十六 プロの犯行
朝帰りになるかも、などとうそぶいて出かけた千尋は、先週と同等かそれ以上の早さで帰宅した。
「ごめん。小半久美子はもう心をひらくことはない」
なんのもうしひらきにもならないことを述べて、彼女は自室の四畳半へひきこんだ。どこか思いつめた様子の彼女を案じて、陽子が障子の向こうへ声がけたが、ごめん、陽子さん、私は失敗した、と戸越しに応じただけだった。
いよいよの手づまり。着手を誤ったとおぼしき彼女が言いおよぶのは、自責の念のみ。万一に備えていたバックアップたる葵、彼女による異次元な送信にも、レスはなし。
乗り気のしない千尋に代わって、単身、不藁をアパートへよこしたが、日が暮れても、彼女の部屋を出入りする者はおらず。夜ふけまで張らせるも、火は落ちたままだった。
住所と電話帳で番号を調べ何度もかけてみたものの、出る気配はなし。多少、強硬手段ではあるが、夜間なら近所迷惑を嫌って出ないわけにはいかず、出ないにしても電話線を抜いたり、あるいはパソコン通信の最中なら話し中になるのでは、と繰り返してみたが、これも不発。いつかけてもむなしくコール音が続くだけだった。
週明けの月曜日。勤務先の旭原大学へ問いあわせたところ、欠勤しているとの話。先週末は特に変わった様子はなかった、まじめな人なのに連絡もなしに、と困惑していた。
あの日、なにがあったのか。改めて千尋に問うても「自分たちの正体がバレてしまった」「私は失敗した」そのように言葉少なに釈明するだけで、別人のような意気消沈ぶり。感じている責任をいたずらに追及しても始まらない、と博はなるたけ責めないよう慮った。
代わりに、さらなる強行突破への協力を頼む。つまり、家宅への侵入である。
物理的な突入はいろいろと無理、問題があるので、まず、不藁にピッキングを依頼したが「すまないが、そういうスキルは持ちあわせていない」とのこと。家捜しじたいは、簡易的に身につけているむねを不承不承ながら明かしてもらえたので、同行を依頼。そこから先、宅内に侵入るまでは千尋の役割となる。
「ハア、お隣さんの。そういえばこの数日、全然、いる気配がなかったネエ」
隣室の住人に、身内だと名乗り、管理先を聞き出す。近所に大家が住んでいることがわかり訪ねた。
「小半サンのお姉さん? フゥン」
家族は母親だけと聞いてるンだけどネエ、と中年女性は値踏みするように千尋を見やる。陰で不藁と様子をうかがっていた博は危ぶむが、千尋による「妹は勘当され家を出ている」「交際相手をめぐって母親以外とはうまくいっていない」「最近、連絡がつかず、近くに住む自分が様子をみにきた」との機転で、鍵をあけてもらえた。よくも悪くも、個人情報などのゆるい時代で助かった。
あとで鍵を返しにくるようにと告げて大家が去ったのを見計らい、博と不藁はアパートの階段をのぼった。
ドアをあけて博はぎょっとする。物取りにあったかのような荒れよう。すわ、事件か、とあわてるが、千尋によるとこれが普通らしい。汚部屋かよ、と漏らす博に千尋は、彼が引くのだからやはりそうとうか、と内心でぼやいた。
次に博が引いたのは、不藁の迅速な行動だった。
部屋の散らかりぐあいをなんら気にもとめず、迷いなくブーツを脱ぎ、さも自宅であるかのようにあがりこむ。他人の家に入る挙動ではない。風呂とトイレをさっと覗くと、居室へ移動。ナツメ球がぼんやり灯る室内を一瞥後、蛍光灯のひもを引き点灯。再度、すばやく見渡し、カーテンをあけベランダを、押入れの戸をひらき上下段をチェック。ここまででものの五秒か十秒。あっけにとられて見ているあいだも、PC-9805の電源を入れ、起動するうちに専門書やノートを拾いあげていく。PCの画面上にプロンプトが表示されると「立花、パソコン通信につないでくれ。たちまわり先、BBSでの動向の確認を」と指示。少々の抵抗感をみせる千尋だったが、わかった、とキーを叩きはじめる。不藁はかたときも手を止めることなく、タンスをあけ、本棚をあさり、冷蔵庫までもひらいて、持参したカバンにアニメ誌や手帳、郵便物といった書類、フロッピーディスク、カセットテープにビデオテープと手あたりしだいに詰め込む。
「持って、いくのか……?」
戸惑う博に不藁は、ああ、と部屋じゅうを撮影してまわる。警察に通報されないかと疑問、不安をていするも「そのための手袋だ」と。手もとを見るといつのまにかはめていた。キーボードはあとで拭きとる、モグさんは不用意にさわらないでくれ、と注意をうながしたあとでこうとも。「むしろ、助教授が戻ってくればいいんだがな」
その懸念に、キーを打つ手がやむ。この部屋から帰ってきてからこっち、すぐれない顔色がより青白む。女史の身によからぬことが起こりうる、そのようなおぼえがあると? 先日、ここでなにがあった。モデムの発信音を鳴らす後ろ姿には、普段の自信に満ちた張りがなく、どこかしら縮こまってみえた。
ひととおり調べ終えると、不藁は、もとあったとおりにカーテンを引き、明かりを落とした。わずか五分ほどのできごとだった。ほとんどのFDは回収していくが、パソコン通信はつながるようにしておきたいため、OSの入った起動ディスクと主要ツールをまとめたものだけは、コピーをとったうえで部屋に残した。
先に千尋を外に出して周囲を確かめさせ、来たときと同様、人目のないことを確認し退去。鍵を返却し帰途につく。
バスを待つあいだ、不藁に感触を尋ねる。
「部屋の様子じたいに事件性はないだろう。千尋の話からも散らかしぐせの強い人物とのことだし、争った形跡は見受けられなかった。鍵もかかっていた。通帳のたぐいは持ち出してあったが、冷蔵庫などに食材が残っていたりと、身辺整理をした跡はない。タンスに空きがめだつ。泊まりがけに使いそうなバッグ類もみあたらないところから、意識的に家を出ている。しかし、計画性はとぼしいようだ」
つらつら述べる巨漢に、探偵かよ、とあきれるも「これは初歩の初歩だ」にこりともしない。こんなのが銃器を操り山野をめぐりヘリから降下する。家でくつろいでいるところを急襲されたくはないな、と博は口を曲げた。
自分たちの正体、すなわち、未来からタイムトラベルでやってきたと知って、なぜ、行方をくらませるにいたるのか。どのようにして小半助教授は気づいたのか、または千尋は漏らしたのか。葵ではないのだから、考えなしにうかつなことをしゃべりはしないだろう。千尋から話したとは考えにくい。となると、助教授のがわから気づいたことになる。当初こそ、正体不明の不審者と警戒されはしたが、ここ最近の信頼関係を思えば、急に疑いの目を向けられるのはどうにも合点がいかない。なにか決定的なアクシデントが発生したのだ。雲隠れするほどの深刻、致命的ななにかが。まったく、想像がつかない。当事者である千尋から聞き出すのがてっとり早く確実なのだが、本人は、ごめん、とただわびるばかりで、詳細を話そうとしない。追いつめるようなことはしたくなかった。今、手もとにある手がかり、リソースを総動員して解き明かすほかない。
持ち出した紙類と記録媒体。多数の資料を手わけしてあたる。書籍類はともかく、手帳のように個人的なものをあさるのは後ろめたかった。特に陽子は「女性の持ちものを調べるなんて」と強い抵抗感を示した。これに対して「暗号だけでなく、小半助教授の行き先をつきとめる意味もある」「普通でない行動に出ている助教授の身に万一のことがないよう、最善をつくしたい」と理解と協力を求めた。
とはいえ、ものがものだけに、一般の人間が見てもなにがなにやらわからないものも多い。研究用に書きくだされた数式は最たるもので、一度も見たことのない記号があたりまえに頻出する。たぶん、その辺の中高から数学の教員を何人か連れてきても、誰ひとり理解できないのだろう。もし、これが暗号やパスワードの手がかりだとするならおてあげだ。
雑誌類は葵や拓海に、FDの解析は千尋に、と役割分担。人海戦術で、夜中まで、早朝から、と昼近くまでのまる一日以上、隅から隅まで目をとおした結果、判明したのは、小半久美子が大のナゴヤファンであるとの事実。その再確認のみだった。
購入している雑誌は学術誌を除けばすべてアニメ誌であり、ナゴヤの載っていないものはなかった(もっとも、当時の専門誌で人気作品の掲載がないものを探すほうが難しいが)。録画したビデオは大半がナゴヤであり――もちろん、標準画質での録画であった――残りの多くは『メイソン』で、これは見入る過去博に自重を求めたり、未来博自身も強い自制心を要すなど、労多くして得るものはなかった。カセットテープ班の陽子の報告によれば「全部、アニメソングだった」とのこと。テープメディアに保存されたデータがないかの確認も、そのような音声はなし。期待の大きかったFDも空振り。TeXで記述された(わけのわからない)数式はあきらめるとして、博たちにもわかるもの、たとえば掲示板のログや画像も、だいたいがナゴヤ関連。葵が描いたものも混じっていた。
そんな、ナゴヤ一色のなかで、ひとつ、異色の画像がみつかる。
おもしろかったら応援をぜひ。
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