表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
121/126

一     投稿と登校のあいだに

 四月の下旬。

 月初に発生した、外国勢力による大正島上陸事件、その話題が早くも冷めやろうとするころ。突如、動画による怪文書が出まわった。

 戦闘を撮影したものと称する映像では、日の出間近の島で迷彩服をまとった者たちが互いに銃撃しあい、出動にあたった〝不藁(ふわら)(つよし)少佐〟の肉声が収められていた。

 センセーショナルな〝流出〟映像――ほどなくしてフェイク動画と判明する――の出現で、終息し始めた事件は火盛をとりもどす。

 炎上はネット上にとどまらず、防衛省を筆頭とする政府にもおよび、音声の出どころとされる関係先(FPS)もとばっちりを受けた。だが、最も手ひどく火の粉をかぶったのは、ほかでもない不藁剛本人――ではなく、小学五年生になる息子、不藁蒼空(そら)だった。


 あの動画が公開された翌日、不藁夫妻は蒼空を休ませた。内容が内容だけに、クラスじゅうどころか全校規模で好奇の目にさらされる。登下校時にもさまざまのリスクが考えられるほか、学校がわにも迷惑がかかる。不満げながらも事情に理解を示し、一日はすなおに従った蒼空だが、次の日には、思うところが強く湧きあがるようになる。


「オレもお父さんも、なにも悪いことなんかしてない」


 不藁も妻も、胸が波打った。

 大正島への不藁の関与について、夫婦は息子に話していない。妻の智子(ともこ)は情報的に、不藁本人は立場的に、それぞれ制約があり、話すことができない。しかし、話していない理由はそこにあらず、《《蒼空が聞いてこない》》ことにあった。

 全国レベルを超えて世界じゅうの耳目を父親が集める事態にあって、好奇心旺盛の歳ごろでありながら、あえてふれようとしない。そう、利発で自制心と正義感が強い、歳不相応に早熟な、できた子なんだと。不藁は親馬鹿をはばからず、日ごろからそうであるように息子を評した。

 だが、彼は我が子を過大に、そして過小に評価していたことを、思いしる。



 *



 動画が一週間とたたずフェイクと気づかれ始めるころ。

 蒼空の限界は早々にやってきた。


 家でじっとしていられる子ではなく、まして自分だけがとなるとなおさらで、なにより、この状況に逃げ隠れしているかたちががまんならなかった。

 一家全員が人前に出られないことを父親はやったのだと思われたくない。どうしても父と母が出るに出られないなら、子供の自分が家族を代表する。子供は大人より守られる。こういうときにこそ使う特権だと。

 両親は息子の弁に、今は子供だからと手加減をしてもらえる状況にはないとさとすも、蒼空は頑固にして聡明だった。ならば登校したい気持ちをいちばんの理由にするとの訴えにでる。子供である武器を父母にも使うむねを堂々と表明。これならむげに拒否はできないでしょ、との暗意を明示しくいさがった。自分たちが高学年の時分にここまでのたちふるまいができただろうか。不藁も智子も、歳は四半分の我が子の熱意にほだされ、折れるほかなかった。


 用意は周到にして、半日でおこなわれた。

 電話で学校がわへ事情を伝え、夫妻は、昼休みの短い時間をぬうかたちで隠密裡に訪校。担任へ嘆願する場には校長が同席した。学級担任の彼女が、今日の帰りの会でクラスに周知をすると申し出ると、学校長の彼女はそれでは不十分であると指摘。一年生も校内にいる五時間目の一部を臨時の全校集会にあて、すべての児童へ協力を呼びかけることをその場で決定した。いわく「そのために校長はいる」。その即断即決は不藁をして感嘆せしめ、涙ぐむ妻とともに彼は深々、頭を下げた。



 昼休みに流れる校内放送。全学年、全クラスが、担任に引率されて教室から体育館に移動する。児童らは、いったいなんだろうと口々に話しあい、蒼空を欠いたクラスは彼に関することではないかと噂した。

 登壇する校長。皆さんにだいじなお話とお願いがあります、と彼女はきりだす。

 聞いている人も多いことと思うが、春休みに起きた大きなニュースについての動画がインターネットに投稿されたこと。その動画には、ある人の名前が出てきて、事件に関係しているかのように書かれていること。それが本当のことなのかどうかは、校長先生にも誰にもわからないこと。投稿された動画によって、この五日間、ひとりの子が登校できなくなっていること。その子は学校と友達が大好きで、かよえなくなっていることをとても悲しんでいること。それらの事情を淡々と語り聞かせる。


 何人かの子供たちは、普段と同じように、そこここでひそひそとおしゃべりをしていた。くだんの大正島や児童のことであったり、無関係なユーチューバーの話題であったり。

 演台を離れステージ左手から降りる校長を見て、生徒たち、そして教員も話は終わったものととらえ、各担任は誘導にとりかかろうとした。彼女、校長は、無言でしずしず突き進む。体育座りの子供たちの()をぬって、体育館、《《全校児童の中央へ》》。

 なにごとかと子供たちはざわつき、教師らは困惑した。

 校長はぐるり一望したのち、全児童へ、凛とした面持ちでもって告げる。「――全員、起立!」


 あっけに、とられる。


 マイク越しの音声に負けずおとらずよくとおる、澄みわたった一声――それは子供たちのあいだで膾炙(かいしゃ)し、しばらくのあいだ流行語となる――柔和・温厚で全校に知られる彼女からは、およそ想像のつかない、厳粛な響きをたたえたかけ声。五百余名の生徒はぽかんと彼女を見上げ、教師も目をしばたたかせ固まった。

 戸惑いつつも、学級担任らはクラスの子供たちに立つよううながす。

 全周が起立したのを見定めて、校長は、四方八方へ体を向け、粛々と語りかけてゆく。


「一年生の皆さんはまだ知らないことではありますが、二年生以上のお兄さん、お姉さんは、新型コロナウイルスの流行で、学校生活が大きく変わったことを感じていると思います」

 「学校にじゅうぶん出てこられない、友達と今までのように思いきり遊べない。そういったことを毎日、思っているはずです」

 「新型コロナが社会や学校の生活を変えたように、ひとつの動画が、ひとりの生徒の暮らしを変えました」

 「コロナで制限される皆さんと同じように、あるいはそれ以上に、その子はクラスのみんなと会えず、ひとりぼっちで家にいることを強いられています」

 「その子が悲しい思いをしているのと同じく、校長先生も悲しんでいます」


 淡々と語る学校長を囲んで、もはや、おしゃべりをする子はなかった。ユーチューバーのネタをまねている子もない。低学年も中学年も高学年も、男の子も女の子も、皆、神妙にたたずみ耳をかたむけていた。


「その子が安心して登校できるようにしてあげたい。そのためには、今ここにいる五百二十四人、全員の力が必要です」

 「校長先生からのお願いです。動画のことについて尋ねるのはやめてあげてください」

 「SNSで噂を流したり拡散することもやめてください」

 「聞かれたくないこと、知られたくないこと。興味本位におおぜいから聞かれたり知られたりするのは、想像以上にたいへんで、とてもつらくて苦しいことです」

 「自分がされて嫌なことはほかの人にもしない。校長先生がいつも皆さんにお話ししていることを思い出してください」

 「忘れないでほしいのです。〝Even not one for all still all for one〟」


 帰国子女であり英語教師として長年、教壇に立った彼女は、いつものように流暢な言葉で締めくくる。

 ――たとえひとりはみんなのためでなくとも、それでもなお、みんなはひとりのために。

 彼女は静やかに、体育館をあとにした。


 翌日、不藁蒼空は五日ぶりに登校することになる。

 蒼空もクラスも、万全を期しての再会と再開になった。

 はずだった。

「One for all, all for one」についてのよもやま話。

「ラグビーでもちいられるフレーズで、後者の〝one〟は〝共通の同じ目標〟をあらわしており〝ひとり〟という意味ではない」

との説が散見されます。

が、調べてみると、どうも、もともとはラテン語の成句であったようで、これをスイスがモットーとして「(ラテン語)Unus pro omnibus, omnes pro uno」ともちい、さらに『三銃士』で「(フランス語)Un pour tous, tous pour un」として使われて広まり、またさらに英語表現でラグビーに持ち込まれた、との経緯があるようです。

〝uno/unus〟〝un〟はいずれも〝ひとり〟をあらわし、ラグビーにおける〝one = 目標〟との解釈は後年の再定義、本来的にはやはり〝one〟は〝ひとり〟をあらわす、というのが実際のところ、らしいです。(WikipediaとかChatGPTからの伝聞)

なお、作中のフレーズは私の創作です。



おもしろかったら応援をぜひ。

ブックマークでにやにや、ポイントで小躍り、感想で狂喜乱舞、レビューで失神して喜びます!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ