五
「お兄チャン!」陽子は、はす向かい、未来の兄の部屋へ飛び込む。「ドラゴエだヨ!」
藪から棒の妹に、博はノートPCから顔を上げる。
兄妹バレしてしまったので、画面を閉じ隠す必要はなくなり、多少の余裕をもって振り返ることができた。「どうした?」
ラップトップにもかかわらず、《《カラーで》》、デスクトップよりも高解像度の液晶。陽子は目を奪われるが、今はそれどころではない。五秒とかからない部屋の移動へ息せききるように、彼女は説く。
「助教授の暗号、ドラゴエの復刻の呪文かもしれない」
「なんかね、チートスキルの禁呪なんだって」
千尋との立ち話が聞こえていたのだろうか。ラノベ娘はスルーするとして、一瞬、なるほどと一考しかけるも、先日、会った初日の夜にした話を思い出す。
「このあいだ話したように、暗号は五十五文字。復刻の呪文は『I』『II』ともにたりない」
「『II』はゲームを進めるほど長くなるヨネ?」
「ん? ああ」
はやる感情をおさえるかの指摘に、博は戸惑いつつ、おおむねの肯定。正確には、プレイの進行状況ではなく、仲間と所持品の数によって長さは変動する。ゲームを進めていくと仲間が増え、持ちものも多くなるため、結果的に文字数が増加することになる。
「暗号も、《《全部の文字を使うとはかぎらない》》んじゃない?」
妹の見ひらく目に、見ひらかれる。
可変長の呪文。
暗号がもしも復刻の呪文であるとするなら、呪文同様、長さが変化、つまり《《本当の文字数は異なる》》と?
キーを叩きマウスを操る。
表示される暗号文に博は愕然とする。
びらでぞめ ひよじにど
うきしまわ ぎみるぱい けとろざぐ
ぱうだるわ
ぺすふぢぷ がじおろり ねざぬげな
ゆわけよん おへえなづ
〝《《だ行》》〟《《がある》》。
「くそっ!」博は己のうかつさに声をあげた。
『II』の復刻の呪文に〝《《だ行》》〟《《はない》》。
どうして気がつかなかった。
〝だぢづでど〟はダミー。除去すれば五十文字だ。『II』の最大五十二文字に収まる。
そもそも、五十文字超のパスワードを採用しているゲームがほかにあるか?
妹と姪に急ぎ命じる。「至急、全員を集めろ。暗号を解くぞ」
昼食は作戦会議の席となった。
外出している不藁を除いて博以下三名のメンバーに、艾草兄妹を加えた〝対新型コロナウイルス特務部隊〟を招集したところで、お昼ごはんヨ、と博の母・節子が呼びにきた。「マア、みんなで相談ごと?」
梅雨も明けて暑さが増し、涼をとれるメニューが多くなってきた。今日はひやむぎ。皆でつるつるやりながら、午後からの動きを固める。
「――というわけで、『ドラゴエII』の復刻の呪文の疑いが濃厚になってきた」
午前に見いだされた新たな攻略ルートを共有する。博から語られる呪文説を初めて聞く三人は、まちまちのリアクションだった。
「ほらみろ、オレのカンが当たってたじゃアないか!」
「モグさん、これが正解だと決まったわけじゃない」
「よくわかんねーけど、解読できんだ?」
先日の晩、総出の一家も加えて暗号を検討した際に、『II』の復刻の呪文ではないかと言及していた青年博は勝ち誇り、思いのほか淡白な千尋が慎重な姿勢をみせ、自認するとおりにあまり理解していないのは、へー、と麺をすすった。「おばさん、おかわり」
なにもしてないくせに食欲だけは一人前だな、と壮年博は不満げにたれつつ、自身の器も差し出す。「俺もだ、おふくろ」
「だって、朝と夕方、二回もゴローの散歩に行ってると腹減ってさー」
それには博もつきそっているのだが。脱走コンビが連れだって外出するため、目を離すわけにはいかない。あと、どうでもいいが名前はゴンだ、と腹のうちで正す。
前科一犯ペアが非ファミゴン世代ゆえにじゅうぶん響かないのはしかたないにしても、千尋までもそっけないのはおもしろくなかった。彼女のヒントが早くも結実しようかというのに、ずいぶんなおすましぶり。ファミゴンのパスワードまでは追えながら、その先をいかれてしまったのが悔しくて、しかし、それをみせるのはさらに悔しいので、気のないふりを決め込んでいる、そんなところか。
そうみたてると、かわいげがあるぐらいだ。博は心中で、立花千尋をたて、花を持たせる。ここからはおまえの知恵を存分に拝借するぞ。暗号は二段がまえ。数字とアルファベットの羅列は、いかにもプログラマーの出番である。
「飯が終わったらさっそく検証する。ファミゴンは陽子のところか? 俺の――テレビのある平成博の部屋でやるぞ」
食後、この時代の博の部屋にメンバーはつどった。
貸し出されていたゲーム機一式を持ってきた陽子に、〇〇年代生まれは沸く。
「うお、実機きた!」
「ヤバい。エモい」
ファミゴンがそんなにめずらしいのか。兄妹は不思議そうな顔をする。
「暗号は五つのかたまりにわかれている。これを正しい順番で入れれば呪文がとおる算段だ」
中高年博が説明するわきで、中高生がわに近い博がテレビの背面へRF接続する様子に、だいたい中高生なふたりは「昭和のHDMI端子ってつなげるのだるい感じ?」と感想を述べる。そんなものはない。
配線の接続が完了しカセットが差し込まれる。テレビ、本体の電源を投入。その際、一時的に画面に現れた灰色の〝砂嵐〟と音に「えっ、なに?」「バグった?」二名はあわてるが、めんどうなので説明は省く。
オープニングテーマとともに、上下から現れるタイトルロゴが重なり、タイトル画面が表示される。
「ヤバい。チープなのに、この曲、無駄に上がる」
「グラ、ショボいけどテンションがヤベえ」
ほめてるのか、けなしてるのか。
ヤバいヤバいしか言えないのか、と語彙力のヤバさを博はヤバむ。
よけいごとは置いておくとして、問題の、呪文の入力画面。画面下部に六十四文字のひらがなが並び、ここから選択し上部へ入力していく。さて、誰から始める、と問うと、
「はいはい、あたしがやる!」
好奇心旺盛な少女が挙手、名乗りをあげた。
葵はテレビとゲーム機の前にぺたんと座る。コントローラーを手にして「うわ、ちっちゃ」「これがファミゴンなんだ」と感動。アンタ、ゲームやったことないの、操作のしかたわかるの、と怪しむ。
入力は、テレビの隣に置いたPCの画面と見比べるかたちをとった。
ブラウン管と液晶。ひとまわり小さい後者の、高精細な画質とのコントラスト。二十世紀のゲームを操作する二十一世紀の娘。彼女の言葉でいえば、〝エモい〟対比だ。
左上の〝びらでぞめ〟〝うきしまわ〟から、右下〝ねざぬげな〟〝おへえなづ〟に向かって順次、入力していく。
「パソコンと違って十指でやらなくていいから簡単だよね」
両手でコントローラーを持つ姪の言わんとするところは理解し、このキーは偉大な発明なのだ、と博。
そして三文字目。最初のポイントにつまずく。
「で、で、で……あれ? 〝で〟がないよ?」
顔を上げる葵に、やはり話を聞いていなかったというか理解していなかったか、と伯父は嘆息。
「昼飯のときに話したように、暗号の〝だ行〟つまり〝だぢづでど〟は入力しない」
「なんで?」
「見てのとおり、呪文の入力画面には存在しないからだ」
「なんでないの? 〝ぱぴぷぺぽ〟はあるのに」
「たぶん〝ち〟に濁点の〝ぢ〟と、〝つ〟に濁点の〝づ〟が、〝ざ行〟の〝じ〟〝ず〟と同じ発音だからだろう。声に出しながら書き写すと間違えるおそれがある」
「ふーん。よくわかんないけど、そうなんだ」
いや、わかれよ。
「とにかく、入力できない文字はフェイクとして無視する」
「オッケー、わかった」
葵は、入れ間違えて修正をしつつ、ひとつめのかたまり〝うきしまわ〟までを入れる。
「次、〝ぎみるぱい〟ってやつ?」
右隣のかたまりを指して問う彼女に、博は、いや、と否定。
「右上の〝ひよじにど〟の部分にしよう。中央のやつは左下と右下のパートの高さにまでかかっている。二番目じゃなく三番目に入れるような気がする」
「わかった。じゃ、こっちから打つね」
〝だ行〟を一文字ずつ省いて、右上の九文字、中央の十四文字が打ち込まれる。葵は早々に飽きはじめ、これ画面タップして入力できないの、なんのためにゲームに暗号入れるモードがあるの、と不平をこぼす。
「タッチパネルの機能なんて、この時代の一般家庭には存在しない。そして、この画面は暗号を入れるためのものじゃない。暗号じゃなく、答え、パスワードを入れる画面だ」
「パスワード? 『ドラゴエ』でそんなイベント見たことないよ?」
わからないことを口にする娘に、中学生の母親は噛んでふくめる。
「あのネ、『II』までは復刻の呪文でゲームを記録するの。バッテリーバックアップでセーブできるのは『III』になってから」
「そのなんとかってのは知らないけど『I・II』にこんなモードなかったよ」
「ワンツー?」
昭和の『ドラゴエ』ってこんなだるいイベント、クリアしないといけないんだ、とすでにうんざりしている二十一世紀少女は、よもや思いもよらないだろう。これが、ゲームの再開時に毎回必須であるばかりか、中断時にはメモをとる必要があり(それも王様などのところまで行かなくてはならない)、おまけに、書き間違えようものなら前の呪文からやり直しになる悪夢が待ち受けていようなど。
わずかなボタン操作でいつでも即座にセーブできるのは、先人がなめた辛酸の上になりたっているのだ、とは老人の昔話か。
昔々あるところに、で始まりそうなおとぎ話に思いを馳せていると、博自身も考えのおよばなかったつまずきポイントに出くわす。
「あれ? 〝ん〟ってどこ?」
四番目のかたまり〝ゆわけよん〟で発見される、六番目の存在しない文字〝ん〟。〝だ行〟に加え、これもフェイクとして省くことになった。
ようやく、四十九文字の呪文を入れ終わった葵は、はあー、と息をつく。ゆうに五分は要しただろうか。熟達すればBGMが一周するまでのあいだ、一分二十五秒のうちに入れられるのだが、彼女は一生ぶんの入力を果たしたとの万感の思いに浸っている。
「じゃあ、〝おわり〟を押すよ」
小半助教授の暗号はこれをもっていよいよ崩されるのか。
少女は、皆の期待を一身に背負って、Aボタンを押す。
暗号解読の転換点がきたかもしれません。
ええ、そんなもん解けるか!と投げようとした石はしまってください。もしかしたら復活の、もとい〝復刻の呪文〟ではない可能性もありますので。ええ、呪文だった場合、反則レベルの暗号ですね、これ。誰が解けるんだよ、っていう。とりあえず石は当面のところしまっておいてください。
【12/25の最終話公開まで毎日2話 投稿中】
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