九 わけのわからないもの
ふてくされて、解けもしない暗号に向きあっていると、背後から呼びかけられた。「モグさん」
「なんだ?」
よその犬が縄張りに入ってきた目つきで、ノートPCから顔を上げる。
廊下にたたずむスーパーロングヘアのスーパーハッカーは、吠えたて噛みつく男にかまわず、畳へ踏み入る。
鼻を鳴らして博は座卓のPCに向きなおる。
「俺は忙しいんだ。どこぞの《《ハカー》》と違って高度なスキルがないからな」
暗号、解けちゃいましたぁ、ワタシまたナニかやっちゃいましたかぁ?wとはいかん、と吐き捨てる。
「私なんて一般人だから」千尋は、年甲斐もなくへそを曲げるへそ曲がりへ律儀に答える。「本物のウィザードに比べたら、私もモグさんと同列の常人」
だいたい、解けてたらとうの昔に教えてる、と冷静な対応だ。どっちが歳上だかわかりゃしない。しゃくにさわる女だ。
「なにかあった?」博の後方に膝を折り、腰をすえる。「帰ってきてから変よ」
あたかも母親のような口ぶり。なじるふうではなく、ゆるくさとすような。
ああそうだ。昔、放課後、ささいなことでクラスのヤンキーとボコりあって(というか、わりとボコられて)、呼び出された母親といっしょに帰ったときが、ちょうどそんな感じだった。
――博、いたずらはしょうがないにしても、乱暴はよくないわヨ――
あれから何十年たった?
「――いい歳して、いまだにガキのまんまだ」
自嘲めいたもの言いでまた吐き出す。いつまでたっても俺はガキだ。そうなげくリーダーに、千尋は髪を振る。「べつに、今のままでいいんじゃないかな」
しょぼくれた目が、液晶を透かして遠くを見やる。
「たまに荒ぶって周りを振りまわす、それぐらいがモグさんらしい」
いつも乾燥を決め込んでいるくせに、がらでもない感想を投げつけてくる。まったく、しゃくにさわる。持病にでもさせる気か。
「今みたいだと気にかかる。葵たちも、らしくない、って言ってるし、モグさんのお母さんは、なにか悩んでるんじゃ、って」
よけいなことを嗅ぎまわりやがって。メス犬になぞらえようとして、あまりにあれな言いぐさか、と女狐あたりに訂正。それが適切なのかどうか。なら鷹でも鳶でもいい。鵜の目、鷹の目だ。
「学校に行って戻ってくるあいだ、なにがあった?」
踏み込む朋輩に、博の目は、昏くこわばる。――果たして、それで楽になれるのか?
「俺は――」
なにごとかを口にしようとする。さまざまが脳裏を行き交う。言いたいこと、言うべきこと。成形しようとすれば異形をかたちづくり、クリーチャーをていする。
――ルートを選択ばせないでくれ――
「――ひとりなんだ」
ようやく、吐いて出す。
相棒への意味深長はわけがわかりにくく、解するには情報不足か。千尋は続きを待っている。追加の弁解をこねねばならないのか。なにが最小限にして知己への最適解なのだろう。
「俺ひとりで始めたことだ」力なく、己に問い、答える。「初めからひとりだ。そう考えれば楽だ。そう考えないからおかしなことになる」
同侶と自分へのアンサー。最小限でも最適解でもないのだろうが、今はこれがせいぜいだ。即席の解答を回答した。もう解放してくれ。
「モグさんのお母さんが言ってた」蜘蛛を思わせる長く細い手でからめとるように、彼女は言う。「ひとりでなんでもできるつもりでいる、支えてやってほしい、って」
おふくろめ、いらぬ世話を。いったい何歳になったと思ってる。
心中で悪態をつくも、歳相応のおちつきを得ていると胸張れるのか。己が歯がゆい。
「おまえは俺の母親か嫁にでもなったつもりか」
言ったそばから悔いる不用意な発言。ああもう、こういうところだろう。
いっそのこと、普段のようにキツめに、五倍返しでたたみ込んでほしかった。
が。
「そんな言いかた」
しないでよ。
ぼそと千尋はつぶやく。
膝の上で手をむすんでいるとわかる、いじらしい口ぶり。
沈黙。
食卓のときのほうが五万倍マシな、ひどく気まずい空気が漂う。
そういうとこだぞ。
自身を棚に上げ、博は腹のうちでなじる。
ずけずけやり返すのとは別種のいじわるさ。ああ、わかっている。本人にそんなつもりなどないことぐらい。転んだ拍子に入った会心の一撃的な。無自覚の痛恨撃。だからこそ、よく効く。
「ごめん」千尋の、もうしわけなさげな声。「言いたくないことを聞いたり、わかったふうなことを言ったり」
やめろ。やめてくれ。俺のHPはもうゼロだ。見えないナイフで刺した背中に塩を塗り込むのは、勘弁してくれ。
どうせなら物理の鈍器で後頭部を思いきりやってもらいたかった。残念な脳みそも、昭和の家電のように直るかもしれない。
背の向こうのロングヘアが腰を上げる。本当にぶっ叩いてくれないか淡い期待をいだくが、もちろんそんなことは起こるはずもなし。
「メール、そろそろ小半助教授の家に行けないか探りを入れてみたらどうかなと思ってる」六畳間からいとまを告げる足音。「今日は気が乗らないようなら私がやっておくから」
その役どころまで預けてしまうと、なんのためにいるのかわからない。しかし、今は面と向かって話すのがためらわれるのも事実。先ほどの居間でのこともある。メンバーとも顔をあわせづらい。特に陽子。このていたらくでこの家のなかで一番の歳上だというのだから不甲斐ない。
「暗号だけど」部屋の出がけに、千尋は置きみやげを残していく。「一般には否定されている、ゲームのパスワード説、私は悪くないとみている」
漫然と眺めていたモニター上、暗号文を、博は凝視する。
「一見、ランダムに見える文字列も、文字を符号化してビット列で表現すると、一定の法則性に従っているようにもみえる」「ゲームソフトを暗号器にもちいて生成した可能性。小半助教授に実際、接触してみて、いかにもやりそうな方法だと感じた」「この時代、手近にあった生成器――」
たとえば、ファミゴンとか。
はっと博は振り返る。
スーパーハッカーは、障子の向こうへ消えていた。
【12/25の最終話公開まで毎日2話 投稿中】
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