二十二 司書は知っていた
まさしく予想外の成果が転がり込んできてひっくり返った。
例えるなら、福引きで二等のミニ冷蔵庫を狙ってまわしたら特等の豪華ヨーロッパ五日間の旅を当ててしまったぐらいの過剰報酬。暗号解読がひとつまた大きく進むことになる。
幸運は図書館の司書がもたらした。
大量の桁数の円周率を収録した本がないか尋ねたところ、優秀な彼女は、何十万冊とあるなかからそのものずばりの書籍を探し当ててくれた。二百五十万桁も延々、数字が羅列されており、まさに父親の言った〝誰が必要とするのか皆目見当がつかないような風変わりの〟一冊だ。五千桁など入口でしかなかったという。
該当ページはあとでスマートフォンで撮るとして、小半助教授についての聞き込みもおこなった。
博はあまりその認識を持っていなかったのだが、氏は学内でも屈指の有名人だった。ここ、旭原大学の卒業生でもあり、ハーバードへの留学経験もあった。気軽に助教授、助教授と呼び習わしているが、よくよく考えてみれば二十代なかばで同年代の学生相手に教鞭をとっているのは異例の人事。数学における顕著な研究成果が認められての抜擢で、同大学では前例がなく、当時、地元紙でもとりあげられたという。ゆえに、現在、学内では少し騒動になっているそうだ。
彼女についてもう少し掘り下げて聞いてみたが、これじたいはさして有用な話は引き出せなかった。とにかく人づきあいが悪く、教員・学生を問わず、親しい関係にある人物は皆無。講義や業務上の必要事項を除けば実に無口で、よけいな会話はまったくしない。通常、研究とは協同でおこなうものなのだそうだが、小半助教授は完全に単独で活動し、論文の共著もいっさいないと。ナゴヤについて一時間でも二時間でも平気で語っていた姿からは想像がつかない。友人・知人、身内に関して知る者は皆無だろう、と。
女史が遺した暗号文を解くのに必要で円周率を調べている、と例の十五文字の英数字を見せたとき、決定的な手がかりのひとつが得られた。
「もし〝P〟が円周率なのだとすれば〝e〟は〝ネイピア数〟ですね」
えっ、と聞き返すていどにはさっぱりなじみのない語だったが、さすがは大学図書館で勤務しているだけあって博識だった。
それは〝自然対数の底〟とも呼ばれ、数学では基本的かつ重要な定数なのだとか。そういえば、はるか昔、授業で聞いたような気がしないでもない。一生、縁がないとへきえきしたものが、よもやこんなところで必要になるとは。そんなもん予想できるか。
その、ティッシュペーパーみたいな名前の数がどういうものであるのかとか、なぜNではなくeなのかとかはよくわからなかったが、数字さえわかればいい。円周率と違って、五千どころか五百桁もいらない。これも楽勝でゲット、と思いきや。
「すみません、ネイピア数が二百桁以上も記載されているような文献はちょっとみあたらないようです」
分厚い数学辞典でも二十五桁しか記されていなかった。必要な桁数の十分の一も載ってない。〝T〟についても、とんとん拍子は止まってしまったようで、該当する数学上の記号は思いあたらないとのこと。それでも、想定しなかった収穫を得られた。手土産の紙面を端末に収め、意気揚々、博は帰宅する。
手に入れてきた情報を共有し、ネイピア数なるものを求めるプログラムを千尋にさくっと作ってもらおうとするも、ここでもつまづきが起こる。
「無茶言わないでよっ」プログラマーは青い顔で悲鳴をあげる。「そんな桁数の自然対数の底を計算するのにどれだけ時間を要すると思ってるの」
これだから素人は、と首を振り振り、部屋へ引っ込んでしまった。いや、たしかに素人だが。本職に言われると返しようもない。またしても壁にぶつかってしまう。
いっぽうで大きなブレイクスルーをこの日、みることとなる。
入手した円周率、小数点以下、4896桁目は4であったが、これがなにを意味するのか。書き出した三人パーティーの持ちもの一覧表とにらめっこをしていて、陽子が指摘する。
「気づいたんだけどサ、ゴーレシアの王子の最初の道具、四文字めって〝よ〟だヨネ」
妹の指し示すアイテムは〝かねのよろい〟。たしかに〝よ〟だ。四文字めが〝よ〟で、円周率の該当桁する桁の値も4。だからなんだというたわいのない発見だが、暗号文の(A)の解読では、彼女のなにげない気づきが突破口をひらいた。果たして、柳の下にドジョウはいた。
4897桁目の数字を見てみる。3。ふたつめの道具は〝きとうしのつえ〟。三文字めは〝う〟。4898桁目は5、と確認してゆき、一同は瞠目する。
↓円周率4896桁目から8桁
… 03867 43513622 22477 …
かねのよろい……4
きとうしのつえ…3
けやきのぼう……5
こうぼうのふで…1
マイナスナイフ…3
サイモンのかぎ…6
ドラゴンミラー…2
まよけのみず……2
↓
かねの【よ】ろい……4
きと【う】しのつえ…3
けやきの【ぼ】う……5
【こ】うぼうのふで…1
マイ【ナ】スナイフ…3
サイモンの【か】ぎ…6
ド【ラ】ゴンミラー…2
ま【よ】けのみず……2
「よ・う・ぼ・こ・ナ・か・ラ・よ……」
博は噛みしめるように読みくだす。
〝こナかラ〟、すなわち、〝《《こなから》》〟。
助教授の名だ。
「〝ようぼこなからよ〟?」もうひとりの博が言う。「養母、つまり肉親じゃアない、戸籍上の母親ってコトか?」
「〝養母小半よ〟、小半サンは誰かの〝養母〟だヨって意味?」陽子が首をかしげる。
自身が養母たる小半である、もしくは、養母たる小半への呼びかけ、ともとれる。フレーズとしても自然とはいいがたいが、これがパスワードというのはさらに奇妙だ。交際相手の存在だけでも意表をつかれたというのに、養子の存在だとか情報量が多すぎる。
なんにせよ、円周率の数の並びと一致させた結果、フレーズとして成立する以上、これが正答の一部であることに疑いの余地はなかった。
「たくみん、ここまででなに言ってるか全然わかんないって、ヤバくないよね?」
「全然、ヤバくなくなくね?」
いや、ついてこいよ。
微妙に脱落気味の若干二名のうち約一名が、しかしながら、このあとファインプレイをみせる。
「あとはゴマルトリアの王子とゴーンブルクの王女だ」博は紙をにらみ言う。「ゴマルトリアに該当する〝T〟がなんなのかはわからんが、ゴーンブルクの〝e〟はまずネイピア数だ。これを計算できればな」
「千尋サンでも手に負えないんじゃア、解決のしようがないだろ」
博に博がぼやく。
うぅん、と頭を悩ませる三名と、悩む頭すらない二名。後者のひとりが、だが、三人パーティーに金の鍵をもたらす。
「もしかしてそれ、なんとかなる人、いなくなくね?」
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