三 三十年後の防衛〝省〟
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行きつけ、いつものバー。
五十嵐皐月はボトルキープのウイスキーをちびちびやっていた。隣にあるのは、ここ最近、飲む相手としてなじみになってきた巨漢、不藁豊。
仕事帰りの六本木。今夜も現れた大男を晩酌のともに飲む。この元自衛官がカウンターで肩を並べるのは五回目ぐらいだろうか。もっとかもしれない。日々の訓練から一線をひいているとはいえ現役たる五十嵐、幹部自衛官の立つ瀬を完全に奪う、隆々の筋骨。これがルポライターで食っているというのだから、面目もあったものではない。
「舞台設定の肉づけが過剰になってしまった感は否めませんが、組みたててみると存外しっくりきたものでして」
今日も今日とて、酒飲みとの見立てにそぐわぬ右党のペースで、ちろりちろり、水割りをなめる。つまみは、甘党でないことを示すように塩ピーナツ。これをやるためにおまけで酒を頼んでいるのだと言わんばかりによく進む。風変わりは飲むスタイルだけでない。〝監修〟を乞うて持ち寄ったすじだても奇抜だ。
雑誌に寄稿する連載記事、無名の小さな孤島に外国勢力が上陸し陸自との交戦が勃発する、との想定もじゅうぶん想像力たくましいが、加えていく肉づけはその頑強な肉づきさながらに過剰気味。突如、時代を三十年後、二十一世紀に設定すると言いだし、防衛庁が防衛〝省〟に移行するなど、さまざまの背景を作り込んでゆく。
三十年先の未来では、コンピューターやネットワークが劇的に進歩しており、手のひら大の超小型コンピューターを誰もが所持。これは無線通信機能をも備えていて、張りめぐらされた世界規模のネットワークをいつでもどこでも、誰でも利用できるのだという。そこには録画したビデオを送ることもでき、誰かが映像を送ると世界じゅうの人々が見られるのだと。
五十嵐は、ビデオテープをどこに郵送し、誰がダビングして皆に配るのか、誰でも世界じゅうにといってもソ連など東側社会には送れないだろうし料金もきわめて高額になるのではないか――そう指摘するも、不藁の思い描く未来像は、どうも根本からイメージが異なるらしい。
あまりにも豊かな想像力のもとに語られる緻密な世界観は、実に興味深いやらあきれるやら。さりとて、この近未来、企画の趣旨をあまりに逸脱しているといわざるをえない。無人島の事件とどのように関連するのだとただすと、ここにきて不藁はさらなる飛躍をみせた。
「前段階として、時空を超えます」
さすがに五十嵐も渋い顔になる。度がすぎると。
社会の変貌はまだ現実的な範疇にあるだろう。やたらこまかな舞台設計も妙にリアリティーに富んでいる。まだどうにか許容範囲におさまる。しかし、タイムトラベルまで言いだすと、ミリタリーよりもSFのカラーが主張しすぎではないか。難色を示すように大きくグラスをかたむける幹部自衛官。だがしかし、元自衛官はナッツを口に運び、とんと意に介さない。
「二〇二〇年社会の情報と機器を、一九九〇年に持ち込みます」
つまり、最初のころ話題に出した作品、〝海自〟がミッドウェイ海戦のどまんなかへ飛ぶとの物語、もしくは『戦国陸自』、それらのアイデアを拝借しようというのか。しかし、不藁は、自衛隊組織は主軸にすえず、ひとりの自衛官にスポットをあてるのだと言う。
「大正島での事案、これの陣頭に立った〝フジワラ3佐〟の視点で、企画を進めようかと」
彼によると、構想として、まず外国の武装勢力が大正島を占拠し、二十一世紀に新設された特殊部隊〝特殊作戦群〟が直接対峙しこれを排除。戦闘に従事した〝フジワラ3佐〟なる隊員が、二十世紀へタイムスリップしやってくる、と。
「だが、時間旅行の技術はどうする? さすがに三十年で可能になるのは無理があるだろう」
「そこは重要ではありません」不藁は首を振り、水割りをひとなめ。「異世界の神様が気まぐれで飛ばしたとでもしておけばいい」
ここまでの精緻な作り込みに対して、ずいぶんとおざなりかつ妙な理由づけだ。釈然としない様子の五十嵐に彼はつけ加える。
「例の作品も、嵐と雷でタイムスリップ。イージス艦がミッドウェイのただなかにのぞみます」
ご都合主義なんてそんなもんです、と涼しげにひとくち飲る。
「君のアイデアに勝るとも劣らないすじ書きだが、そいつはなんというタイトルだ?」
前々から気になっていた、と五十嵐はグラスを差し向ける。偉丈夫は、肉食獣を想起させるいかめしい体つき、顔つきには不似あいの茶目っ気でもって答える。「今はまだ秘密です」
浮かぶ氷をゆらし澄んだ音を奏でる。その表情からも研いだ目つきからも、うかがえるものはとぼしい。人をみさだめる能力に長じねば務まらない1等陸佐、これを試すかの謎めきぶり。
いいだろう、おもしろい。隠しだての洗いざらい、酒を飲ませともに吐かせてくれよう。人のひとりも酔いつぶさずしてなにが体育会系たるか。
五十嵐はほろ酔いまなこで、とびきり強い酒を飲ませる算段をめぐらせるのだった。