二 解けはじめた暗号
令和と平成、それぞれの初頭組への平成中期の勉強会、これを動画に任せて部屋を出ようとすると、
「スマホ禁止令、解いたんだ?」
障子わきに立花千尋があった。
今日もどこぞへ出かけている不藁剛は別として、頓狂な悲鳴に駆けつけたわけでもなさげ。もはや狼少年の――少女か――あつかいだ。
「目撃されてしまったからな。なしくずし的に」未来じゃ車はみんなこんなに丸っこいのか、などと意見を口にしあう四人を見下ろし、肩をすくめる。
「《《あの子たち》》に厳守させるほど徹底してたのに?」
あきれ顔でプログラマーは眉を上げた。言ってくれるなと弱ったそぶりを示す。一貫性にかけると突きあげられればそれまでだが、今は、これがベストでないにせよベターと思えた。己の直感に従った結果なのだと。その直感とやらが、ここまでのぐだぐだの数々を引き起こしてきたのではと突っ込まれれば、いよいよ口にすべきことを失うのだが。
幸いにして、千尋はそこまでのいじわるさはみせず不問にふしてくれる。平成初頭に来てから丸くなったものだ。時代の風が思わぬ副次効果をもたらしたか。
「例の三重隆だが」千尋の気が変わって追及を受けぬようにと話題をすり替える。「俺はやっぱり暗号の重要な鍵じゃないかとみている」
しかつめらしい顔をつくって博は私見を述べる。
昨夜、小半久美子のアパートより帰宅した千尋から、三重隆なる青年の情報があった。極度の人嫌いとの評が若干ゆらいでいる助教授。彼女の人物像にさらなる修正を加える第三者が浮上。知人・友人を飛び越え、いきなりの婚約者に一同は一驚する。
先日、西口の横浜ステーションビルで邂逅を果たした小半助教授は、前評判どおりの気難し屋。あつかいには細心の注意を要したいっぽう、とりいってしまえば開襟の余地もなくはない。なるほど、おおむね噂どおり、数学のみを伴侶とする孤高の才人。ほかに関心を持つのは『ナゴヤ』ぐらいと得心したはずだった。よもや男がいるとは考えも、まして婚約しているなど、逆立ちし天地を返そうとも思いよる哲学はなかった。
天涯孤独の女史にこのうえなく親密な人物が存在したと、博は色めいた。その氏名は暗号を解く鍵、もしかしたら正解そのものかもしれない、そうでないとしても当人から重大なヒントを引き出せる可能性が、と。収穫を喜ぶリーダーに、持ち帰った当人は温度差をもってその熱気をラジエート。
小半助教授はそのようなロマンチックな感性は持ちあわせておらず、二度にわたる直接の会話で確信、三重隆も、たちふるまいからみるに助教授とは正反対のタイプで、暗号解読から最も遠くはあっても資することはない人種であると。
ぬか喜びかと消沈した博だったが、納得しかねるのか改めて提起する。
「小半助教授に接近したこのタイミングで現れた。三重なる男との遭遇は単なる偶然でも無意味でもないんじゃないか? 暗号解読の決め手となる必然性を感じずにはいられない」
リーダーの熱弁に「モグさん、焼きがまわっちゃった?」薄青い服装のよく似あうラジエーターは、冷ややかだ。
「合理的・論理的根拠のない希望的観測、現象のすべてに意味があると思い込む心理的バイアス。リアリストのモグさんらしくない」
まっこうからの全否定。たしかに、言われてみれば、運命の出会いだのと称するがごとき、理にかなわぬ妄想レベル。それこそ平成の風に吹かれてロマンチストの側面が出すぎてしまったか、もとより、自分で思っているほど現実主義者ではないか。迷走にすぎる自身に博はへこむ。
「俺はこの計画を完遂できるのか自分でもわからん。小半助教授との最大のパイプを築いているおまえの肩に望みをかけるしかできないのかもしれない」
弱音を吐くリーダーに、少し言いすぎたかと千尋はフォロー。
「うまくいくかどうかの確信なんて誰も持っていない。私もやれるだけのことはやるつもりだけど、私ひとりで情報を引き出せるほど助教授は甘くない。モグさんもふくめてみんなの力が必要」
はは、と最年長の男は自嘲気味に笑う。
「こうも励まされてちゃあ世話ないな。すまん、こんな甲斐性なしで」
「もうっ」うなだれる博を千尋はなじる。「モグさんはそういうところよ。自信の起伏が大きすぎる」
パソコンのブラウン管まで平べったくなっちゃうの、とにぎやかな青年少女を見やって彼女は説く。
「みんなモグさんを頼りにしてる。対コロナのプロジェクトは艾草博から始まって、中心に進行し続けている。私じゃ代わりはきかない。誰も代わりにはなれない」
だからみんなを引っ張って。
発破をかけられて、なんともいえない面差しで五十路男は応じる。「ああ、そうだな。たぶん、そうなんだろう」
目をあわせずに打たれるあいづちは力ない。無駄に水を差してしまったかと千尋はほぞを噛む。図太い神経の持ちぬしのようでいて、案外、繊細なところがあるのだ。狼になるくせに、ちょっとしたことで、産まれたての子羊みたいに立てなくなる。これだから男というものは。
「ファミゴン」
逃げ隠れるように自室の六畳間へ向かう足が、千尋のひとことで止まる。
振り向く男を見すえ、彼女は組む腕をとき右がわを差し出す。
「暗号のひらがな、ファミゴンのパスワードでまちがいないと思う」
「なに……?」
目を見張る博へ、彼女は自説をつまびらかにする。
「文字の並びにいくらかの法則性がみられることはすでに知られているとおりだけど、それがなんなのかは判然としていない。私もさまざまのアプローチで独自に分析してみた」
「通常もちいられている現代のひらがなすべて、清音・濁音・半濁音を数字に置き換えると、一から七十一の数で表現できる。暗号文のひらがなは五十五文字であることから当然、すべての文字は使われておらず、実際に使用されている字は四十二種類と、七十一種類の六割」
「知ってのとおり、ファミゴンの時代では容量の制約が厳しく、しばしば、使える文字が絞り込まれている。これにならって、暗号にふくまれていない文字のうち一定数を排した文字コード表を試作してみたところ、きわめて説明のつく法則を持ったものがいくつかできた」
「もちろん、仮説にあわせて作為的に最適化した表だし、それが実際にソフトがわでもちいられているとはかぎらない。それでも、すべての文字をふくむ表ではじゅうぶんな説明を与えられず、意図的に一部の文字を欠いた表では機能する、このことは、ゲームのパスワード説を支える材料となる」
「そして、小半助教授の部屋には《《ファミゴンがあった》》」
淡々と示される推論に、しなびた闘志がふつふつと戻ってくる。有望視していなかったルートへ、にわかに生じた可能性。頑丈な扉が《《びくと》》した手ごたえ。
「どうして、そんな重要な話を黙っていた」
ファミゴンを買い与えられた子供のように発奮する壮年に、彼女は首を振る。
「何十万人もの知恵、これの上をいけると思い込むほど私は自信家じゃない」
でも、とプログラマーは髪とともに言葉をひるがえす。
「モグさんをたきつけたからには私も自信を示さないと、という気持ちになった。昨日、助教授がファミゴンを持っているのを確認したとき、可能性があるんじゃあ、なんて期待を寄せた。所有していることじたいは、時代を考えれば特別めずらしくもないのに」
私もロマンチストな面があるのかもしれない、と論理の徒は自笑めかし口端を上げた。
「謙遜するんじゃない。おまえは、俺たちの自慢のスーパー《《ハッカー》》だ」
にっ、と笑まれて、がらにもなく千尋はゆれ動く。「モグさん……」
そういうところだ、とロマンチストなロジカリストは、心中、密やかにものもうす。
ナイーブな鈍感者は露と知らず、折れるのと同じ早さでたちなおりをみせる。
「そうなると、助教授が持っているソフトが決定的な鍵となるな……。千尋、本体にはなんのカセットが差さっていた?」
「えっ……、あ、ええと……なかった、カセットは。本体だけ」
「そうか、惜しいな……。よし、今度行くときは、所有しているタイトルを全部確認するんだ。ゲームをやろうと持ちかけてチェックしろ。パスワード方式のゲームだけでいい。もし覚えるのが難しそうだったら、隙をみてスマホで撮るんだ」
「え、ええ……、わかった……、やってみる」
「こいつはおもしろいことになってきたぞ」
うれしげに虚空をにらむリーダーの横へ、三点リーダーとニュートラルで柔和な微笑でもって、彼女は寄り添う。
【12/25の最終話公開まで毎日2話 投稿中】
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