仕込むためだったともみなせるが、それでもなお腑に落ちない。〝養母、小半よ〟と〝隆、最愛の〟のあいだにくる八文字、最後のピースがそろうとこれが判明するのだろうか。
もうひとつ、別の疑問を陽子がていする。
「小半サン、三重隆って人と結婚するのヨネ。だったら《《三重久美子になるンじゃないの》》?」
そう。これも違和感をなす要素となっている。
必ずしも、結婚イコール妻が夫の姓を名乗るわけではないが、二〇二〇年においてもその慣習はすたれていない。一九九〇年の現在であれば、より過去の時代ほどでないにしろ、助教授が小半姓のままでいるのはどちらかといえばまれなケースだ。結婚後、職場で旧姓を名乗る慣行もあまり定着していなかったと博は振り返る。相棒の博に尋ねても「そんな妙なハナシ、聞いたコトがない」と。
小半助教授ほどの、この時代でいうところの〝キャリアウーマン〟なら夫に改姓を求めたとも考えられるが、それもあまりありえなかった。三重隆は資産家の御曹司なのだ。
千尋は当初、そこまで言及しなかったが、話を聞いていると、どうもそこいらの一般人らしからぬ暮らしぶり。三重家については博も多少、名前を知っていたため彼女に確認したところ、思ったとおりだった。他方、由緒ある家柄でもなく、家族も母親がいるだけの助教授。三重家のひとり息子が名を捨てるとは考えづらい。それをいえば、そもそも釣りあいのとれないペアではあるのだが。
二〇二〇年で知られている助教授の名は小半。三重家の縁者との情報も皆無。遅くとも、亡くなる二〇〇〇年までには離婚したとみるのが妥当。
「〝隆、最愛の〟って残すだけの熱愛だったのに」
悲しげに陽子は漏らす。小半久美子と三重隆のあいだになにがあったのか、あるいは、今の時点でいえばなにが起こるのか。もしや、自分たちがこの時代で彼女に接触したことで歴史が変わったのでは、と博はぞっとするが、タイムトラベル前の段階では、小半助教授が三重隆と夫婦関係にあったとか、結婚・離婚をしたといった話は出ていない。それはそれとしても、彼女に干渉したことで失踪をまねいたのは事実。
あの日、なにがあったのかは、あいかわらず、千尋は口を閉ざしたきり。あてにしていない警察からの連絡は、あてにならないていどにまったくやってくる気配はなく、暗号文の〝T〟についても博たちも千田も打開策は得られず、いたずらに時間が過ぎてゆく。
責任をとる意味でも興信所に依頼して探すべきでは、との声が仲間内でふたたび強まるなか、とうとう彼らは、その真相にたどりついてしまう。
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