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十四     からまわる、からまる暗号

 過去(バブル)へ飛ぶ計画を練っていた。


 コロナ禍の折り、不要不急の外出はひかえろと言ってあるのも意に介さず、姪はいつものようにやってくる。なにか用事があってのことかと思えば、なにをするでもなし。例の無駄に長ったらしいタイトルのゲームをぽちぽちやるだけ。それは葵宅(うち)ではなく博宅(うち)でやらないといけないのかと問うても「なんとなく」あいまいに濁す。なんだそれ。

 なんとなくで万が一にもコロナに感染されようものなら、呼んだわけでもなくむしろ来るなと言っていたにもかかわらず、陽子(いもうと)に、江戸時代の町人のごとくこってり油をしぼられるのだが。


 人の気も知らないで、姪っ子は『チートスキルっ、〝永久(ずっと)私のターン〟発動(はっつど)ぉ〜!』との能天気な声とむやみに派手なエフェクトを鳴らす。一方的にボコるだけの簡単な作業にいそしむ少女は、ぽつりこぼしす。


「――んがいっしょに行くの、おじさんは気にならないの?」


 あのとき。

 葵はなんと言っただろうか。

 もしかして、こうは言わなかったか。


 《《たくみん》》がいっしょに行くの、おじさんは気に――


「だって、たくみんが昭和に行く理由って――」


 二葉拓海が平成(しょうわ)に行く理由。

 (ゴロー)のため?

 なぜ知っている? なぜ、葵がそのことをあの時点で?

 拓海は、本当に犬のために同行したのか? そもそもに、犬は実在する、したのか?

 実際のところ、千田哲也なる男との計画をごまかすため、ひと芝居うったんじゃあ。


 いや、それすらもでっちあげで、実は、葵と拓海による、まったくのなに食わぬ顔を装った、完全犯罪的な――



 目が覚める。


 澄んだ鳴き声が、一定のリズムを空へ刻む。明けガラスに誘われていたった早起き。

 左腕を起こす。機器(デバイス)は五時五十五分を示している。外はすっかり明るい。夏の早朝。


 布団の上で身を起こす。かけ布団代わりのタオルケットが腹から落ちる。

 軽く頭を振る。吐息を漏らし、脳内でのできごとを反芻する。


 遠い将来(二〇二〇年)の先日、葵が家に来たときのこと。あいつが《《そいつ》》に対してこぼした疑問(ふあん)

 なんでそんな(もの)をみた。今、これを思い出す理由がわからない。昨日の悶着が原因か?


 昨晩の、拓海の犬をめぐっての衝突。結局、ケンカ別れのかたちでひきあげてきた。

 思わぬところで生じたわだかまりに博は歯噛みする。トイレに立って、よりはっきりと溝を認識させられた。


 玄関からやってきた陽子に出くわした。新聞を手にした彼女はひとこと「オハヨ」とだけ言い、居間の大ぶりの卓上へ朝刊を置くと部屋へ引っ込んでいった。目をあわせないよそよそしさ。〝冷たい〟人間には冷たくあたってもいいと。柱の角へ消える後ろ姿に、口を閉ざして問う。


 ゲーム内に仕込まれた暗号の解は、現状、みつかるめどがまるでたっていない。

 葵・拓海のみに任せた攻略は、小出しにヒントを提示していた博・陽子の兄妹のなし崩し的な合流による合同チームで進められているが、後半の要所、海底神殿を突破してもなお、糸口すらつかめる気配がない。

「全然、最強じゃない」という理由によって葵は早期にリタイアし――中盤にしては充実の装備とアイテム、潤沢な資金なのだが――拓海もファミゴン時代の難易度、とりわけ『ドラゴエII』の、雑魚モンスターといえど、連発すればフルチャージのMPをわずか一ターンで大半をごっそりもっていく特殊攻撃に象徴されるような、たいへんにシビアなゲームバランスを前に、セミリタイア。いたれりつくせりな二十一世紀(げんだい)のシステム設計ともあいまって「クッソ長ぇパスワードをメモってセーブするとか斬新すぎる」「しかも手書きって。スマホで撮ればよくない?」な世代に耐えうる世界でなし。結果、「そんな、現像せずに見られるカメラなんて平成(げんだい)にはありませんっ」とあきれはてる妹やその兄が、代行するにいたる。

 令和人(みらいじん)視点の意外な発見を見込めないではないか、とのやきもきは、進行するゲームを眺めていると薄まる。


 よくよく考えてみて、この時代のRPGにどれだけプレイヤーの独自性を出せる? 所持品こそ個人のカラーが現れるが、パラメーターは固定。経験値、たったこれひとつに依存して算出されるレベルにより、能力値も習得する呪文もすべて決定される。

 物語も、順番じたいは比較的、自由に進行させられはするものの、基本は一本道であり、隠し要素の特別なイベントも特になし。クラスや能力を取捨選択するスキルツリーや、多岐にわたるルート選択、フラグ管理などの要素はなく、持ちものぐらいしか独自色の出ない設計において、どこにパスワードを隠す余地があるのか。

 千尋が、エンディングになにかあるかも、と言っていたが、『II』に精通する者として――なにせ、プレイ中に流れるBGMの音程を指定するアドレスさえ知りつくしている――言わせてもらえれば、このゲームに《《隠しエンディングなどない》》。

 どの順でアイテムや称号を入手しようがストーリーに変化はなく、ラスボス撃破からエンドロールまで、誰がプレイしても同じものが用意されている――無理に違いを見いだすとしたら、寄り道して固有のセリフを聞いてまわるていどの違いだ。ならば、復刻の呪文はやはり暗号のパスワードには結びつかないのか。

 いいや、と博は首を振る。


 無駄に手の込んだ細工を攻略(クリア)してたどりついた五十二文字。なんの意味もないはずがない。

 ゲーム中にパスワードの現れようがないのであれば、とどのつまり、呪文そのものに隠されている以外には考えられない。

 五十二文字。長いとも短いともいえる字の羅列にめまいがする。あるていどのかたまりごとの操作といくつかの手がかりから導き出した正解の復刻の呪文、これとは異なり、今度はどのように明かすのか皆目見当がつかない。ある意味でふりだしに戻ったようなもの。

 いちおう、(B)の「P4896T19152e269」とのヒントが今回はあるが、これもまたなんのことやらさっぱりだ。プログラマーに尋ねてみても、数学者の考えにはおよぶものではなく、彼女の推論によるところでは「数の接頭語とみなすならそれぞれ、4896ペタ、19152テラ、指数表記としては十の二百六十九乗を表現していることになる」との見解。

 一万九千テラ。仮にバイト数とみなせば、二〇二〇年においても個人所有のストレージ容量は比較にならない規模。九〇年代の助教授が想定しうる範囲ではない。まして約五千ペタなど。

 そのペタクラスさえも、十の二百乗を超える世界では誤差レベルだ。仮に十の二百六十九乗を書きくだせば〝1000000000(途中、二百五十個のゼロを省略)0000000000〟だ。無量大数すら軽く飛び越している。どうみても、なにかの桁をあらわしてはいない。

 ではこの十五文字の数字・英字が、復刻の呪文のなにを指し示すのか。天才レベルの数学者でもない余人にわかろうはずもなかった。


 みえたかに思えた打開は硬質な岩盤にはばまれ、手づまりに戻る。

 苦心惨憺(さんたん)のあげく、事実上、頼むしかない様相の助教授本人もまた、その攻略には明確な道すじがついていなかった。

 パソコン通信上での交流は順調であり、今週も千尋が訪ねる予定を入れるなど、表面的にはうまくまわっている。が、実態は、可もなく不可もないニュートラル。今の博とメンバー間にうがたれた、ささやかで重たいくさびがない代わりに、決定打を放てるみとおしがたっているわけでもなし。果たして、残りのひと月たらずのうちに、二〇二〇年へ答えを持って帰れるのか。拓海の連れてきてくれた、やっかいごとも新たに浮上している。身内でトラブルをかかえている場合ではなかった。


 そうして、さらに新たなトラブルが舞い込み、小半助教授とのあいだにもくさびが、決定的に、打ち込まれる。

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