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十三     せめぎあう博《かこ》と博《みらい》

 耳か、それともリーダーの正気か。

 どちらを疑えばいい、との驚きと反感の目が集まる。拓海の顔からはまた色が抜け落ちてゆき、不藁はフラットの仁王立ちだった。


「ミライのほうのお兄チャン、どーゆーコトヨ!」

「今のハナシを聞いてたのかヨ、オレっ」

「おじさん、ひどすぎない?」


 あびる非難を、むすぶ口をゆがませ受けとめる。ゆるゆる首を振り、メンバーを見渡す。


「俺たちは二〇二〇年の現状を変えるためにやってきた。それ以前の、本来なら変えることのできない、確定した過去を変えるためじゃあない」


 ある意味での〝自論〟に、若き博は反発する。


「そりゃ、オマエの時代からみてのハナシだろ。一九九〇年(ココ)じゃア、未確定。犬どころかコイツすら生まれてもいない」


 まだ同じ歳、若かりし友人に指さされる若者は、希望と絶望のはざまで、瞳がゆれ動く。同一人物による、相反する意見と意見のぶつかりあい。ひとつの命が、ふたりの同じ男の手にゆだねられて。


「それこそ、おまえの、バブル視点での話だ。俺たちは二〇二〇年(みらい)から来て、一九九〇年(かこ)を改変してはならない。これが事実であり、すべてだ」

「タイムパラドックスを持ち出すのかヨ」

「そうだ。タイムトラベルものに目がない《《俺たち》》だ。その脅威は共有しているはずだろう」

「たかが犬一匹だろ。人間をどうこうしようって大それたハナシじゃアない」

「そうヨ。悪いコトをするワケじゃないンだから、そこまで気にしなくたってイイじゃないの」

「いい悪いの問題じゃあない」博は、ばさり、兄妹を断じる。「その〝たかが犬一匹〟のために、こいつは過去改変を目論む奴に加担した」


 金の髪が、びくとゆれる。うつろにうつむく。


「人に飼われている犬は人間への影響が大きい。子犬のときに飼いだしたなら、二〇二〇年(げんだい)でもまだ生きてる可能性すらあるような犬は――」

「ちっさかった」さえぎるように、ぽっと、青年はつぶやく。「両手に乗っかるぐらい、すげー、ちっさかった」


 それは、生まれて何日か、一週間か。生を受けてまもない、ふわふわした毛のかたまりを、不思議そうに抱いた思い出。こんなに小さい犬がいるんだと驚いたあの日。少年(こども)が初めて出会った、子犬(こども)


 《《まだ》》生きているかもだなんて。

 考えもしなかった。


 すがりつくように拓海は年長者を見上げる。

 全員が彼を見る。

 博は、同調の圧力に屈することなくあらがう。


「俺は決めてきた。過去(れきし)は変えない。責任を負えない干渉には足を踏み入れない。そのことはよく周知してきたつもりだ」


 提示される断固たる決意。それは血の意、血のにじむ意志のあらわれ。――俺だって好き好んでこんなこと。

 好き好まぬ選択には、相応の抵抗、負荷がかけられる。


「オイ、オレ。オマエはもしもゴンが同じ目にあうとワカってるとして、おんなじように血も涙もないコトを平気でぬかせるってのか?」


 博の言葉に、博の目がいっそうに、陰る。


「どうだ、痛いトコロを突かれたか? そういうこった。ヨソの犬のコトだから、知らぬ存ぜぬを決め込もうとするンだ。自分()に置き換えて考えろヨ。いいトシしてそんな了見とは、我ながら情けな――」

「おまえになにがわかるっ!」


 唐突の怒声に、気圧される。

 なにか、ふれてはならないものを踏み抜いてしまったかのような変貌。博の惑いをいとわず、博は激情に身をゆだねる。


「どれほどの十字架を背負う覚悟を決めてこの計画にのぞんでるか、人の気を知りもしないで」

「ああ、ワカりゃしないさ」壮年博の、半世紀の年月が裏打つ、そこはかとない凄みに、青年博はひるむまいと食ってかかる。「どんな人生を送りゃア、そんな人でなしになりさがるのか知りゃしないがな、コレだけは言える。オマエはオレがいきつく先にいるオレじゃアない。こんな冷血人間にオレはならんっ」


 倍以上の齢の男など、自分であって自分であるものか。


「アタシもゲンメツ」兄の論調に妹も改めて、しかねる賛同を表明。「お兄チャンもトシをとったら、ワリカシおちついたカンジのしっかりしたヒトになるんだ、ってチョット感心してたケド、なんかガッカリ」


 一九九〇年(いま)のお兄チャンのほうがダンゼン、ココロがある、と辛辣だ。ぐさりこたえる波状攻撃。これに加えて姪の向ける、言いかね、あぐねている複雑な目つき。これまでの日々にひびを入れかねないと迷うさまは、実に響く。天然の葵を、そこまでの心境に追いやってしまうなど。


「マッ、どうせ二〇二〇年(みらい)に帰るンだ。止められやしない」


 うっちゃるように勝ち誇る博に、不甲斐のない博は、大人げもない調子で応酬。「無理だな」


「無理?」


 怪訝な顔で返すと、不甲斐と大人げのないほうの博は、せせら笑うかの――甲斐性もないのだと自嘲する向きもあるのだろうか――語調でもってつまびらく。


「はっきりしているだろう。誰がそんな話を信じるというのか」厳然で単純な事実を突きつけてやる、その意志を面前で前面に見せつける。「未来から来ました、未来じゃあこれこれこうなります――突然、そんなことを言う奴がやってきたら人はどういう反応をみせるか、よぉくわかってるよなあ?」


 好例の二名に問う。それは、と兄は言いよどみ、最も(うたぐ)った妹は目をそらした。


「家族、自分自身。それでさえもひとすじ縄ではいかなかった。まして赤の他人だ。誰かみたいに見えない塩をまいて追い返すんじゃあないのか?」


 誰かは「そんなモンはまいちゃアいない」と苦しまぎれの抗弁をした。


「だいたい、考えてもみろ」思考を求めて各員を見まわす。「十五年から二十年も先だぞ。そんな先のことを長期間、忘れずに覚えておけるか? 断言する、非現実的だと」


 人の記憶力に夢をみすぎだ、そう言い切って捨てる最年長に、歳の若い者ほど異を唱えづらかった。実体験のある者に言われてしまうと、反論したところで説得力に欠く。


 場に流れる、やるかたない空気。

 果たして、仲間を論破し、リーダー格の男は悦に入るのか。


 否。

 ひたるのは悪い後味。


 これでは、ただのいけ好かないあまのじゃく。いたずらに逆鱗を逆なでしてまわるやんちゃ坊主のごとき逆張り。憎まれ役は、はばかかられることを言わねばならない。わかってはいても、恨まれるのは身にしみる。せめて、望みなき溝のよどみを除こうと、おのおのを覗き込む。


「過去を変えてはならない。これは未来から来た者には全員があてはまる、絶対のルール」

「過去が変われば、帰るべき場所を失うおそれがある。なぜなら」

「過去へ変えに行く必要がなくなれば、戻ってきた自分と過去に行かなかった自分が並存してしまう」

「過去の変わった世界はどんな影響がおよんでいるか、まったく予測できないんだ」

「過去は変えてはいけない。自分自身のためにも、戻る先の世界のためにも」


 博は、絶対の真理として信じ、これを説く。

 誰かが、しかし、腹の深奥で反駁した。



 ――かまわない。


 ――未来がどうなろうと。

 ――この身の振りかたがどうとなるであろうと。

 ――歴史は修正される。

 ――世界は、ありえなかった可能性に、塗り替わる。

おもしろかったら応援をぜひ。

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