三 看護婦とスチュワーデス
「アレがアンタたちの来たミライの世界なのネ」
平成社会と平成時代、両者の一端をそれぞれかいまみた四人の男女は、感想を述べあっていた。
「映画のは死ぬほど昔だよ。あたしが赤ちゃんのころだし」
「つーか、バブルパート、ありえないほどみんな金持ってて引いた件」
「オレは二〇一五年が見てみたかったな。ホバーボードが実現するのか気になる」
二〇二〇年から来たなら知ってるンだろう、と尋ねる自身へ割り入って博は告げる。
「さあ、見るものを見て気が済んだら解散だ。葵と陽子は夏休みの宿題があるだろう。特に葵、おまえはひとあし早く休みに入ってるのにほとんど手つかずだ。陽子にびしびしみてもらえ。それと俺、職場に電話の一本ぐらいいれとけ。クビになるぞ」
やけにはりきる最年長に一同は首をかしげる。
「おじさん、どしちゃったの?」
「ヘンなモノ食べたンじゃないの、ミライのお兄チャン」
「電話だ? メンドくさい。バイトなんざ腐るほどある」
「博さん、オレのやることは?」
「なにもするな」己を指さし問う若者に即答。「おまえはとにかく問題を起こすな。以上」
きびきび廊下を去っていくリーダーを、少女と青年たちはぽかんと見上げ見送った。
「ええ〜、本当に宿題やるの?」
問題集とノートをたずさえ部屋にやってきた母親に、葵は、携帯端末に向けていた顔を声とともにあげた。
驚いた様子の娘に、陽子は「驚きたいのはコッチのほうヨ」あっけにとられながら、彼女の対面、折りたたみの座卓につく。
「アンタ、コッチに来てからどころか、来る前のミライでも、とっくに夏休みが始まってるのにちっともやってないそうじゃない」
「や、やってるよ?」
「じゃア、見せてごらんなさいヨ」
「置いてきた、令和に」
「ウソおっしゃい。ちゃんと荷物に入れたか、ミライのアタシとお兄チャンとで確認した、って」
「もおー、おじさんったら、よけいなことを」
「サッ、見せてみなさい。やってるンでしょ?」
「マっ、ママの! ママのを見せてよ。人のこと言えるほどやってるのか」
「アタシの夏休みは今日からだけど?」
「あ、えと……、そうっ、ママ、こう言ってた。終業式から帰ったら、その日のうちにやってた、って。あっ、そっかぁ〜、宿題やってなかったんだぁ。偉そうなこと言ってて、嘘つい――」
「やってるケド?」
「え゙っ?」
駒が瓢箪から出てきた。
ひらいてみせるページの空欄を埋める文字に、葵はひっくり返る。「うそっ、ほんとにやってるの!?」
カマをかけたら、かまいたちをかまされた。
なおも葵は反撃しようとくいさがる。
「で、でも、ちゃんとやらないといけないんじゃないかなあ。こんなふうに、ぐちゃぐちゃって書いたの提出したら怒れ――」
「ハア? 筆記体ですケド、ソレ」
「ヒッキタイ? なにそれ、最強の最終形態かなにか?」
「アンタはワケのわかンないコトばっかりネ。ブロック体しか読めないなんて情けない」
「いやいや、意味不明だし。じゃあ、ここ、なんて書いてるか読んでみてよ」
「ディス イズ アン アッポー。イット ワズ ボート バイ ナンシー」
「読めるんだこれ!」
またもひっくり返る娘に「……そりゃ、自分で書いたンだからアタリマエでしょ」母親は白い目。
「発音、ゴミなのに、なんで謎のつづりはちゃんと読めるの」
「ゴミってどーゆー言いぐさヨっ。赤点の常連っぽいアンタに言われたくないンですケドっ」
「じゃあ読んだげる。なんて読むんだっけ、ここ」
「だから、ディス イズ アン アッポー、ヨ」
「はいはい、それね。アッポーってリンゴ? だったら、えーと、This is an apple」
「エッ、ウッソォー!? まるでガイジンみたいっ。じゃあ、これは? マイ ネーム イズ ヨーコ モグサ」
「My name is Youko Mogusa、ってか、I'm Mogusa Youko?」
「完ペキな発音じゃないっ」
「そんな言うほど? ママのがヤバすぎなだけだよ」
「うるさいわネ! アタシ、英語の成績だって悪くないのにどうゆうコト?」
「ちゃんとALTの言うとおりに発音してないんじゃないの?」
「エーエルティー?」
「ネイティブの先生。ママの学校にはいないの?」
「ガイジンの? 来るケド? 毎月」
「えっ、毎月……? それって何回?」
「一回」
「少なっ」
「エッ、ミライじゃもっと来るの? 二回? それとも三回ぐらい?」
「いや、普通に毎回いるし。いないときのほうがめずらしいし」
「エエーッ、ウッソォ! なんてゼータク……。信じらンない」
「だからゴミ発音なんだよ、ママ」
「ゴミゴミ言わないでヨっ。だいたい、なんで英語だけキチンと勉強してるの」
「そんなやってない」ばつの悪そうに葵は笑う。「ときどき海外に行くから、英語で話すのに使えそうなのはちょっとだけちゃんとやってる」
「全部マジメにやりなさいヨ……。アンタ、しっかりやったらデキるようになるンじゃないの?」
「え、むり。ミリも頭に入んない」笑顔で即否定。「『転生したらチートスキルを555個もらったレベル500の悪役令嬢だったけど、最強すぎて魔王を倒した勢いでうっかり世界を滅ぼしてしまいました ~オンラインでも無双します!~』をやるのに忙しいし」
「なんだかわかンないケド、その長ったらしいのを覚えられるならイケるでしょ」
「勉強のは異世界に転生もしないし最強でもないから無理ゲー」
ゲーム内で収集したチートスキルの百二十五個はそらんじられる少女は、絶対ムリ、とほがらかだ。
「……よくワカンナイケド、将来のアタシが思いやられる」ハァ〜と陽子は今から憂う。「てゆーか、ミライのウチは、そんなよく海外旅行に出かられるほどお金持ちなワケ?」
んー、と葵は思案。
「パパが海外へ仕事に行っててあんま帰ってこられないから、あたしたちが会いに行ったり。あと、おじさんが行くときについてったり」
「海外出張? ヘエ〜、アタシのダンナ様、ビジネス戦士してるンだ」
「戦士てか、ジョブはドクター? お医者さんだよ」
「お医者さんなンだ。ネエネエ、アタシは? ミライのアタシはなんになってるの?」
「ママ? 看護師だけど」
「カンゴシ? 看護婦みたいなモノ?」
「それは知らないけど、病院で仕事してるよ」
「じゃア、看護婦じゃない。エ〜、アタシ、看護婦サンになっちゃうンだァ。スチュワーデスがユメなのにナア」
「なんて?」
「スチュワーデス。飛行機でお客サンのお世話をするヒト。スッチー、知らないの?」
「CAのこと?」
「シーエー?」
「客室乗務員」
「きゃきゅしゅしゅ……なにって?」
「だから客室乗務員だって」
「ミライじゃそんな小難しい呼びかたするの? なんだか舌かみそう」
「シュチュなんとかのほうが言いにくいよ」
「ところでサ」陽子はつと、声づかいを改める。「お、思いきって聞いちゃうンだけど……ア、アタシのミライのダンナ様って……、名前、なんていうの……?」
とたんに目をそらし、うつむきかげんに手をもじもじあわせる過去の母親に「え、パパの名前ってこと?」葵はきょとんと問い返す。
「ウン……………」ほんのり頬を染める平成の母親は、伏せがちの目できゅっと唇を噛む。
父親の名前がどうかしたのか。葵は不思議そうに答える。「大輔だけど?」
はっと、目が見ひらかれる。
「ウソっ! ホントに!?」
「うん。嘘言う意味、わかんないし」
なんら気どることのない、さらとの返事に、彼女の反応は、ぼん、と爆ぜるようであった。
「チョッ、ウソっ……、ヤダ、ホントに? ホントのホント? エッ、チョット、ヤダッ、ど、どうしよ……そんな……、コマっちゃうヨォ〜」
ヤダァ、モォ〜、と母親はおおいに体をくねらせる。困るなら言わないほうがよかっただろうか。葵は、動物園の珍獣でも見物するかの目で、くねる生きものをながめた。
「遠野陽子、かァ……」
「なにそれ」
うっとり、遠くを見つめる母親に、生暖かく笑む。ともかく、まったくの手つかずにある宿題をとがめられずに済みそうな様子でほっとする。
舞いあがる同い年の母親は、ごきげんで一曲、口ずさむ。
「Rearrange in the order of sun」
「!?」
「star, moon, water and life」
突然のなめらかな歌いっぷりに、娘は、なにごとかと驚愕する。
「ちょっ、ふつーに歌えてる?? え、なんで? ゴミ発音なのに」
「だからゴミって言わないでヨ!」
「ママ、ほんとは英語めっちゃうまいんじゃないの? ちょっと英語で自己紹介してみてよ」
「ハロー マイネーム イズ ヨーコ モグサ」
「もう一回歌ってみてよ」
「Replace ru with n and remove the da-row」
「こんにちは、ってあいさつしてみてよ」
「ハウ ドゥー ユー ドゥー?」
「歌ってみてよ」
「the second prince is tau」
「なんでよっ、おかしいでしょっ」
「エヘヘ。コレ、遠野クンが大好きな曲なンだ。もう、テープが伸びるぐらい繰り返し聞いて歌ってるンだモン」
「ママ、歌で発音、練習したほうがいいんじゃない?」
「アンタも、あのナンタラカンタラで勉強したらどう?」
お互いに指さしあう母娘であった。
「ママ、こっちもぐちゃぐちゃって書くやつなんだね」
母親のノートをめくり葵が言った。
「グチャグチャじゃなくて筆記体だってば」
陽子は問題集からちらと顔を上げ、宿題やりなさいヨ、と命じる。筆記体が読めないのに発音はやたらとうまいのが、不可解やら不愉快やら。未来の中学生がよくわからないのか、この娘が単に変わっているのか。
自身の宿題を進めていると、おかしな娘はまたおかしなことを言った。
「なにこの変な文章」
「だからそれは筆記――」
言いかけて、止まる。
ノートの終わりのほう、後ろがわから書きはじめられたものが目に入る。
それは筆記体でもなければ英語でもない。ひらがなで記されてはいたが、日本語でもなかった。
三文字・三文字・四文字で構成される、数行ずつのかたまり。無秩序な文字の羅列は意味をなさない。これが五ページほどを埋めていた。
「暗号?」
「ハア? 〝復刻の呪文〟でしょ」
『|Dragón El GuerreroII』の、と当然のように応じる母親に、
「なんの呪文って? 最強の禁呪的なやつ?」
娘は例によって、意味のわからない、特有のボキャブラリーでもって聞き返す。
「全然、最強じゃないってば。最長の文字数じゃないから序盤か中盤ぐらいなンじゃない?」
こんなとこに書いてたんだ、すっかり忘れてた、とゲームの進行状況を書きとめたパスワードをさらと流す。
が、なにか引っかかる。
つい先ほど、ほんの五秒ぐらい前、重大なひとことを耳にしたような。
「アンタ、今、なんて言った?」
「なにが?」
きょとんとする娘を真剣にただす。
「今、言ったことっ」
「え? 最強の禁呪?」
「それじゃない。その前っ」
「ぐちゃぐちゃの字?」
「戻りすぎっ」
グチャグチャじゃないし、と訂正。
ブロック体娘は、押し問答のすえ、正解を口にする。
「――暗号?」
【12/25の最終話公開まで毎日2話 投稿中】
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