二 蒼空と颯とのあいだには
蒼空が友達を殴った。
五日休ませたのちの一週間ぶりの登校。その当日の午後。両親は学校から呼び出しを受けた。
つい先日、訪れた場所を、よもやこのようなかたちで再訪することになろうとは。
職員室のそばにある手狭の応接室に息子は座っていた。担任と向かいあうソファーに身を預ける仏頂面は複雑で、真一文字に結ばれていた。過日とは別の意味で頭を下げる夫妻は、うながされて長男を挟み座る。担任の教員によると事情はこうだった。
給食後の昼休みのできごとだったという。校庭で友達数人とサッカーボールを蹴りあい遊んでいた蒼空は、途中、催してへ抜けた。このとき、いちばん仲のいい颯という男の子もついていく。いわゆる連れションだ。その様子を見ていたほかの子たちは皆、特段、変わった様子はなかったと答えた。
ことが起きたのはトイレから出たあと。校庭までの校舎の角でのことだった。
蒼空が颯を殴りつけた。加減をすることなく思いきり。
それも一発や二発の話ではなく、何度となく。本人いわく「何回かなんてわからない」。
始めはケンカの様相で颯もやり返したが、ほとんど蒼空の一方的な殴打に終始した。
異常に気づいた生徒が教員に知らせ、駆けつけるまでのあいだ、蒼空は友達を――彼らは互いを親友と称していた――執拗に、殴り続けた。
保健室に連れていかれた颯は、だいじをとって早退。迎えに来た母親に連れられて病院へ向かったという。
どうして暴力をふるったのか。尋ねられても蒼空は答えようとしなかった。
なにか悪口を言われたのか。からかわれるようなことがあったのか。担任は努めて責める言葉づかいにならないよう問うたが、蒼空はかたくなに黙りこくった。
現場にいあわせた子やクラスの子供たちに話を聞いても、分別のよくつく蒼空が、まるで別人のように激する原因はみえてこない。もういっぽうの当事者たる颯もまた、ひどく暗い目つきでうつむき、ふたりのあいだでなにがあったか、ろくに話そうとはしなかった。
担任はただ、どんなことがあっても友達に手をあげていい理由にはならない、そういさめるしかなかった。
不藁蒼空はさとい子だ。言われずともよくわかっていることだろう。ケンカの仲裁に入ることはあっても、みずからがいさかいを起こしたとの話は聞かれない。そんな子が我を忘れ、いちばんの親友に手ひどい乱暴をはたらくにいたったのか。じゅうぶんに気持ちを読み解き寄りそうこともできず、起こったことがことゆえに保護者への連絡をしないわけにはいかず、両親は子供を下校させ当面はやはり自宅待機とするとし重ね重ね詫びて、親子は校外に立ち去る。
校門で三人の背中を見送る担任教諭は思う。校長なら――今日は出張で校内にはなかった――あるいはあの子の心の中にあるものをくみあげることができたのだろうか。
けして追いつくことなどかなわぬはるか遠い目標が、今、物理的にも離れた場所にいることが残念で、自身の無力さが悔しくて、ならなかった。
*
家路でなにも言わなかった。
不藁も、智子も、蒼空も。家族の誰も口をひらかなかった。押し黙ったまま、ただ歩いた。葬式から帰るようだった。
帰宅後、両親は、今はまだ時期が早すぎたとして、しばらくは学校を休ませるむねを改めて息子に伝えた。
それ以上のことをなにも言わず、夕食の仕込みを始め、やりかけになっていた洗濯ものをたたみだす。折りたたまれたタオルのように積みあがる違和感。職業がら感情を出さないすべを身につけている父親はお面のように、好対照に表情豊かな母親も今は不器用に、表情を隠す。感受性の強い長男は、たまらず父母へ問う。「――《《オレを見捨てるの》》?」
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