一 お風呂《テコいれ》回
悲鳴があがった。
聞き慣れた声に艾草博はややうんざりしつつも、念のため急行する。
「今回はだめ」
廊下の角を曲がったところで、ひと足早く駆けつけた立花千尋に制止される。続いて現れた陽子とともに彼女はガラス戸を叩く。「葵、あけるよ?」
ああ、今回は出る幕はなさそうだ、と彼は鼻で息をつく。
「ちょっ、待って!」
浴室からの声で、案の定、男手は無用であることが確定。部屋へと撤収する。
「今度はなんの騒ぎだ?」
平成版博が、同い年の二葉拓海を連れだってやってくる。
「なにかはわからないが、俺たちは用なしだ」
どうせまたGでも出たんだろう、とふたりのあいだを割り、令和版は床板をきしませひきあげた。
いっぽう、風呂場。
脱衣室に、バスタオルを巻いた半裸の少女があった。同性とはいえ千尋と陽子に若干、身を引きながら、彼女は訴える。
「お風呂っ! 沸いてないじゃない!」
「ハア?」同齢の母親は怪訝な顔で娘に返す。湯加減を確認したのはほかでもない、葵本人だった。「アンタが沸いたって言ったから、アタシ、ガスを弱火にしたのヨ」
「お湯が変なんだって! あったかいのに冷たいの!」
あけ放たれているもう一枚のガラス戸の向こう、レトロなタイル張りのなかに横たわる浴槽を指す。張られた湯はほんのり湯気をたてている。千尋は、ありのまま起こったことを伝える女子中学生に、脳内でアテレコ。
――お湯が沸いたと思ったら冷たかった。
なにを言ってるのかわからないと思うけど、自動湯はりだとか24時間風呂だとかそんなチャチなものじゃない。もっと恐ろしいものの片鱗を味わ
バカなことをやっていると、陽子がとたとた浴室に入る。
「手を入れてみてよっ。上のほうはちゃんとしてるけど、下はなぜか冷た」
「コレ」葵の主張をさえぎり、隅に立ててあった一メートルほど、プラスチックの棒を掲げる。「湯かき棒」
「床希望? 日本語でおk」
意味をわかりかねている娘の、意味のわかりかねる反応を無視して、彼女は、先端が四角形に広がった棒を湯船に突っ込む。
「ママ、なにやってんの?」
数回、〝湯かき棒〟を湯の中で動かし、疑問符を浮かべる将来の娘をくいくいと呼ぶ。
「なに?」
「手、入れてみて」
不可解な面持ちの少女へ、少女は指示。言われるまま手先を差し入れた彼女は「あれっ、ぬるい?」
肘まで突っ込んで、葵は「下のほうもおんなじ!」と驚嘆。わきの陽子は嘆息する。
「なんでなんで? さっき、上がお湯で下が水とか意味不明なことになってたのに」
「アンタ、理科の時間にキチンと起きてるの? 温度の高いモノは軽くて低いモノは重い。こんなのジョーシキでしょ」
「え、五ミリも言ってることわかんない」
「ハアっ?」
アンタ湯かき棒も使えないし完ペキにクルクルパーなの?いや意味わかんないし、との母娘のやりとりに、千尋は複雑な表情で立ちつくす。ごめん陽子さん。CF釜は、私がぎりぎり知ってるのが奇跡なレベルの、完全に過去の遺物。あと、あなたの子は理科で五十点以上とったことがない。というか、ほかの教科もだけど。
「あとがつかえているし、とりあえず入らせたほうが」
残念な会話を聞いているのが忍びない彼女は、バスタオル姿の残念な子の入浴をうながす。
「こんなぬるいの入って風邪ひかない?」
「アタシが強火にしてくるから、アンタは湯加減みてなさい」
電話中だったのに人騒がせな、とぶつくさぼやき陽子は裏手へまわりにゆく。千尋は、自分が育てたわけでもないのになんだかもうしわけない気持ちになりつつ、そろって退散。この二十一世紀脳に、滞在中、二十世紀世界をどこまで理解させられるのか。前者寄りの自身には荷が重すぎるチャレンジだなと、アラサー女子はひとり思案するのであった。
CF釜という名称は、今回調べて初めて知りました。
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