表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
148/158

ひさかたの 光のどけき 春の〝日〟に しづ心なく 花の散るらむ

 よく晴れた、気持ちのいい日だった。

 五月の下旬、保土ケ谷区狩場町。

 艾草(もぐさ)(ひろし)はブッカのブーケをぶら下げ、そよ風に吹かれていた。

 顔をなぜる初夏の風は暖かく、優しげ。髪を、幼子の頭をなでつける手つきのような。しばし、立ちつくす。


 月曜の真昼。人影はほとんどない。ちょうどひと月前、アンザックデーには、近場は混みあっていたのだろう。ひるがえって、こちらは人混み知らず。寒暑のない、いい季節を選んだものだ。


 妹の陽子(ようこ)はいなかった。新感染症の対応に追われ、日々、仕事の激化する看護師は体があかない。その娘だけが、代理もかねるかのように随伴する。休校中の彼女は、伯父同様、時間はいくらでもあった。


「そこも丘谷(おかたに)にあるんだよね?」


 (あおい)が見上げる。背の順では小学生以来、前から五番以内をたもつ小柄。小動物の愛嬌で、メンバー間でもマスコットの位置づけだ。


「行ったことないから楽しみ」


 安気な笑みに、遊びじゃないんだ、と言いかけて、やめた。そこまで口やかましく言うようなことでも料地でもない。くれぐれも口を慎んでくれよと釘を刺すにとどめる。


「わかってるって」


 大丈夫、大丈夫。姪のこの安請けあいほどあてにならないものはない。今から頭を痛くする博は、襟もとをひらいたシャツ、ポケットから一本取り出し、火をつける。くゆらす煙が風で流れ、葵の鼻先をくすぐる。


「いい天気だね」


 楽しげに空へ深呼吸。ほのかに目を細める姪っ子に、ああ、と天をあおぐ。問うべき先はそちらがわか、それともこちらがわか。問うべきは、なにか。


 そこにいるのだろう。

 天上の空、楽園を(から)にしている世界のあるじを内心で呼ばる。

 神と称してはばからない正体不明の存在、aDios(アディオス)の返事はない。用のないときにばかり無駄に話しかけてくるくせに。


 今は答えがほしかった。どちらへ問えばいいのか。なにを聞けばいいのか。鬼の絶好の棲家とみて悪魔はささやいたのか。よこしまな神でもなんでもいい。答えてくれと。


 よこしまな神は横浜を留守にしているのか、啓示はない。

 今さら雲隠れするたまでもあるまい。どれだ、どの雲にひそんで、新居をあてがった鬼になにごとかをささやきでもしている。

 いくつか、大小、五つばかりの雲をねめつけて吐く。天啓はない。


 今日は答えが得られると思った。いや、答えでも得るのでもない。魂と胆に背く魂胆への踏んぎりを、あるいはあきらめをつけようと。今日という日は、キリシタンの心境、セイボの絵を踏むには、またとない日だと。

 いっそ土砂降りであってくれたなら。罪も(けが)れもいくばくか、鬼の居間(いるま)洗濯(あら)われたのだろうか。うららかな日差しなど浴びる資格は持ちあわせていない。


「なに、おじさん?」


 ぎゅっと、後ろから抱きしめる。(やわ)い小さな体。いいや、立ったまま抱けるほどに大きくなった。遊んでもらえると思ってはしゃいだり、ふざけているものとみて茶化したりの歳のころを過ぎ、


「どうかしたの?」


 肩を包み込む腕にそっと手を置き、少女は聞く。まるで、だだっ子をあやすような。――これじゃあ、歳があべこべだ。

 今はかまうものか。博は、湧き出す黒髪の源泉、頭頂に頬をあてがう。そこはほの温かく、洗髪剤の柔らかな匂いがよしよしと壮年の男をなだめる。

 大丈夫。大丈夫だから。あたしがついてる。

 無言のうちにそう元気づけてくれているようで、ほんの少しだけ、心が、なぐさんだ。


 ひとしきりすがって解放した姪は、にっこりほほえむ。

 もう、大丈夫? そう確かめるような、満面の笑顔。ああ、大丈夫だ。言葉なき問いかけに、返答。


「このあと、どうするの?」


 少女は、駅前に遊びにいこうよ、と伯父の手を引く。いつもの葵だ。

 博も、いつもの己に帰る。


「金は出してやらんぞ。自宅学習をさぼるばかりするからなにも買ってやるな、連れてくなと陽子に言われてる」

「ママ、ひっど。おじさんにも言ってるの?」


 いいじゃん、ないしょでGOAL(ゴァル)に行こ、『転生したら(略)しまいました』のコラボやってて毎月二十五日は限定チートスキルがもらえるんだって、と騒ぐ。なんだ、限定チートスキルって。


「なら、ちゃんと勉強しろ」

「するからあ」

「しないだろ。してから言え」


 するってば、したためしがない、なんでもいいから二十五個買ってよー、多いわ。

 ちょこまかまわる姪に、にべのない返事で引き返す。


 せめて。

 葵がせめてもの罪滅ぼしになれば。

 その一点、ただのひとつだけでも、彼女をともないゆく理由たりえる。どのみち、自身には用意できなかったもの。根なし草の性分だ。しかたがない。


 風がそよぐ。

 博の背後、チューリップは陽の光のもと、静かに、白く、横たわる。

【12/25の最終話公開まで毎日2話 投稿中】


おもしろかったら応援をぜひ。

ブックマークでにやにや、ポイントで小躍り、感想で狂喜乱舞、レビューで失神して喜びます!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ