六
『じゅもんがちがいます』
〝おわり〟を実行したのちに表示される無慈悲なメッセージに、青年は叫ぶ。「なんで!」
日のかたむいた部屋で一同はざわつく。これが百二十番目、最後の組みあわせだった。すべてのパターンを確かめた。まさに、彼が言った〝奴隷がぐるぐるまわす棒のやつ〟な徒労であったことになる。
「どこかで入力ミスがあったというオチは?」
「都度都度、複数人で照合してる。考えられない」
すがるような博を、千尋はばさり切り捨てた。組みあわせのパターン表を抜け漏れがないよう、作成したのも彼女だ。プログラマーにとって初歩も初歩であり、そこに手抜かりがあるようでは食べていけない。つまり、ここまでの、五つの分割と再構築のアイデアは誤りだったということだ。
「もしかして、十文字ずつのカタマリじゃアなく、五文字ずつってコタァないよな?」
「まさか。――ちなみにパターン数は?」
ふたりの博の恐る恐るの問いに、職業プログラマーは絶望的な数値を暗算する。「五文字ごとに分割すると、グループはこれまでの五つから十一個になる。十の階乗が三百六十二万八千八百だからその十一倍、だいたい四千万とおり」
無理だ、人力など。
ダメ押しで、それが正解であるとはかぎらないおまけまでつく。完全に見込みが外れた。
気まずい空気が流れる。何時間もかけて百以上を入力した結果、骨折り損のくたびれ儲けでした、では、〇〇年代の二名はもとよりファミゴン世代の二名でも心折れずにはいられない。
「サスガにこんだけ打ったコトもなかったってのにヨ」と平成兄が一服つけようとして舌打ちし、
「右に同じ。完全にグロッキー」と平成妹は舌を出し、
「オレの苦労、無駄だったってことかよー」と、ちょっと逆立ちぐあいがへたっている感じのスーパーヤサイ人に、
「あたしもすごいがんばったのに」いや、おまえは最初の五分間だけだろう。
各人が愚痴をこぼすなか、千尋だけが「たぶんこうなると思ってた」とさして疲弊をみせない。検証作業のたぐいはお手のものか。
〝たぶん〟と言いつつ、終始、確信しているごときの醒めた目だった彼女。わけを聞くと、
「このていどの総当たり攻撃でくずれるような暗号を小半助教授が作るはずがない」
うーん、と伸びをし左肩を叩く。女子と称するには若干の無理が生じつつある所作と年齢はさておくとして、やはり、千尋も同じように考えていたか。ただし、彼女の場合、より強固な確度をもって予見していた。〝このていどの〟とは、なかなかに歯に衣を着せない。千尋らしいといえばらしいのだが、やらかしたそばで率直に言われるとこたえる。
またしても博は、自信を打ち砕かれてしまう。無意味にただ仲間を振りまわしているだけなのではないかと。
しょげかえりそうな気配をめざとく察知した女房役が、世話のやけるリーダーにいれるフォローを講じようとしたときだった。彼の妹によって代替が投げかけられる。
「思ったンだけどサ――どうして《《字がズレてる》》ンだろ?」
テレビの横に設置したノートPCをながめる陽子が、言った。
「字?」ふたりの兄が同時に応じる。
ウン、ホラ見て、と指さす箇所を、両者は覗き込む。
五つのひらがなのかたまり、左下のグループの〝ぢ〟と〝ぷ〟。
言われてみれば、たしかに少しだけあいだがあきすぎているようにも見える。背景のマークが一種の錯覚になっていて、よく注意して見なければ気づかない。
「フォントの関係でたまたまそうなってるだけだろ」
「〝本当〟って、ナニが?」
「〝本当〟じゃなくて〝フォント〟だ」
聞き返す妹に、博は眉をたがえる。PCを使ってるならわかるだろう、と言いかけて気がつく。この当時、フォントの選択肢はない。お仕着せの一種類のみだ。
「なんか、ところどころズレてるのヨネ、コレ」
陽子の示す違和感に、
「そう言われると、なーんか微妙にヘンだな」
「そお?」
「べつに普通じゃね?」
「私も特には」
意見はわれる。博自身もふくめて、平成組と令和組で相違がみられるようだ。
「葵、おまえのタブレットを持ってこい」
なんで?と言いつつ部屋からとってきた端末を伯父に渡す。
「ワッ、コレも画面がキレイ! 〝すまほ〟ってのより大きいンだァ」
「三十年でこんなモンが登場しちまうとはな。タイムマシンもデキるワケだぜ」
騒々しい兄妹が、エッ、手で絵が描けちゃうの!?などといちいちうるさいが、放っておき、暗号画像の上に線を引く。
格子状にひらがなを囲んで、改めて各文字の配置を比較。
左下のかたまりにある〝ぢ〟はたしかに枠の左へ寄っている。枠にかかるほどずれ、わずかながら隣へはみ出している。〝ぢ〟だけフォントの形状的にこうなるのかと思いきや、その右下〝ん〟も同時に左の枠へ少しだけ出ている。同じ例は右下のかたまりの右端〝な〟と〝づ〟にもいえた。また、基本的に文字は枠内の中央に収まっているのだが、いくつか左右にかたよっている字が見受けられる。特に、同じ文字の〝よ〟でも、右上にあるものは中心に配置されているいっぽうで、左下のそれは上がわの〝ぢ〟と同じく左寄り。
なるほど。文字幅が異なるプロポーショナルフォントに慣れている身では気づきにくいが、等幅フォントのみの環境にいる世代には不自然に映ると。
しかし、これがなにを意味するのか。小半助教授が画像を作成した環境によってたまたまこのようになったにすぎず、特段の意味があるようには思えなかった。
解読の攻めかたを立て直そうと博が立ち上がろうとしたときだった。もうひとりの女子中学生もまた妙な、なんとも独特の着眼点を示す。
「ねえ、これさ――《《二種類ある》》よね」
「二種類?」
オウム返す伯父に、葵はタブレット上の文字を指し示す。「色だよ」
「色?」
「図形の赤と青のことか?」
「じゃなくって、それに《《かかってる》》のと、《《かかってない字》》」
よくわからない伯父ふたりに、彼女の説明もなにやらよくわからず、
「ハア? どーゆーイミ?」
「私もちょっとエスパーじゃないから……」
「日本語でおk」
今度は平成・令和、両チームで一致した。
もどかしげに少女は、二箇所の文字を左手で指す。
「ここっ。〝で〟と〝ど〟と〝ん〟。この三つだけ、背景に色がかかってない」
「ええ?」何人かが同じ感嘆詞をあげた。
左上と右上、左下、三箇所のかたまりにふくまれる〝で〟〝ど〟〝ん〟。
たしかに、赤っぽい◯や✕、青っぽい星やアルファベットに重なっていない。
「そんなの、コレやコレだってそうじゃない?」
同じ中学三年生の母親は、中央のかたまり、右上隅の〝い〟や、右下のかたまりの右端、〝な〟と〝づ〟を指さす。
「よく見てよ、ママ。どれも全部、微妙に色にかかってるよ」
「エエ~?」
疑わしげに少女は目を凝らす。
〝い〟の左上。
〝な〟の左端。
〝づ〟の左端。
注意深く観察すると、ごくわずかではあるが部分的に接触している。「ホントだ」
「ほかにあるだろ」おさげをちんまりたらしたほうの博が、妹に代わって指摘する。「その〝い〟の下の〝わ〟や、さっき言った〝ど〟の下の〝ぐ〟とか〝ざ〟とか」
言いながら確認して、アッ、と小さく漏らす。「重なってる。チョットだけ」
類似のものがいくつもあげられたが、葵が言った三文字を除いて、すべてなんらかの色に――濁点や半濁点などごく一部であっても――ふれていた。
「あとね、もひとつ気がついたんだけど」すべてのひらがなの中央、✕印を添えられるように描かれる〝だ〟に、葵は言及する。「これだけ、まんなかのグループのなかで赤色が重なっているんだよね」
五人の十の目が集まる。
「〝じ〟とか〝ろ〟も重なってなくね?」反論した拓海はすぐにひるがえす。「あー、なくねーな」
左下・右下の双方ともに、〝✕〟の下端が届きそうで微小の間隔があいていた。
いずれも、絵描きとしての観察眼が見いだした、些末の差異、と博は評した。
「で、ソレがどうかしたの?」
にべもない母親に、んー、どうって言われても、と娘は二の句に困る。
そう。だからなんだと言われてしまえばそれまでの、たわいのないことがら。陽子の言いおよんだささいな文字のずれとて、特別に意味のあるものでなし。とるにたらない話。
しかし。
博はもはや、席をたとうとはしていなかった。
頭の中で断片が、無意味な切れはしが、うごめいている。かすかな、しかし、はっきりと、かちかち音をたて、はまりゆくピース。
わずかにずれている文字。
色が重ならない、あるいは重なる例外。
《《重ねないため》》……? 他方で、《《重ねるためにずらしてある》》?
〝ど〟……〝で〟……〝ん〟……。
復刻の呪文にふくまれない文字。
✕印の〝だ〟も該当する。
いっぽうで〝ぢ〟と〝づ〟は、呪文にないのに色が。
『〝だ行〟つまり〝だぢづでど〟は入力しない』
『なんで?』
『入力画面には存在しないからだ』
『なんでないの?』
『たぶん〝ぢ〟と〝づ〟が、〝じ〟〝ず〟と同じ発音だから』
「……《《そういうこと》》かよ、くそっ!」
ファミゴンに跳びつく。「貸せっ」
「あーっ、なにすんだよ、博さん!」
「たくみんが福引券、ゲットしたのに」
ゲームに興じはじめたふたりをさしおきリセットボタンを押す。
「〝ぢ〟と〝づ〟は二重トラップだ。もう一度やるぞ」
勢い込む博に、だが、メンバーは一様に響かない。
「カンベンしてくれヨ。全員で入力した回数、百回以上だぜ? エンディングまでいってお釣りがくる」
「モー、復刻の呪文はとうぶん、お腹いっぱい」
「もういいじゃん。実機バージョン、やらしててよ」
「オレ、クッソ打ちすぎて指が腱鞘炎に」
おまえ今、遊んでただろう。
頼みの綱の右腕までも「期待値と、投じる労力、および士気の低下を鑑みるに、あまり賢い選択とは思えない」とつれない返事。
沸きあがる闘志と、あびせられる冷や水で、博は窮する。
鍵が、手の届きそうなところに投げ落とされている。
足もとは断崖絶壁。転落してリーダーとしての威信を失墜し、自身の自信も喪失するか、〝賢い選択〟をとるか――
私は等幅フォント派です。
【12/25の最終話公開まで毎日2話 投稿中】
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