二 スマホ脳と黒電話
湯あがりの娘が部屋へ戻ろうとしたときだった。
廊下の先、玄関手前、笠をかぶる電球の落とす明かりのもとに立つ母親、陽子の姿があった。台座の上、腰の高さほどの電話機を前に、なにやらひとりもじもじしている。緑の黒髪をタオルで乾かすパジャマ娘が声がける。「そんなとこでなにしてんの、ママ」
「誰かサンのせいで電話が途中だったの」プリンな娘に、彼女は迷惑げに応じる。「かけなおしたら向こうもおフロ。ヤんなっちゃう」
「ふーん。LINE送っとけばいいんじゃない?」
「アンタねえっ」まるで悪びれることなく彼女一流の意見を述べられて、陽子はご機嫌ななめ。「〝線〟を送るとかイミがワカンナイんだけど?」
「ママこそ意味不明だし」
屈託なく一笑にふす少女に、少女はふくれっつらをとおり越してあきれ顔だ。
「アンタの相手をしてたらコッチまでアタマ、プッツンしちゃいそう。イイやっ、もっかい、かけてみよ」
「あっ、これの使いかた、あたしわかるよ」
「モォ、ジャマしないでヨ。電話のかけかたぐらい幼稚園児でも知ってるでしょ」
陽子はめんどくさそうにあしらい、ダイヤルをまわす。蝿のように追い払われても、タオルを首にかけた娘はかまわずまとわりつく。
「ちょっと待って待ってっ。なんでなにも見ずに操作できるの? どこにも番号、表示してないのに。この端末って、アドレス帳とか全然ついてない機種だよね?」
「ハア? ナニ、ワケのワカンナイコト言ってるの。電話番号知らずにどーやってかけンのヨ」
「相手の番号、記憶してるの?? あたし、自分のも覚えてないよ?」
「アノネエ。アンタは自分家にもかけられないワケ?」
「え、かけられるけど? いちおう、登録してるし」
「登録? 家の電話番号を? どこへ?」
「スマホ。てか、基本、家にかけることってなくない? 普通はLINEするでしょ」
「だから、その〝ライン〟ってなんなの? 線がどうかし――アッ、夜分またスミマセン。クラスメイトの艾草です」地声から一転。よそゆきの声色で猫かぶる。「遠野クンは今――アッ、ハイ、お願いします」
「トオノくんて誰? 友達? なんでほかの人がスマホに出てるの?」
両手で首のタオルを引きちょろちょろかまってもらおうとする娘に「ジャマしないでってばっ」受話器を押さえひそひそ声で非難。同齢とは思えない、五分の一ぐらいの精神年齢でもって少女は食いつく。
「え、もしかしてママの彼氏? つきあってるの? 同級生? ちょっ、写真見たい! スマホ見せて見せてっ」
「ナっ、ナニ、ヘンなコトばっか言ってるのっ。アタシと遠野クンはそーゆーカンケイじゃあ――アッ、遠野クン!」
たいへんにわかりやすい動揺は少女の好奇心をおおいに刺激したが、そこまでだった。相手がたが電話口に出てからは完全にシャットアウト。
「親戚のコ。イキナリ、大声で叫ぶもんだから見にいってネ」「あたし、親戚てかママの子供だよ? だって、謎お風呂、意味がわからなかったし」
「で、ダイジョーブだったの? ホント、クルマってアブナイヨネ」「自動ブレーキが効かなかった的な話?」
「ウン、今日の交換日記、もう書いたヨ? フフッ、ヒミツっ」「コウカンニッキって? 日記? 交換するの? なにと?」
なしのつぶて。
相手にしてもきりがないと判断した陽子は、徹底無視の策に打って出た。
「このコード、なんでぐるぐるになってるの?」「どしてママ、これに指入れてくるくるするの? 最強になれるの?」「てか、そもそもなんで家電? スマホ使わないの?」「ていうか、わざわざ電話? LINEとかでよくない?」「ねえ、ママぁー。聞いてる?」
遊んでもらいたい幼児が大人の気を引くがごとく粘る葵であったが、だいじなだいじな電話に夢中の母親には通用せず。ママのスマホ、勝手に見ちゃおっかなあー、などと挑発してみるも、まったく反応なし。二〇二〇年ならば、そのようなことを口にするとあまり無事ではすまないのだが。
「もういいよ。『転生したらチートスキル(中略)世界を滅ぼしてしまいました』のカスタマイズでもしよっと」
敗北しすごすご引き下がる少女を、勝利宣言のような明るいカタカナが送る。
「エ〜ッ、ウッソォー、ソレ、ホントォ? ヤダァ〜、モォ〜」
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