三十五 黄金の手紙《ジー・メール》
「――アッ、モシモシ、萬谷サンですか? ボクです、千田です。ごぶさたしてます」
「実は萬谷サンにお話ししたいコトがあってですね」
「チョットスゴイ話なんです。ボクもビックリしてて」
「株式投資のときはお世話になったンで、その恩返しというか――」
「エッ……、アッ、そ、そうですネ、ええ、あれから全部、紙クズになっちゃって……」
「マ、マア、自業自得だし、いい勉強をさせてもらったと思ってるンで……」
「とにかく、きっとビックリしますヨ。賭けてもいい。――エッ、ええ……マア、たしかに株券は紙クズになりましたけど……」
「――ハイ、じゃア、あさっての五時にあそこの事務所へ。ハイ、ハイ――失礼します」
受話器を置く。
どっと汗が噴き出しているのはこの暑さのせいだけではなかった。
流しへ行き蛇口を思いきりひねる。水垢で曇ったコップを勢いよく満たし、ひと息にあおる。
深々と、長々、息をつく。両手をついた流し台は、カップ麺や袋麺の空き容器、空袋、割り箸などが散乱していた。
久しぶりに聞いた品のない声。あいかわらずの下卑た口ぶりに、《《あのころ》》を思い出してしまった。極楽行きの乗船券を手に前途洋々でいたはずが、つかんでいたのは無価値の紙きれ。洋上へたたき出された。
べつにそそのかされたわけではない。自分で勝手にやって勝手に大やけどを負っただけ。それでも、お門違いとわかってはいても恨まずにはいられなかった。
万年床の上へ戻る。
狭いボロアパートの室内を雑然と囲む、ごみと、ごみ袋と、ごみのようなものと、美少女ゲームのパッケージと、それの攻略情報の載った雑誌などにまぎれて鎮座する、五台あるPCのうちの一台、PC-9805。
ディスプレイの電源を入れる。パチと点灯する黒い画面に映し出される、白い文字。改めて、まじまじ眺める。
一通の電子メール。
そのメールが届いたのは五日ほど前。くたびれた体を引きずるように帰宅した深夜のことだった。
差出人のアカウントIDは〝GUEST〟。個別にIDの発行を受けていない、一時的での接続だ。
しかし、文中にある差出人名は〝痩身者T2〟。
これは|Gofty Serveのみでもちいているハンドルネームだ。《《受けとった》》場所《《では使用していない》》。
なぜこのようなことが起こりえたのか。答えはメールに書いてあった。送ったのは《《彼自身である》》と。
おもしろいことをいう。もちろん、こんなものを自分宛てに送った覚えなどないし、送る理由もない。その解答・解説は、丁寧になされる。
送ったのは今からちょうど三十年後、二〇二〇年七月。つまり未来の自分からメールが届いたということだ。バカバカしい。一九九〇年の科学水準からたった三十年で過去に電子メールを送れるようになると? 送信日時は三十年後どころか昨日の日付になっているが?
初めは鼻にもかけず、さっさと削除してもよかったのだが、どれだけ馬鹿げたことをぬかすか、遊び半分で見てやろうと。――知るはずのない掲示板で、知っているはずのない名前を出しているのが引っかかるのもあった。
読み進めるうち、小馬鹿にしつつも少しこわばっていた口もとが、だんだん、じわじわと、引きつりだし、やがて青ざめてゆく。
タイムマシン。
空前の好景気が急速に迎える終焉と、その後に待ち受ける〝失われた三十年〟と称される長きの低迷。
何百何千何万もが死ぬ、数々の事故・事件・天災。
そして世界規模で広がってゆくさなかにある伝染病と、これの解決のため訪れている未来人たち――
最後まで読み終えたとき、脳裏で吐いていた嘲笑はすっかり乾ききり、干からびていた。
書かれてあることが突飛にしていやにリアルなことも、もちろんある。テレビがなく新聞もとっていないのに耳に入ってくる怪しげな宗教団体、これが引き起こすという大規模な毒ガス事件。いっぽうで、中東のまったく聞いたことのない名前の武装組織による、でたらめな数の死者が出るハイジャック事件。そして、それらすらもうわまわる、おびただしい犠牲者が出るという、関西や東北の大地震。
そういった事象について〝未来〟からのメールは、分単位で具体的に記してあった。しかしなにより、くだんのハンドルネームにしてもそうだが、彼しか知らないことがらまで――ときに赤裸々なまでに――言及してあることがなにより効いた。ぐうの音も出ないありさまだった。
にらみつける目でディスプレイの文字をなぞる。この一週間たらずのあいだに何度読み返したかしれない、長大なメッセージ。五回や十回ではたりないだろう。一画面、二十五行の解像度でゆうに五画面ぶんを超えるというのに、繰り返し、繰り返し。
これは黄金の電子メール、ゴールデンメールだ。
呼びならわすなら、〝電子メール〟ならぬ〝ジー・メール〟か。
名前に反してジー・メールは、直接、金になる情報は書かれていなかった。宝くじの当選番号や競馬の大穴、ストップ高になる有望銘柄――いいや、株はつくづく懲りた。
代わりに、売りつける相手への情報が網羅されていた。そうだ、例の下品な実業家だ。あの男のせいで――逆恨みなのは重々、承知だ――狂ってしまった人生を、もう一度、奴を頼ってひっくり返そうとしている。懲りないものだ。
万年床、せんべい布団の上で、百八の煩悩に夢みる己を嗤う。
黄金の手紙には、これにふさわしく、ある金色に関することがらがそえてあった。
金髪の風貌の、若い男。
二葉拓海について。
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