十一 痩躯の走狗、量多し猟師
都内のこぢんまりとした雑居ビル。
築二十五年はサバを読みすぎと勘ぐらざるをえない、うらぶれたたたずまい。これを所有する男が、日々、右に左に億単位の金を動かし、たいそう羽振りがいいのだと聞かされても、にわかには信じられないだろう。しけた応接室と、しみったれたゴールデンゴッドを吹かす中年オーナーの姿を見れば、なおのこと。
「フゥーム……」
萬谷勝利は、分厚い唇の隙間から煙とため息を吐き出した。左手を膝に、右手を灰皿の上に、脚の低いテーブルを覗き込む。
卓上には一枚のコピー用紙と封筒、新聞。対面には見知りの青年、千田哲也が居心地悪そうに座る。A4の紙と茶封筒は、この貧相な男が郵送してきたものだ。どこかぎこちない明朝体、十行ほどの箇条書きは、あちこちが欠けた字体で印刷されている。インクリボンをケチって繰り返し使った跡だ。萬谷もよくやるがこれはそうとうだ。五回、いや、十回は使い込まないとこうはならないはず。貧乏人め。吝嗇家の自分もここまではやらない、とひと目見たとき思った。が、先日来、気になっていたことが、すぐによそごとを追い払う。
7/16 16:26 ルソン島大地震
紙にある何行かのうちのひとつだ。
横に置かれた今日の朝刊、一面の見出しにはこうある。
「比ルソン島で地震」「M7・7、震度6の揺れか」「建物の倒壊多数」
日付は今日、七月十七日。
昨日、ほかの郵便物とともに千田からの手紙を開封したのは昼過ぎ。夕方のニュースで報じられるより前のこと。封筒の消印は七月十四日。三日前だ。
くたびれたソファーがよく似あう、さえない風貌の若者に――二十代なかばぐらいのはずだが、ひとまわりは老け込んでいた――視線を上げると、ハハハと愛想笑い。いかにも風采のあがらない、痩躯の男。なぜ、こんな若造が――いや、誰だろうと――《《予言の的中などできる》》。
先週の土曜日。突然、千田哲也から電話があった。
連絡をとらなくなって何年もたっており、忘れかけていた名前だ。そういえば自分の猿まねをして株で失敗した奴がいたなと萬谷は思い出す。
千田は、知らせたいことがある、会って話したいと言う。今度はネズミ講にでもハマったか。
相手をする気はなかったが、興味深い情報がある、絶対に損はさせない、とばかに自信ありげでくいさがる。マイコンマニアのネクラ族がどういう風の吹きまわしだ。
多少、気になった萬谷は、余興で聞いてやるかと時間をとった。好奇心はときに思わぬ収穫をもたらす。おおかた、マルチだ宗教だの、とるにたりない話を鼻で笑うことになるだろうが。
そうして週が明けた七月十六日、月曜日。千田による〝予言書〟は届き、夕方には正しさが証明される。
〝予言書〟には地震のほか、県内で起きる事故や火事などがあった。とっている新聞の地方欄だけでなく、ほかの全国紙や地方紙も買い確認。全部、当たっていた。
翌日の夜の予定をすべてキャンセルし、萬谷は、〝予知能力者〟の来訪を待ちかまえた。
やぼったい男を見やる。
ぼさついた髪といい、やせこけているわりに全体的に脂ぎった身なり。所在なさげにもぞもぞ手指を動かし、顔色をうかがっている。超常現象など微塵も信じていないが、仮にそのようなものがこの世に存在したとしても、この男が操れることはないだろう。マイコンとナニをいじくるしか能のない、典型的なノロマ人間。かようの辛辣な看破もいとわない相手が、分不相応の〝予言〟を手にしている。萬谷の関心はそこにあった。
たまった吸いがらの中で揉み消し、次のゴッドに火をつける。深々と息をたらして、品のない指輪と安タバコをかかげる。
「わからンことが五つある」
人さし指と中指を閉じて突き出した右の手のひらを口もとへやり、肺をめいっぱいニコチンで満たす。二酸化炭素と一酸化炭素を吐いて萬谷は列挙する。
「まず、なぜこんなクソの役にもたたん話を持ってきたのか」
エッ、と青年のこけた頬がこわばる。最初の疑問がそれか、と。というか〝役にたたない〟との一蹴。
かまわず中年男は続ける。
「次に、バックに誰がついているのか」さらに引きつる顔に、図星とみて萬谷はつけ加える。「オマエさんの器量でこんなノストラダムスのまねごとができるわけがない。だいたい、未来が見えるならなぜ株で大損した」
当然の指摘に、赤面する若者の顔は紙のような白さだった。株券が白紙化したときもきっとこんな情けない吠えづらをかいたのだろう、と萬谷は鼻白んだ。
いたたまれず逃げ帰ろうとする男に聞く。「借金はいくらだ?」
やぶから棒の質問に千田は、五百万ですけど、と困惑気味に答える。
ずんどうの体を起こすと、萬谷は事務机に向かった。後ろのキャビネットにしつらえた金庫。ダイヤルをまわしてなにかを取り出し席に戻る。無造作につかんでいるのは札束。あぜんとする千田をよそに、テーブル上の紙類をわきへ押しのけ、くわえタバコで一枚一枚、紙幣を並べていく。
ずらり重ねられた数十枚の福沢諭吉。
「五十万ある。もっと〝オモシロイ〟話が聞きたい」
ごくり、と千田は喉を鳴らす。
「かっ、関西と東北地方でも大きい地震が起こります、震度7の。あと、都内でオーゴ真悟教が毒ガスを使った事件を起こします。それと、中近東の武装組織がジャンボ機を乗っとってニューヨークのビルに――」
「いつだ?」とつとつとまくしたてる男を制して、ただす。「それはいつ起きる話だ?」
「エエット、毒ガス事件と関西の地震が九五年、ニューヨークのハイジャックが二〇〇一年、東北の地震がたしか二〇一一年です」
話にならない。
そんな五年も十年も先のこと、四半世紀ほども先の地震を知ってなんになる。遠い将来の「ビックリするようなスゴイゆれだったネ!」で終わるツマラン話に、誰が五十万も出すのか。そこまで脳がたりないわけではあるまい。考えろ。
沸騰したケトルのように両穴から煙を吹き出す男に、千田はうろたえる。自身では使いみちのないネタを売りつけようとやってきたが、結局、金にはならないということか。落胆する若者に、肥えた男は、似つかわしい太っ腹をみせる。「やる」
しょげかえる顔を、エッ、と上げる。聞きまちがいではなかろうかと惑う彼に、繰り返す。
「やると言ったんだ。持っていけ」
なお信じかねためらうも、はじかれたように札をかき集め始める。いじけた野良犬が一転、腹をすかせた狼のよう。一丁前にギラつきおって。萬谷は鷹揚に新しいタバコに火をつけ、吹かす。
五十枚の万札を手にして色めきだつ若者に、老獪の男は、さざめくためのまじないをささやく。
「ソイツは手付金だ。来世紀の地震だとかのくだらん話じゃなく、すぐカネになりそうなネタを仕入れてこい」
「で、でも、宝くじだとか競馬なんかの情報は全然……」
「そんな小金なんぞどうでもいい」
だいたい、当選番号がわかったところでどうやって探すのか。コイツは本当にたりないのか、とまどろっこしげに灰を落とす。
「一等、五千万の庶民の夢のような次元じゃアない。近く急成長する会社、急騰・暴落する為替、不動産融資総量規制のような大蔵省や通産省のデカい通達、そういった、最低でも億のカネが動く特ダネだ」
「億……」
「そういうヤツならオマエさんらの夢ぐらいポーンとかなえてやろう」
つまり、五千万円。
手のなかにある五十人の諭吉、これの百倍。完済できる借金の十倍ほどの金が手もとに残る。狂ってしまった人生を軌道修正できる――
「ボクに任せてくださいっ」
やせっぽちの狼が、転機の狼煙を上げる。
はてさて、餌づけた空腹の野良犬は、獲物を拾いあげてくる猟犬になるか。
猟銃をかまえるハンターを気どって「バン」指先の火をたむけた。
インクリボンは五回は使いまわしてからが本番でしたがなにか?
【12/25の最終話公開まで毎日2話 投稿中】
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