十九 思い出はぽろぽろと
「ちょっ……運転手つき!?」
黒塗りの高級車があった。
後部ドア付近にそれぞれ立つ黒服。お待たせいたしました、と壮年の運転手たちはうやうやしい辞儀。駅までの交通手段じゃないだろう。
タクシーどころかこんなもので家まで送らせる気だったのかと正気を疑うが、三重隆本人は空港へ直行するのだとか。この時代がおかしいのか、金持ち全般が頭おかしいのか。理解に苦しむ。
それは置いておくとして、どうしても気になっていたことを尋ねる。
「小半さんとはどういった出会いを?」
運転手のあけたドアから乗り込もうとする彼は振り返る。
ウーン、と右の拳を顎にあて、考えるそぶり。
「ひとめボレ」
にこ、とほほえんでみせる。嘘だ。
心の声が聞こえたかのように、彼は軽く両手を上げおどける。「ウ・ソ」
「ホントは母さんに似てるから――なんて」
マザコンか。
おどけたポーズの彼にジト目。
下げた手の右がわを車のドアにかけ、三重隆はアパートをあおぐ。
「幼なじみなんだ」
久美子の部屋をながめて笑う。
「カノジョのお母サンがウチにお手伝いサンで来ててネ。ボクが生まれるよりも前からいたヒトだから、そうとう昔から勤めてたヨ」
サスガにもう引退しちゃってるケドネ、と懐かしむように遠い目をする。
「お母サンはちょくちょく、クミコを連れてきてネ。ボクたち、歳は五つ違いで、コドモの時分はチョット離れてたケド、よくいっしょに遊んだモノだヨ」
小半久美子の幼少時代。想像できない。幼いころから数学の才能を開花させていたのだろうか。
「クミコが中学を出るかどうかってころだったっけ。カノジョのコトを異性としてみるようになったのは」
ふと、メンバーの子供組の二名が浮かぶ。あの子たちも同じような歳だ、と妙な感触をおぼえる。
「決めたらソク実行がモットーだからネ。猛アタックをかけた」
幼なじみにいいよられるリケジョ。どのような反応だったのだろう。やはりイメージが浮かびにくい。
隆は読みとったように顛末を話す。
「そりゃツレないモノだったヨ。聞く耳、日曜日。何度、撃沈したかワカりゃしない」
ポケットに両手を入れ、車体にもたれて苦笑する。高級車に寄りかかるとか、恐れおおくてまねできない。生まれついての富裕層。使用人の娘にふられ続けてプライドが傷つかなかったのか。この容姿・家柄・自信家の性格なら、女など選び放題だろうに。
「ボクもいろんなコとアソんだケドサ」
やっぱり遊んでたのかい。
「そうだナア、五十人ばかしだったカナ、だいぶ少なめに見積もって」
五十人て。少なめて。普通に激しく引くわ。
「でもサ、誰もクミコの代わりになんてならなかった。どんなにキレイなコも、五カ国語がペラペラのコも、ベッドがトビきりステキなコも」
そういう話は聞きたくないのだが。
「五年越しのラブコールにもカノジョは振り向いてくれない。シビレをきらしたボクは決心した。カノジョはハタチになった、ボクたちはもうオトナだ、とネ」
いや、まさか。
「プリンスの最上階をとって、カラダを奪った」
最低だ。
キリッ、とどこかを見すえる目に、いやいやいや、なに犯罪を堂々、語っているのだと。今日いちばんのドン引きだ。相手にされなかったら腕ずくとか倫理観どうなっているんだ。
「初めてカノジョはボクに涙をみせた」
隆は、ふっと遠くを見つめる。いや、誰でも泣くわ。なんだ、この美談みたいな語り口は。アタマ湧いてるのか。
「キズモノにしたセキニンはキチンととる、そうボクは誓ったヨ」
出頭か? ちゃんと出頭したということか? 何人も食ってきたほかの女にもそれ言ったのか? てか傷ものとか言うな。
「こうしてボクらは結ばれたのサ」
憎たらしいほどの笑顔で青年は振り返る。美談、だからなぜ美談になっているのか。
どうも自首したわけでも通報されたわけでもなさそうな話しぶり。小半久美子がこれで交際する気になった理由がさっぱりわからない。おかしいのか。このふたりが特別おかしいのか。それとも昭和じゃよくある話なのか。出会いについて尋ねただけなのに、知りたくもなかったダーティーな話を聞かされ、もらい事故にあった気分だ。
もうさっさと帰ってしまいたかったが、念のため確認しておく。
「あなたは彼女を、小半久美子を、本気でたいせつにしていると、この認識でまちがいは?」
射るような眼光でもって問う。どんなごまかしも許さない、決然たる問い。
ひと呼吸、間をおき、三重隆は断言する。「ない」
真摯な目だった。
さんざん遊びまくっただの乱暴狼藉で《《こと》》におよんだだのを〝武勇伝〟に語る男らしからぬ、誠実な顔つき。そのまなこには、一点の曇りも見いだせない。本当に、憎たらしいぐらいに。
「わかった」
ぷい、とおもてを背ける。この顔はなんだか、あてられる。真夏の真昼、かんかん照りにそそぐ日射しのようで。強烈だ。
あてがわれた車へ向かう彼女に、三重隆がうれしそうに言う。「ヨカった、クミコに友達ができて」
足が、止まる。
「チカサンみたいないいヒトとめぐり会って、ホント、ヨカったヨ、ウン」
ヨカった。しみじみと彼は繰り返した。
立花千尋は、立ちすくむ。
背中へ投げかけられた言葉が、刃物となって突き刺さり、心臓に達した。そんな気がした。
私がなにをしにこの時代へ来たか。
それを知っても同じことが言えるのか。
顔を伏せ、足早に車へゆき体を滑り込ませる。ほとんど逃げ出す心境だった。
閉めようと手を伸ばしたドアが、丁重に閉じられる。運転手は一礼し、車の右がわへまわる。
今夜はありがとう、おやすみ!そう声がける青年の声は、すぐれた遮音性にはばまれて遠い。彼女は胸のなかで、より小さな、蚊の鳴くような声で返答する。
ごめん。ごめんなさい。本当に。
「お出しいたします」
おちついた物腰で初老の黒服が告げる。驚くほどなめらかに、無音で、高級車は滑りだす。
そうか、世のなかにはこんな無縁の世界があるのか。これを当然のことと享受する人たちがいる。私には縁のない、遠い遠い世界。乗る資格はない。
流れていく窓明かりをぼんやり眺める。いくつかの角を曲がった路地で千尋はもうしでた。
「ここで止めてください」
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